かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである
黒木玄
2012年12月24日更新 (2010年11月23日作成)
(2015年11月4日に「ひとつあたり」を「一つ分」に置換した)
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この文書は長過ぎるので以下の2つを最初に読んでおくと良いかもしれない。
掛順こだわり教育に関する資料[2012年10月17日] (中日新聞取材受諾メールに書いた資料)
ベネッセの回答へのコメント (ベネッセによる回答のすべての段落にコメント)
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◇A59にまとめがあります。最初に読んでおくと大体の状況がわかると思います。
普通の人は別世界に飛び込んでしまった印象を持つかもしれませんが、
そこで紹介されている話はすべて現実の話です。
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twitterでの関連の発言をまとめて読む
最近ではこの話題は主にtwitterて扱っています。
周囲からの情報によって少しずつ考え方を変えて来ています。
この件はまだわかっていないことが多いと思う。
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この文書の目次にジャンプ
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●2011年12月26日 「掛け算順序固定」問題対策本部に目次を作っていただきました。
本年度は「6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性」で
この問題が大ブレークしましたね。大量の反響があった。
これから毎年小学2年生がかけ算を習う季節になるとこの問題で騒ぎになるかも。
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●2011年09月28日 式の扱い方に関する事例集に事例4を追加した。
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●2011年08月29日
リンク集に「リヴァイアさん、日々のわざ」の
を追加しました。
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●2011年08月21日
仮想Q&AのA6では現在の学習指導要領は無実であると明言してしまっていますが、
意見を変えました。現在の学習指導要領解説算数編の57-59頁にある式への過剰な
役割分担には問題があります。
かけ算の順序にこだわる教え方の背後には「かけ算の意味」と「立式は誤り」
という考え方があります。かけ算の式の順序を逆にすると「かけ算の意味」が
変わってしまうので「立式は誤り」だということにされてしまうわけです。
式の使用には簡潔さや明瞭さおよび形式的な処理の容易さの点でメリットがあります。
しかし式だけでは具体的な状況や複雑な思考過程を表現するためには力不足なのです。
だから考え方を重視したければ式以外の方法を使って考え方を表現させる必要が
生じます。
そこのところを誤解して具体的な状況や複雑な思考過程のすべてを式で表現させよう
とすると、算数の教え方が大きく歪んでしまうことが予想されます。
かけ算の順序にこだわる教え方もそのような歪みが目立つ形で現われたものだと
みなせると思います。式に過剰な役割を課す考え方についてはドラゴン氏の迷言
を見て下さい。
◆2011年8月21日のツイッターでの発言
2011年8月21日のツイッターでの私の発言を以下に引用しておきます(一部修正)。
【かけ算】ああ、なるほど。今まで「かけ算の順序にこだわる教え方」について現在の
学習指導要領は無実という立場でしたが、現在の学習指導要領解説のpp.57-59に問題が
ありそうな説明がありますね。かけ算の話そのものではないので見逃してしまっていま
した。つづく。
【かけ算】つづき。 bit.ly/ojvC3O から「算数(1)第1章~第2章」 bit.ly/pzyy3T
(PDF)をダウンロードしてpp.57-59を見て下さい。特にp.58の式の働き(ウ)(エ)と式の
読み方(ア)(エ)とその解説に注目。つづく
【かけ算】つづき。pp.58-59には「3人で遊んでいるところに4人来ました」を3+4
という式で表わしてもすぐに計算して一つの数になってしまうことから「3+4という
式が具体的な事柄を表しているという見方がしにくいことがある」と書いてあります。
つづく
【かけ算】つづき。さらに「結果を求めることだけに終わるのではなく、式の表す意味
に注目できるような配慮が必要である」と書いてあります。これはかなり問題のある説
明です。式に意味を求め過ぎるという諸悪の根源がまさにここにあります。つづく
【かけ算】つづき。算数教育の世界ではへたをすると「3人で遊んでいるところに4人
来ました。ぜんぶで何人になりましたか」に「4+3」と式を立てると「答は合ってい
るが、立式は誤り」とか「足し算の式の意味がわかっていない」のような無茶な教え方
をされてしまう危険性があります。つづく
【かけ算】つづき。学習指導要領解説算数編のp.58-59の説明はまさに式に意味を求め
過ぎる悪しき習慣をそのまま伝える内容になってしまっているように見えます。
より正しい式の働きと読み方に関する考え方は次の通りです。つづく。
【かけ算】つづき。まず、p.58にある式の働き「(ウ)式から具体的な事柄や関係を読み
取ったり、より正確に考察したりすることができる」は大幅に修正が必要です。式にし
た途端に具体的な情報が落ちてしまうことを認めたより誤解のない説明に置き換える必
要があります。つづく。
【かけ算】つづき。次に式の働き「(エ)自分の思考過程を表現することができ、それを
互いに的確に伝え合うことができる」も誤解を招く説明になっています。思考過程を式
だけで表現することは不可能です。思考過程はあらゆる道具を使って表現するように指
導するべきです。つづく。
【かけ算】つづき。式の読み方「(ア)式からそれに対応する具体的な場面を読む」は完
全に削除しなければいけません。式の読み方「(エ)式から問題解決などにおける思考過
程を読む」というのも注意が必要で現実には式だけを見て思考過程を知ることは不可能
です。つづく。
【かけ算】つづき。以上のように学習指導要領解説算数編では式に課すには不適切な役
割を式に課そうとしています。「かけ算の順序にこだわる教え方」のキーワードが「か
け算の意味」「立式は誤り」でした。かけ算の式への過剰な役割分担がそのようなおか
しな教え方を支えているわけです。つづく。
【かけ算】つづき。個人的にこれでもやもやがかなりすっきりした感じがしています。
意見を変えます。現在の文科省も有罪です。現在の学習指導要領算数編のpp.58-59にあ
る式への過剰な役割分担の記述は大問題だと思います。
◆小学校学習指導要領解説算数編(平成20年6月)58-59頁からの引用
小学校学習指導要領解説算数編(平成20年6月)の58-59頁には以下のように書いてある。
式には,次のような働きがある。
(ア)事柄や関係を簡潔,明瞭,的確に,また,一般的に表すことができる。
(イ)式の表す具体的な意味を離れて,形式的に処理することができる。
(ウ)式から具体的な事柄や関係を読み取ったり,より正確に考察したりすることが
できる。
(エ)自分の思考過程を表現することができ,それを互いに的確に伝え合うことがで
きる。
次に,式の読み方として,次のような場合がある。
(ア)式からそれに対応する具体的な場面を読む。
(イ)式の表す事柄や関係を一般化して読む。
(ウ)式に当てはまる数の範囲を,例えば,整数から小数へと拡張して,発展的に読
む。
(エ)式から問題解決などにおける思考過程を読む。
(オ)数直線などのモデルと対応させて式を読む。
このような式について,第1学年では,加法及び減法が用いられる場面を式に表し
たり式を読み取ったりすることを指導する。例えば,「3人で遊んでいるところに4
人来ました。」という場面を,3+4の式に表すなどの指導をしている。しかし,こ
うした式は計算をしてすぐに一つの数になってしまうことから,3+4という式が具
体的な事柄を表しているという見方がしにくいことがある。結果を求めることだけに
終わるのではなく,式の表す意味に注目できるような配慮が必要である。
◆式の扱い方に関する事例集
◇事例1 仮想Q&AのQ38で紹介されている「2×8ならタコ2本足」の授業
これはまさに式の読み方「(ア)式からそれに対応する具体的な場面を読む」を
そのまま忠実に教えている授業だとみなすことができます。
「タコ2本足」の授業が何のお咎めも無しに行なわれてしまうことについて、
文科省には責任があると思います。
「(ア)式からそれに対応する具体的な場面を読む」の解釈について誤解があると
いうならばその誤解を正す責任があると思う。
◇事例2 東京都教職員研修センターの平成17年度の報告集 (PDF)
これの3頁には文部省が平成11年5月に発行した学習指導要領解説算数編の58-59頁から
の引用があります。平成20年6月発行版の57-58頁の対応する部分と完全に同じ文章が
そこで引用されています。
そしてその5頁では「A 演算の意味をとらえること」の例として次のように
「増加の場面」の扱い方が説明されています。
>例:増加の場面
> どちらの場面も4匹入っていて
> 水槽に3匹を加えている意味か
> ら「4+3」を確認する。
その横には次のような図がある(適当にテキストで図を置換した)。
> ┌───┐ ┌──┐
> ↓ │ │ │ │ ↓
> ├──────┤│ 金魚 │ │ 金魚 │├──────┤
> │ 金魚 金魚││金魚 金魚│ │金魚 金魚││ 金魚 金魚│
> │ │└─────┘ └─────┘│ │
> │金魚 金魚 │ │金魚 金魚 │
> └──────┘ └──────┘
>
> 『問題の文章に「3ひき」が先に出てきても、
> 「3+4」にならないこともありますね。』
この図の右側の場合であっても「3+4」としてはいけないと言いたいらしい。
式はとても簡潔な表現手段なので「式からそれに対応する具体的な場面を読む」
ことができるようにするためには前もって特別なルールを決めておく必要があります。
上の引用はそのためのルールが示されている場面だとみなせます。
上の引用部分で「4匹に3匹を追加」および「3匹を4匹に追加」は
「4+3」であり、「3+4」ではないと宣言されています。
私は「3匹を4匹に追加」の場面で「3+4」と式を書いた子どもにバツを付ける
というような問題が教育の現場で発生したという話を聞いたことがありません。
その代わりによく聞くのがかけ算の場合の話です。
◇事例3 ドラゴン氏の迷言
kikulogでの議論でドラゴン氏は
考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです
とびっくりさせられるような発言をしていました。「式で表した段階で解説は不要」
ということにするためには前もって特別なルールを決めておかなければいけません。
かけ算の順序に関するこだわりはまさにこのような形で強化されているのです。
このドラゴン氏は算数教育に関わっていると述べています。
そしてkikulogでは円周率に関する議論(まとめ2011年2月21日)では
今回の学習指導要領を作成した協力者に知り合いもいると述べていました。
ドラゴン氏が「式で表した段階で解説は不要」のような考え方を誰の影響で身に付けて
しまったかは興味深い問題だと思います。
◇事例4 【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか
このブログ記事でも学習指導要領解説算数編から上で引用したのと同じ部分が
引用されています。そしてブログ主は次のように述べています。
|子どもたちに伝えるとしたらこんな感じです。
|
|「式っていうのは、算数では言葉なんだよ。思っていることや考えていることを
|式に表して伝えることができるんだ。だから、式から考え方が分かったり、式に
|しようとすることで考えが深まったりするんだね。」
穏健に解釈すればこれは問題がない考え方だと思います。
しかし、「4×3や3×5という式を見ただけで具体的場面や思考過程がひとつ
に決まってしまうほど分かってしまうようにしなければいけない」というように
解釈すると滅茶苦茶な考え方をしていることになります。
この事例は事例3に似ています。
実際にブログ主は滅茶苦茶な考え方をしているように見えます。
ブログ主はかけ算の交換法則を子どもたちに発見させた後に
次のように教えているらしい。
|ひっくり返しても同じなのは答えだね。でも、式の表す意味は変わってくるよね。
ここで「式の表す意味」とはかけ算の式を「(一つ分)×(いくつ分)」の順序に
書かなければいけないという特殊なルールのことです。
さらに、ブログ主曰く、
|アレイ図では、何を一つ分として考えたかは完全に自由です。
|ただ、それは式の意味が
|一つ分 × いくつ分 で統一されているからであり、この統一が崩れていると、
|いくら式をみんなで見せ合ったところで意味を読み取ることができません。
|いわば、式での一つ分×いくつ分は、式という記号化されたものから、
|具体へとデコードするための規則を定めていると言っても良いと思います。
このように「いくら式を見せ合ったところで意味を読み取ることができません」
という状況になってしまわないように大変な努力をしているわけです。
しかし、通常、文脈や言葉や図やグラフなどもろもろの付随情報が無ければ、
式を見ても具体的場面や思考過程の詳細を知ることはできません。
だから、式だけではなく、他のあらゆる道具を用いて考え方を伝えよう
と努力することが重要なのです。
式は表現手段として簡潔過ぎるので式だけだと分かり難くなることが多く、
その欠点を補うためにちょっとした情報を付け加えることはよくやられています。
たとえば式の中の数字や記号に小さな文字でちょっとしたコメントが
付いているだけで分かり易くなる場合は多い。
念のために式だけを見ても具体的場面や思考過程が分からないことについて
詳しく説明しておきましょう。
「犬が3匹いるとき足の数は全部で何本か?」という問題に対して
「3×4」という式が書かれているとき、文脈から3は犬の数であり、
4は各犬ごとの足の数であることがわかります。
さすがにこのレベルで誤解することは難しいでしょう。
しかし問題の文脈を離れて「3×4」という式を見ても
3と4が何を意味しているかはわかりません。
さらに同じ問題の文脈の中で「3×4」と書いてあっても、3と4のそれぞれが
一つ分の数といくつ分の数のどちらの数であるかは確定しません。
「左前足、右前脚、左後脚、右後足がそれぞれ3本ずつあるので3×4だ」
と考えている場合には3が一つ分の数で4がいくつ分になります。
「3×4」と式を書いていても「各犬ごとに足が4本ずつあって、犬が3匹」
と考えていれば4が一つ分の数で3がいくつ分になります。
もしかしたらもっと別の正しい考え方をしている可能性だってあります。
たとえば犬の足を3×4の長方形型に並べて描いた模式図(下図)を思い浮かべて、
長方形型にモノが並んでいる場合の全体の数をかけ算で計算できることを使えば、
どちらが一つ分の数であるかを確定させることなく、
正しい考え方で正しい答を出すことができます。
足足足足
足足足足
足足足足
このことから、一つ分の数といくつ分の区別にこだわり過ぎることにも
問題があることがわかります。なにごともこだわりすぎは有害だと思います。
このように式だけを見ても具体的場面はわからないし、
思考過程であれば問題の文脈が確定していてもわからないことの方が多い。
答はひとつであっても解き方は複数ある!これは大事なことです。
かけ算を使うことを前提にしても考え方は複数あるわけです。
ブログ主が「一つ分の数といくつ分を常に区別させなければいけない」
というドグマを捨て去ることができるかどうかは不明ですが、
上で引用したように式以外の情報が無ければ具体的場面や思考過程を
知ることができないことにブログ主は気付いています。
ブログ主はその解決策としてかけ算の式の順序に関する特別なルールを
子どもたちに強制するという不合理な方法を選択してしまいました。
しかし常識的かつ合理的な解決策は「式だけに頼らない」です。
式を書いただけで十分に説明したつもりになるのは誤りです。
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2011年02月18日のまえがき (後の方に移動しました)
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敬称を略す場合もあるかもしれません。
長くなってしまいました。
最も長い補遺4の「仮想Q&A」を最初に読むのが良いと思います。
2011年2月17日:「仮想Q&A」があまりにも長過ぎるので
まとめの索引リンク集をA59に作っておきました。
●0. リンク集
この文書を読むときには以下のリンク先も読んでおくと良いと思います。
●1. はじめに
小学校の算数における掛け算の授業で次のような問題が出されました。
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。
みかんはいくつあればよいでしょうか?」
生徒は「6×4=24」と答えました。
すると先生はバツを付けました。
この件に疑問を持った親が教師に訊ねてみると……
このような事例が現実に存在することに私が気付いたのは1997年2~3月に
理科教育MLと fj.education.math を読んだときです。
私の手もとにはそれらの記録が残っています。
最近、この話題がブログやツイッターなどで盛り上がっているようです。
1997~8年の頃と同じような意見(正しいものも間違っているものも)が多い。
しかし、以前の議論では出て来なかった情報も出て来ているようなので
興味深く読んでいます。
たとえば、掛け算の順序にこだわる教師に関する話題は
1972年までさかのぼれることを新たに知りました。
うかつなことに知りませんでした。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10196970407.html
で1972年1月26日の朝日新聞の記事が紹介されています。
さらに「長方形の面積を横×縦で計算したら減点された」
というような事例も報告されていることに気付きました。
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/1870
でそのような事例が報告されています。
これには非常に驚きました。ひどすぎる!
1972年からこの問題の解決がほとんど進んでいないように見えます。
私は掛け算の順序にこだわってバツをつける教師が犯した重大な誤りは
次の二つだ考えています。
A. 掛け算のある特定の解釈に基づいた特殊ルールを押し付ける偏狭さ。
B. a×b という式には正しい解釈がたくさん存在するのに、
ある特定の解釈だけが正しいと考えてしまうこと。
特に前者の偏狭さはすぐにでもなんとか改善できないものかと思います。
しかし後者の間違った考え方の修正無しに改善は不可能かもしれません。
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいで
しょうか」という問題に「6×4」と式を立てることが誤りだと主張する人たちは、
ある特定の解釈以外を認めないという偏狭な態度を取っていることになります。
その特定の解釈は1972年の朝日新聞記事では「6×4は6+6+6+6を意味する」
というものになっています。教師はみかんを一人4個ずつ6人なので
4+4+4+4+4+4を意味する4×6という式を書かなければ
誤りだとしたわけです。
他にも「1つ分の数」「いくつ分」もしくは「掛けられる数」「掛ける数」のような
言葉を用いた解釈に基づいてバツを付けるというパターンもあるようです。
その特定の解釈では掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」もしくは
「掛けられる数」×「掛ける数」の順序に書かなければいけないとされており、
その順序で書かなければバツになってしまうらしい。
これらの a×b の解釈は単なる特殊ルールに過ぎず、普遍的に通用する考え方では
ありません。実際、上とは逆順のルールが教育現場では主流の国や言語圏が存在します。
以下では主として、掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書くと
いう特殊ルールに焦点を当てて議論を進めることにします。
●2. 「1つ分の数」×「いくつ分」の順に書かないと誤りとするのは誤り
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html
に遠山啓さんがこの件についてどのように言っているかが引用されていました。
その引用を孫引きすることにします。
遠山啓著『量とは何かI』(太郎次郎社、1978)の「II-外延量と内包量」の章の
「6×4、4×6論争にひそむ意味」(p114-120)という節より:
「この問題の答えとして、4×6 だけが正解であり、ほかを誤りとする理由はどこに
もない。もともと算数の考え方は一通りしかないと思いこむのがおかしいので、多種多
様な解き方があってよいのである。ミカンを配るのに、トランプを配るときのやり方で
配ると、1回分が6こ、それを4回配るのだから、それを思い浮かべる子どもは、むし
ろ、6×4=24という方式をたてるほうが合理的だといえる。」
この引用文を読む限りにおいて、遠山啓さんは
a×b という式を書くときには
a は「1つ分の数」で b は「いくつ分」でなければいけない
という特殊ルールを捨てていないようです。
だから、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあれば
よいでしょうか」という問題に「6×4」と式を立てても間違いにするべきではないこ
との根拠として、みかんをトランプのように配るというアイデアを出さなければいけな
くなってしまっています。
しかし、「トランプのように配るという解釈もあるから6×4も正しい」という理屈で
押し通してしまうと、
a×b という式を書くときには
a は「1つ分の数」で b は「いくつ分」でなければいけない
という日常生活で掛け算を使うときには不必要な特殊ルールを温存し続けてしまうこと
になります。
「多種多様な解き方があってよい」ということを強調する点には心の底から共感できる
のですが、掛け算を「1つ分の数」×「いくつ分」の順で書くという特殊ルールを
当然の前提とした上で掛け算の式の順序を見て理解を判定することに問題があること
を強く指摘するべきだと思いました。
解き方が一通りしかないと思い込むことがおかしいだけではなく、
a×b の正しい解釈が一通りしかないと思いこむこともおかしいのです。
実際には掛け算には(導入の方法によっては直観的にも明らかな)可換性があるので、
a×b の a が「いくつ分」で b が「1つ分の数」であっても全然構いません。
実際そういう流儀が主流の国もあります。どの数を「1つ分の数」「いくつ分」
とみなすかは掛け算の式の順序とは無関係の問題です。
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでし
ょうか」という問題において、「1つ分の数」は4で「いくつ分」が6であると解釈
して4×6と答えても正しいのです。考え方も式の立て方も計算の結果もすべてが正し
い。トランプのようにみかんを配ることを想像する必要はまったくありません。
掛け算を導入するときに、a×b という式において a は「1つ分の数」で b は
「いくつ分」を意味すると教える方針を提案する人は、この不要なルールを捨て去る
段階までの道筋を示す必要があります。算数はもっと自由なのですから。
もしもそのような道筋を示さずにこの特殊ルールにしたがった教え方を広めてしまった
とすれば、結果的に不要な特殊ルールを子どもに強制したままで終わってしまうような
教え方を広めてしまった可能性があります。
遠山啓さんはこの不必要な特殊ルールを捨て去る段階までの道筋を示していてかつ広める
努力をしていたでしょうか?もしもしていなかったとすれば、遠山啓もこの件では批判さ
れなければいけない当事者の一人だということになると思いました。
算数教育の目標は上で述べたような特殊なルールを子どもに教え込むことではなく、
普遍的に通用する算数の考え方を子どもに身につけてもらうことです。
何度でも繰り返しますが、ここで問題になっている
a×b という式において a は「1つ分の数」で b は「いくつ分」を意味する
というルールは普遍的に通用する考え方ではありません。
このような特殊ルールを子どもに強制してはいけません。
それではこの偏狭さの原因はどこにあるのか? その原因のひとつは
「子どもの理解度を掛け算の式の順序の書き方を見て判定しようとすること」
にあるように思われます。 (実際には単なる誤解が原因の場合も多いようですが。)
●3. 掛け算の式の順序にこだわったダメな教え方の例
前節で私が述べたかったことを理解してもらい易いように、
私が問題有りとみなしている掛け算の教え方の例を以下に挙げておきます。
(1) 掛け算を「1つ分の数」×「いくつ分」の形式で導入し、
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。
みかんはいくつあればよいでしょうか」という問題を出し、
「6×4=24」という回答にバツをつける。バツをつけた理由として、
24という答は正しくても式の立て方が間違っている、
掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く規則になっている、
などと説明する。
(2) 「6×4=24」と答えた子どもが、
一人あたり4個配るので「1つ分の数」は4であり、
6人いるので「いくつ分」は6である、
と教師が意図していたように正しく理解していたとしても、
掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書くと教えたので、
「6×4=24」にはバツを付けなければいけない、などと主張する。
(3) 掛け算の可換性を認識している子どもに
「どっちの順番で書いても結果は同じでしょ」と言われたとき、
掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書かなければいけない、
順序を変えると式の意味が変わってしまうので間違いになる、と指導する。
(4) 「6×4=24」と答えた子どもが、
トランプのように配れば「1つ分の数」は6で
「いくつ分」は4になると考えていたことを知った途端に、バツをマルに変えて、
よくできましたね、ごめんなさい、バツにしたのは間違いでした、
掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書くという規則に
しっかりしたがっていたのですね、だから本当はマルでした、と説明する。
この手の教え方は特殊ルールの単なる押し付けに過ぎません。
上の例では、掛け算の式の順序に関する特殊ルールの押し付けたい理由は
子どもの理解度を掛け算の式の順序の書き方を見て判定しようとしています。
このようなダメなやり方が偏狭さの原因になっているように思われます。
この点については補遺4の仮想Q&Aでより詳しく扱います。
また、遠山啓さんの「トランプ配り」の指摘だけでは(4)のようなダメな教え方を
排除できません。
問題:上の(1)~(4)のような教え方が間違っている理由を述べよ。
解答例:
(1) 掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書かなければいけないと
いう特殊ルールを強制しない限り、「6×4=24」にバツを付けることは不可
能です。しかし、算数教育の目標はそのような特殊ルールを強制することではあ
りません。普遍的に通用する算数の考え方を身に付けてもらうことが目標です。
だから特殊ルールにしたがわなかったという理由でバツを付けることは誤りです。
教師が示した特殊ルールににしたがわない子どもであっても正しい考え方をして
いる可能性があります。正しい考え方をしているのにバツをつけてしまうような
教え方は避けるべきです。
(2) 子どもが「1つ分の数」「いくつ分」の概念を正しく理解しているのだか
ら、その点を褒めてあげるべきです。子どもが成功したときに褒めてあげること
は教育の基本でしょう。自分が採用した特殊なルールにしたがわなかったという
理由でバツをつけるのはあまりにもひどすぎる。
(3) 子どもが掛け算の可換性を正しく認識していることを褒めてあげるべきです。
a×b という式は「1つ分の数」×「いくつ分」という意味を持つということは
単なる特殊ルールに過ぎません。子どもの数学的才能を無視して教師が示した特殊
なルールにしたがったかどうかでバツを付けてはいけません。
(4) 褒めるべき点は「トランプのように配る」という教師の意図とは別の正しい
考え方を示したことであり、掛け算の順序に関する特殊ルールにしたがったこと
ではありません。褒めるところを間違えると、子どもを間違った方向に誘導して
しまいます。
掛け算に関する間違った考え方と教え方が根絶されることを願ってやみません。
最大の問題は掛け算に関する間違った考え方と教え方を積極的に
広めている勢力が存在するように見えることです。
教科書の指導書や教材に掛け算の順序にこだわる間違った考え方と教え方を
書いて広めている人たちがいるようです。まったく困ったことだと思います。
●4. 補遺1. 掛け算の式の順序だけを見て理解度を確認しようとすることは間違い
掛け算の式の順序をどのように書いているかどうかだけを見て、
「1つ分の数」「いくつ分」を理解しているかどうかを確認するのは
間違ったやり方です。
なぜならば、「1つ分の数」「いくつ分」の概念を正しく理解していることと、掛け
算を「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書くという特殊ルールにしたがったかど
うかは別の問題だからです。
まず、その特殊ルールにしたがっていなくても「1つ分の数」「いくつ分」を正しく
理解しているかもしれません。なぜならば上で挙げた例(2)のような場合があるかもし
れないからです。
さらに、特殊ルールにしたがっていても「1つ分の数」「いくつ分」を正しく理解し
ているとは限りません。単なる偶然もしくは算数の内容の理解ではなく
「空気を読む能力」によって特殊ルールに一致する順序で式を
書いただけなのかもしれません。
生徒が「1つ分の数」「いくつ分」を理解しているかどうかを確認したければ別の方
法を使う必要があります。
●5. 補遺2:掛け算の可換性と解釈の多様性
次の図のようにタイルが並んでいるときタイルは全部で何枚ありますか?
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この図におけるタイルの枚数を4×6と書いても6×4と書いても構いません。
このような図を使って掛け算を導入すれば掛け算の可換性は直観的に明らかになってし
まいます。わざわざ九々の表などを見て掛け算の可換性に気付く必要はありません。
さらにこの図には様々な解釈を受け入れる余地が残っています。答はひとつであっても
様々な考え方をできることは算数の最も面白いところだと思います。
・ひとつずつ数えて24と答える。
・6+6+6+6を計算して24と答える。
・4+4+4+4+4+4を計算して24と答える。
・九々を使って4×6=24と答える。
・九々を使って6×4=24と答える。
・次の図のように並べ方を各行が10枚になるように変更して24と答える。
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・次の図のように並べたタイルを区切って数えて24と答える。
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■■■■■ ■
■■■■■ ■
・各行6枚で4行あるので6×4=24と答える。
・各行6枚で4行あるので4×6=24と答える。
・各列4枚で6列あるので4×6=24と答える。
・各列4枚で6列あるので6×4=24と答える。
これらは全部正解です。要するに長方形型に並べられたタイルの総数を正しく
数える方法であればすべて正解になります(当然!)。
以上の議論と同様に a×b という式にも様々な正しい解釈が存在し、
そのどれもが正しいことを認めなければいけません。
予想外の正しい解釈であってもすべて正しいと認めなければいけない。
もちろん説明の都合として、どれか一つの解釈から出発することは有りでしょうが、
他の正しい解釈にバツを付けてしまうのは非常にまずい教え方です。
●6. 補遺3:「1つ分の数」「いくつ分」による掛け算の解釈だけが正しいわけではない
以上では、主として、掛け算の式の順序にこだわるルールは特殊なルールに過ぎ
ず、普遍的に通用する考え方ではないことについて述べて来た。
この補遺では掛け算の可換性を認めた上で、「1つ分の数」「いくつ分」による
掛け算の解釈だけが正しいわけではないことを説明する。
「1つ分の数」「いくつ分」による掛け算の解釈はたくさんある掛け算の正しい
解釈のうちのひとつに過ぎない。だから掛け算について教えるときに
どんな場合であっても「1つ分の数」「いくつ分」という発想に押し込むことは
間違った教え方だということになります。
補遺2と本質的に同じ問題を使うことにしましょう。
となり合う辺の長さがそれぞれ4メートルと6メートルの長方形の面積
は何平方メートルになるか?
このような問題に対しても補遺2で示した解答例の一部と同様にして
「1つ分の数」「いくつ分」という考え方を適用することは可能です。
■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■
のように辺の長さが1メートルの正方形型のシートが並べてあると考えて、
・各行6枚で4行あるので6×4=24と答える。
・各行6枚で4行あるので4×6=24と答える。
・各列4枚で6列あるので4×6=24と答える。
・各列4枚で6列あるので6×4=24と答える。
のような解答が可能です。これらの解答では「1つ分の数」「いくつ分」と
いう考え方を用いています。この解答は
・1m^2/枚×(6枚/行×4行)=1m^2/枚×24枚=24m^2
・1m^2/枚×(4枚/列×6列)=1m^2/枚×24枚=24m^2
もしくは
・(1m^2/枚×6枚/行)×4行=6m^2/行×4行=24m^2
・(1m^2/枚×4枚/列)×6列=4m^2/列×6列=24m^2
のような考え方をしていることになります。
しかし、このような考え方だけが正しいわけでもないし、
このような考え方が必ずしも直観的に自然であるとも言えません。
シートの枚数を数える方法はこれだけではありません。
長方形の面積や長方形型に正方形のシートを並べるときのシートの総数は
「1つ分の数」「いくつ分」のような考え方を導入する以前に決まっています。
シートの総数を正しく計算する方法は補遺2で示したようにたくさんあります。
そのどれもが正しい。「1つ分の数」「いくつ分」という発想を使う方法は
たくさんある正しい考え方の一部に過ぎないのです。
シートの総数は単にとなり合った二つの辺の長さを掛ければ得られると考えて
二つの数を機械的に掛け合わせて答を出しても正しいのです。
この発想による解答では「1つ分の数」「いくつ分」という発想は
使われていません。
だから、上の面積の問題に対して、
「1つ分の数」「いくつ分」のような考え方を一切使わずに、
長方形の面積はとなり合った辺の長さを単に掛ければ得られると考えて、
・4m×6m=24m^2
・6m×4m=24m^2
と答えても正解になります。
私にはむしろこちらの方が自然な考え方であるように感じられます。
面積の概念を「1つ分の数」「いくつ分」のような特殊な考え方に
押し込もうとするのは不自然な考え方です。
●7. 補遺4:仮想Q&A
◆Q1. 小学校で「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう。」という問題の解答欄の「しき」の項目に
うちの娘が「5×3=15」と書いたら×にされてしまいました。
その理由を先生に尋ねたところ非常に丁寧な口調で色々説明してくれて、
「式の表わす意味が違うから×をつけざるをえません」と説明してくれました。
しかし何を言っているのかよく理解できませんでした。
式の表わす意味が違っているとはどういうことなのでしょうか?
◇A1. おそらくその先生は次のように考えているのでしょう。
(1) 一つの皿にりんごが3個ずつ載っているので「1つ分の数」は3であり、
皿が5枚あるので「いくつ分」は5である。
(2) 掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序に書かなければいけない。
(3) したがって「5×3」という式は「1つ分の数」が5で「いくつ分」が3
を意味することになる。しかし問題の状況では(1)で述べたように「1つ分の数」
は3で「いくつ分」は5である。したがって「5×3」には×を付けざるを得ない。
ここで「式の表わす意味」とは(2)のルールのことです。
しかし(2)は普遍的には通用しない特殊なルールに過ぎません。
◆Q2. さらに教師用の指導書の教え方に基づくとやはり「5×3」は誤りになると
その先生は言っていました。本当に教師用の指導書に「5×3」は×になると
書いてあるのでしょうか?
◇A2. はい。少なくとも東京書籍の指導書には実際にそのように解釈できる記述が
あるようです。次のブログ記事を見て下さい。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
具体的には以下のような記述です。[]で囲まれた部分は赤字の部分です。
|問3. 子どもが6人います。1人にあめを7こずつくばります。
|あめは何こいりますか。
| [7×6=42 答え 42こ]
という問題について、欄外に次の解説があるようです:
|問3. 問題に出てくる数の通りに式をつくることができない7の段を適用
|して解く問題
|
|・6×7と立式する子どもにはあめの図をかかせ、
| 同じ数のまとまりは6なのか7なのかしっかりつかませる。
| また、6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数と
| なってしまうことをおさえる。
問3が「問題に出てくる数の通りに式をつくることができない~問題」
であるとは、問3には「6人」「7こずつ」の順に数が出て来ているのに
「6×7」と式を作ってはいけないということを意味しています。
「6×7では、6人が7つ分になる」ということになってしまう理由は、
掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順に書くという特殊ルールに
厳密にしたがっているからです。
その特殊ルールに厳密にしたがうと、「6×7」という式における6は
「1つ分の数」でなければいけないし、7は「いくつ分」でなければ
いけません。
しかし、その特殊ルールに厳密にしたがったとしても、
「6×7では、6人が7つ分になる」とは短絡過ぎます。
なぜならば「6人にあめを一個ずつ配ることを7回繰り返す」という解釈では
6が「1つ分の数」、7が「いくつ分」になるからです。
実際、算数教育の大家である遠山啓さんは、そのような理由を付けて、
掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序に書くというルールを
保ったままであっても、6×7にバツを付けてはいけないと言っています。
算数の面白さは同じ問題であっても解き方が複数あることにあるので、
算数の面白さを伝えたいと考えている人はこのような主張に共感できると思います。
しかし掛け算の順序に関する特殊ルール自体を強制することが誤りであることを
遠山啓さんは無視しているように見えるので、その点も強調しておかなければ
いけません。
実際には、掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序に書くというルールも
普遍的に通用するルールではないので、子どもに強制することには問題があります。
「先生がこうしなければいけないと言ったから、そうしなければバツにする」という
偏狭な考え方にしたがわない限り、「1つ分の数」×「いくつ分」の順序に書く
というルールにしたがわない子どもの解答にバツを付けることは正当化できません。
◆Q3. 「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう。」という問題について、
試しにうちの子どもに図を描かせてみました。
するとうちの子どもは皿を省略して
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
のような図を描いてしまいました(●がりんごを表わしている)。
そして「縦にりんごが5個でそれが横に3つ」のようなことを言いながら
「5×3」と式を立てました。
このように皿を描かずに答えるのはバツになってしまうのでしょうか?
◇A3. いいえ。求めたい数字はりんごの総数なので図中に皿を描く必要はありません。
皿は問題の本質とは無関係です。
しかも先生が子どもに強制しようとしている掛け算の式の順序に関する特殊ルール
にもしっかりしたがっています。先生はこのような解答にバツをつけてはいけない
でしょう。
ただし、教育上、単にマルになるから良いとは言えません。
もしも先生が、掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順で書くという
先生が強制したがっている特殊なルールに正しくしたがっていることを褒めて
マルを付けているならば、褒めるべきところを間違っていると思います。
褒めるべきところを間違ってマルにされてしまうと、
子どもが間違った方向に誘導されてしまうことになります。
普遍的には通用しない特殊なルールにしたがったことを褒めるよりも、
自分流の図の描き方(問題の本質に無関係な皿を省略したこと)で
正しい解答にたどりついたことを褒めるべきでしょう。
◆Q4. しかし先生に聞くと「1さらにりんごが3こずつ」という題意に
したがわずに式を立てているのでやはり誤りであると言われてしまいました。
やはりバツにされても仕方がないのでしょうか?
◇A4. いいえ。算数の面白さは同じ問題であっても複数の解き方があることです。
だから、常に正しい答が出る方法であればどんな方法を使って解答しても正解に
なります。
どうしてもある特別な方法だけを使って解答して欲しい場合には
そのような制限を付けて問題を出すべきでしょう。
◆Q5. なるほど、納得です。
上の問題の出し方では5×3でもバツにする正当な理由はなさそうですね。
掛け算の順序に関する特殊ルールにしたがったとしてもバツを付けることはできず、
そもそもその特殊ルールを子どもの強制すること自体が教育上誤りであると。
しかし、「1つ分の数」「いくつ分」などの考え方は算数教育では重要だ
という意見にも説得力を感じるのですが、いかがですか?
◇A5. はい。「1つ分の数」「いくつ分」のような概念は広く通用する重要な
考え方です。だからそのような概念をうまく教えることは重要でしょう。
しかし、 a×b という式では常に a は「1つ分の数」で b は「いくつ分」
を意味するという考え方は誤りです。a×b という式には様々な正しい解釈が
あります。 a は「1つ分の数」で b は「いくつ分」を意味するという解釈は
たくさんある正しい解釈のうちのひとつに過ぎません。
算数の面白さは同じ問題であっても複数の解き方があることです。
式の解釈についても同様です。同じ式であっても複数の正しい解釈があることが
算数をより面白くしているのです。
問題が生じてしまった理由は、「1つ分の数」「いくつ分」のような概念を
教えようとしたことではなく、子どもが掛け算の式の順序をどのように書いたかで
「1つ分の数」「いくつ分」の概念を正しく理解しているかどうかを
教師が判定しようとしたからです。
次の(1),(2)を組み合わせた教え方は明らかにまずいです。
(1) まず掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順で書くと教える。
しかし、このルールは普遍的には通用しない特殊ルールに過ぎない。
しかも a×b=b×a が成立していることは掛け算の導入の仕方によっては
自明であり、掛け算の順序を気にすることは無駄な神経の使い方を
していることになり、思考の無駄遣いになる。
(2) 掛け算の順序をどのように書いたかで「1つ分の数」「いくつ分」の
概念を理解しているかどうかを判定する。
まず、正しく理解していなくても偶然正解になってしまう可能性がかなりある。
この方法だと正しく理解度を測るためには
複数の問題を出して統計的な処理をしなければいけなくなるだろう。
掛け算の順序を「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書いていても、
あめを6人に1個ずつ配ることを7回繰り返す場合には6×7が正しい答えに
なってしまう。つまり教師が示したルールにしたがっていてもバツが
つけられてしまう可能性がある。
そもそも普遍的に通用していない特殊ルールに子どもはしたがう必要はない。
子どもが「1つ分の数」「いくつ分」の概念を正しく理解して使っていても、
先生が示した掛け算の順序のルールにしたがうとは限らないし、
したがわないことを非難できない。
さらに「1つ分の数」「いくつ分」のような概念を使わずに
正しく解答することも可能であり、そうしている子どももいるかもしれない。
すでに親や塾の先生などが子どもに正しい別の考え方を教えてしまっている
場合はかなり多いのではないか。教わっていなくもて子どもが自分自身で
正しい別の考え方に気付いている場合もあるだろう。
このように、掛け算の順序をどのように書いたかで「1つ分の数」「いくつ分」
の概念の理解度を測ることは無謀な試みなので、廃止されるべきやり方です。
掛け算の式の順序をどのように書いたかを見る必要がなくなれば、
掛け算を「1つ分の数」×「いくつ分」の順に書くという特殊ルールを
強制する必要はなくなります。
「1つ分の数」「いくつ分」の概念の理解度を、掛け算の順序の書き方を見て
測ろうとすることは、算数教育上重要な概念の理解度をデタラメな方法で
判定しようとしていることに他なりません。
小数や割り算などの話に繋げるときに重要なのは、掛け算の式の順序ではなく、
「1つ分の数」「いくつ分」の概念の方だったはずです。
◆Q6. なるほど「1つ分の数」「いくつ分」の概念の理解度を
掛け算の順序の書き方を見て測ろうとすることに問題があったのですね。
しかし、もしも学習指導要領に、掛け算の式の順序は
「1つ分の数」×「いくつ分」の順番になってなければ誤りである
と書いてあるならば、教師はそれにしたがわなければいけません。
この問題が生じた原因は学習指導要領にあるのではないでしょうか?
◇A6. いいえ。少なくとも現在の学習指導要領は無実です。
追記:その後無実とは言い切れないという意見になりました。
小学校2年生の算数の学習指導要領
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/san.htm#2gakunen
から乗法の教育の内容に関する説明を抜き出しておきましょう。
A 数と計算より
|(3) 乗法の意味について理解し,それを用いることができるようにする。
|
| ア 乗法が用いられる場合について知ること。
| イ 乗法に関して成り立つ簡単な性質を調べ,
| それを乗法九九を構成したり計算の確かめをしたりすることに生かすこと。
| ウ 乗法九九について知り,1位数と1位数との乗法の計算が確実にできること。
| エ 簡単な場合について,2位数と1位数との乗法の計算の仕方を考えること。
D 数量関係より
|(2)乗法が用いられる場面を式に表したり,
| 式を読み取ったりすることができるようにする。
3 内容の取扱いにはさらに次のように書いてあります。
| (4)内容の「A数と計算」の(3)のイについては,
| 乗数が1ずつ増えるときの積の増え方や交換法則を取り扱うものとする。
特に上の引用文のイの項目にある「乗法に関して成り立つ簡単な性質」の中には
「交換法則」(a×b=b×a) が含まれています。
a×b の a は「1つ分の数」を b は「いくつ分」を意味するというような
特殊な式の書き方(もしくは特殊な式の解釈)を採用し、そのルールにしたがわない
場合にはバツを付けるべきであるというようなことはどこにも書かれていません。
『小学校学習指導要領解説 算数偏』 (平成20年6月、文部科学省) の
81ページにある「エ 一つの数をほかの数の積としてみること」の項目には
以下のような例があります。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdf
| 例えば、「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動を行なうと、いろい
|ろな並べ方ができる。下の図のように並べると、2×6、6×2、3×4、4×3などの
|ような式で表わすことができる。このように、一つの数をほかの数の積としてみ
|ることができるようにし、数についての理解を深めるとともに、数についての感
|覚を豊かにする。
|
| ●●●●●●
| ●●●●●●
|2×6 または 6×2
|
| ●●●●
| ●●●●
| ●●●●
|3×4 または 4×3
この説明を見れば学習指導要領が無実であることが確信できると思います。
2×6でも6×2でもどちらでも良いという書き方が最初からされています。
さらに87ページでは「一つ分の大きさ」「幾つ分」という考え方に関する説明が
登場していますが、掛け算の順序は「一つ分の大きさ」×「幾つ分」の順に
必ず書かなければいけないとは書かれていないし、「一つ分の大きさ」「幾つ分」
の概念を理解しているかどうかを測るために掛け算の順序をどのように書いたかを
確認するというような話も書いてありません。
そして「乗法に関して乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増えるという性質や、
乗法についての交換法則について児童が自ら調べるように指導する」と書いてあ
り、交換法則を児童が自分で発見できるように誘導することを推奨しています。
それに続けて、それらの法則を活用して「効率よく乗法九九などを構成したり、
計算の確かめをしたりすることも大切である」と書いてあります。すなわち、
交換法則などを発見させるだけではなく、交換法則などを活用して
効率を高めることも児童に教えることも大切であると説明されています。
「1つ分の数」×「いくつ分」の順番になってなければ誤りというような
窮屈な(そして間違った)考え方にこだわり続ける限り、
交換法則を使った効率アップについて子どもに教えることは不可能です。
このように現在の学習指導要領ははっきり無実だと断言できます。
そして『小学校学習指導要領解説 算数偏』 (平成20年6月、文部科学省) の
81ページにある「エ 一つの数をほかの数の積としてみること」の項目に
したがえば、掛け算の順序にこだわってバツを付けるような教え方をすることは
不可能になってしまうでしょう。
◆Q7. 5×3にバツを付けることは正しいと主張する次の記事を発見しました。
http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/
ここに書いてあることは正しいのでしょうか?
◇A7. いいえ。上のQ&Aと読み比べてみて下さい。デタラメもいいところです。
http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/
における基本的な考え方は次の一文にまとめられます。
「授業のねらいから外れている解き方にはバツをつけなければいけない」
(この一文は引用文ではないことに注意)
このような偏狭な考え方の持ち主に教育をまかせるのは不安ではないでしょうか?
東京書籍の指導書が引用されている点も気になります。
この先生の場合には、子どもがどんなに正しい考え方をしていても、
先生の言う通りのやり方をしないとバツがつけられてしまうのです。
この先生の教え方では、先生が示した妙なルールにしたがわない子どもは
小数や割り算を理解てきなくなる可能性が高くなるらしい。
「1つ分の数」「いくつ分」の概念の理解度を測りたければ、
掛け算の順序の書き方を見ただけではダメだという点への明確な言及もありません。
この点はこの議論の最重要ポイントです。
この点に関してはネット上で多くの人が指摘しています。
ネット上で議論するのであれば避けては通れない論点のはずです。
もちろん、教え方の都合上ある特定のやり方で問題を解いてもらいた場合はありま
す。そのような場合には、ある特定の解き方で解かなければいけないことがわかる
ように問題を出さなければいけません。
「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」のような、
どのような方法で解答しても良さそうな文章で問題を出しておきながら、
ある特定の方法以外にはバツを付けるというようなやり方は
教育以前に倫理面で問題有りだと言えます。
http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/
から特に笑える部分を引用しておきましょう。
| から始まる行が引用で、他は私のコメント(突っ込み)です。
|問題では「りんごの数」を聞いていますので、りんごに着目します。
|りんごをおはじきに変えて、具体物として操作結果が以下です。
|
|◎◎◎ ◎◎◎ ◎◎◎ ◎◎◎ ◎◎◎
|
|このおはじきの並べ方を見たとき、3+3+3+3+3 とは表せますが、
|5+5+5とは表すことはないでしょう。
|
|かけ算が同数累加からスタートした以上、
|(小2の段階では)ここに戻れないとダメなのです。
おはじきをそのように並べれば 3+3+3+3+3 と表わすのが確かに自然ですが、
◎◎◎
◎◎◎
◎◎◎ ← (*)
◎◎◎
◎◎◎
と並べた場合にはどうなんでしょうかね?
ちなみに、文部科学省の学習指導要領解説・算数偏にはまさに(*)のように長方形型
におはじきを並べた図を示して、3×5 または 5×3 と書くという解説があります。
教科書の教師用指導書には目を通したようですが、こちらはチェックしていない
ようですね。
|「何を言うんだ、5だって、一つ分じゃないか。
|ほら、一つずつ皿にのせた場合、5つ載せると一巡する」
|「皿に1つずつりんごが載っている状態」を1つ分と考えることは現実的ではありません。
|5皿に1つずつ載った状態を一つ分と考え、それが3つ分だと考えるなら、
|(皿5皿+りんご5個)×3=皿15皿、りんご15個となります。
理解不能すぎて、何度読んでも笑える。
|「違うって。皿に1つずつ、5皿分載せる作業を1つ分とするんだ。」
|そしたら、1×3になりませんか?
なりません。
|だって作業は回数であって、個数ではないですから。
|1作業×3回=3回作業したという式になるでしょう。
?????
|「一回の作業で5こ扱える。それを3回行っているのだ。」
そうそう、5個/回×3回=15個は正しい考え方です。
|なるほど。それは一理あります。
|しかしながら、これを○としてしまうと、3×5も疑ってかからないといけない。
もしかして5×3を正解にすると、3×5は不正解になってしまうと考えている?
|非常に難しい問題となります。
3×5 も 5×3 もどちらも正解だという非常に簡単な問題なのにね。
|そして、教科書では、これは誤答として扱っているのです。
まさに「語るに落ちる」とはこのこと。
失礼かもしれませんが、この一行で本当に大笑いしてしまいました。
|東京書籍の教師用指導書、2学年下、P16から引用します。
バツにして良いとする根拠は、東京書籍の教科書とその指導書だというわけ。
指導書も人間が書いたものですから、馬鹿げた記述がある可能性にも十分に
注意しないとダメですね。
以上の引用部分は正解を出すための正しい考え方のひとつを
屁理屈をこねて不正解にしようとがんばっている部分に他なりません。
昔から繰り返し「算数の面白いところは答はひとつであっても
答にたどりつく道はひとつではないことである」と言われて来たものですが、
そういう常識はこの人にはないようです。
◆Q8. やはり、5×3にバツを付けるのはダメな教え方なのですね。
自分の子どもがそのようなダメな教え方をされたときには、
「学校に限らず、世界は不条理な規則で成立している」
と言うというような話があるようですが、どう思いますか?
◇A8. 率直に言って、そういうことを言う人は恥ずかしいと思うし、
無責任で迷惑な人だと思います。
子どもは成熟した大人よりも簡単に様々なことを信じてしまいます。
そういう子どもの信じやすさと学習能力の高さは表裏一体なのです。
大人であっても心の底から信じられる場合と疑いを持っている場合では
記憶のし易さや習得のし易さが全然違います。
子どもが様々なことをスムーズに習得できるようにするためには、
信じられる人たちに教えてもらう方が良い。
このような前提で議論が進んでいるところで、偉そうに
「学校に限らず、世界は不条理な規則で成立している」
のようなくだらない一般論を述べるのは恥ずかしいことだと思います。
世の中が不条理でできているって? で、それがなにか?
◆Q9. 行列の積は非可換なので、小学校算数でも安易に掛け算の交換法則を導入
してしまうような教え方をしない方が良いというような意見を見かけましたが、
どう思いますか?
◇A9. 馬鹿げています。行列の積の非可換性は行列について教えるときに重要性を
強調すれば良いだけのことです。
◆Q10. 正直、ネットでは 5×3 にバツを付けることに賛成する意見が多くて閉口しま
した。そういう意見が予想以上に多いことについてどう思いますか?
◇A10. 掛け算を正しく理解していない大人が結構いるということなのでしょうかね?
もしもそうなら本当に困ったことだと思います。
実際には数式の a×b には正しい解釈がたくさんあることをよく認識していないと
いうことなのでしょう。頭が堅くなると複数の正しい考え方があることを認識でき
なくなります。
◆Q11. 先生には先生の教え方の都合があってバツをつけているのだから、
必ずしも間違っていると決め付けるのは良くないのではないか
という意見もあるようですが、いかがですか?
◇A11. 現実に自分の子どもが教わっている先生に対して「先生は間違った教え方を
している」というような意見を述べることは色々な意味で難しいことです。
しかし、「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」という問題の出し方をして、
「5×3」に「式の立て方が間違っている」のような理由でバツを付ける
というような教え方は有害であり、多方面から文句を付けられて当然のやり方です。
複数の意味で有害かつ間違った教え方なので擁護し切ることは不可能でしょう。
事実として有害でかつ間違った教え方をしているということと、
そのような教え方をしている先生をどのように扱うのが良いかは
別の問題だと考えた方が良いかもしれません。
しかし、教科書会社や教材の出版社であれば気軽にクレームを付けることが
できるのではないでしょうか? 教科書もしくはその指導書におかしな教え方が
書いてあったら、インターネットでその事実を公開し、
批判を盛り上げるというような活動も可能です。
その結果として教科書と指導書や教材が改善されれば
自然に「5×3」に平気でバツを付けるような行為は減ると思います。
ただし批判を公開した途端に自分自身も厳しく批判される可能性がある立場に
立つことを覚悟しておかなければいけません。他人を批判しておいて、
自分自身は批判されずに済まそうというのは虫が良すぎる考え方です。
この文書も当然批判されることを覚悟して書いています。
◆Q12. 成績を付けるためのテストでバツを付けたのではなく、
理解度を測るためのテストでバツを付けたのだから、
問題はないのではないかという意見も出て来ているようですが、
そういう意見についてはどのように思いますか?
◇A12. 理解度を測るテストで 5×3 にバツを付けた教師は、子どもが
掛け算の順序をどのように書いたかで理解度を測っていることになります。
5×3 にバツを付けることが批判されているのはまさにその点なので
理解度を測るためのテストだから問題ないという反論は無意味です。
そのような意見を今頃述べている人はこの議論では周回遅れな感じです。
このQ&Aの上の方でも強調しておいたように、
子どもが掛け算の式の順序をどのように書いたかを見て
理解度を測ろうとすることがこの問題の根源なのです。
たとえば、さつきのブログ「科学と認識」では、
どちらの数を「1つ分の数」とするかは考え方によるので、
掛け算を「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書くルールのもとであっても、
式の順序を見ただけで、どちらが「1つ分の数」であるかを正しく理解しているか
を判定することは不可能であるということが、
遠山啓を引用することによって指摘されています(2009年8月11日)。
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html
寺島裕貴さんは twitter で次のように述べています(2010年11月15日):
http://twitter.com/terashimahiroki/status/4117031720849408
|掛け算順序の話、式だけから生徒の思考過程を読む
|という逆問題を解く必要がある教員の都合ではないのか?
|式だけでなく文章でも説明させれば、
|理解度は文章から分かるのだから項の順序はどうでもいい。
|掛け算の本質がどうこうという話ではない。
さらに菊池誠さんも twitter で次のように述べています(2010年11月16日):
http://twitter.com/kikumaco/statuses/4533405458890753
|だからね、順序は「理解度」を測る方法として、筋が悪いんです。
|なぜなら、どっちでも正しいから。
|正しいものを間違いとするやりかたで理解度を測ろうというのは、
|そもそもおかしいんですよ
メーカ技術者(40手前)さんは次のように発言しています(2010年11月25日):
http://d.hatena.ne.jp/enomoto-2009/20090930/1254292133
| 小学二年生もいつの日か掛け算の交換則を学ぶわけですから、一時的とはいえ
|へんな縛りを掛けない方がいいと考えます。この記事でも指摘されている単位を
|明確にする手法も一手ですし、「『いくつぶん』を表している数を書きなさい」
|といった小問を設ける方法なども考えられるのですから、順序の規制とは違う方
|法で児童の理解の程度を把握するようにしてもらいたいものです。
このQ&Aの上の方でも、掛け算の式の書き方の順序を見て理解度を測る方法が
よろしくない理由を複数指摘してあります。
重要なポイントなので繰り返します。
どのような順序で掛け算の式を書いたかで理解度を判定しようとすることは
複数の理由でよろしくないやり方なので改めた方が良い。
この論点を無視して結論を出してしまっている人は
議論の流れをよく理解していないとみなして構わないと思います。
議論の流れを全然理解していない人が書いたものの例を挙げておきましょう:
くねくね科学探検日記 (鹿野司) 5×3は3×5じゃないよ問題(その1~3)
http://blog.blwisdom.com/shikano/201011/article_1.html
http://blog.blwisdom.com/shikano/201011/article_2.html
http://blog.blwisdom.com/shikano/201011/article_3.html
これ↑を読んで
|この問題に×つけるのはおかしいと言う人は、
|成績の判定のためのテストだと思って文句言っている。
|だから、×をつけるのは理不尽で、不当な評価を下されて理不尽と感じる。
|
|つまり、子どもが本当に解っているかを判定したいと思っている教師とは、
|テストというものが意味する内容が違っているわけね。
の部分に説得力を感じた人は、5×3 にバツを付けることが批判されている理由を
まったく理解していないということになります。
この人はダメな教え方と考え方を広めている人たちを間接的に擁護してしまって
いることに気付いていないようです。困ったものです。
「子どもが本当に解っているいるか」を本気で判定したいと思っているのであれば、
もっとまともな方法を採用するべきです。
◆Q13. 私は小学校教師なのですが、今まで 5×3 にバツを付ける教え方をして
いました。教科書の指導書にしたがって教えていたからです。
今ではそのことを心から反省しています。
私はこれからどうすれば良いでしょうか?
◇A13. 誰でも間違った教え方をしてしまうことはあるのであまり深刻になる必要は
ないと思います。何よりも失敗を認めている姿勢が素晴らしいと思います。
しかし過去に教えた生徒に対するフォローは必要かもしれません。
教科書の指導書に問題の原因があるということに気付いている人はまだ少ないと
思います。そのことに気付いた教師が、そのような指導書の存在をインターネット
などを使っておおやけにするのが良いと思います。
過去に 5×3 にバツを付けてしまっていた先生が自らそのことを反省して、
そのような教え方をすすめている教科書の指導書を批判すれば、
かなりの影響力があると思います。
◆Q14. 上の補遺2を読みました。それにしたがえば、
「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」という問題が出されたとき、
●●●
●●●
●●●
●●●
●●●
のような図を描いて、りんごを表わす●の個数をひとつずつ全部数えて、
15個と答を出しても正解だということになると思います。
本当にこれでも正解なのでしょうか?
◇A14. 正しい考え方で正しい答を出しただから、当然正解だということになります。
ただし解答欄に「しき」の項目があるとき、「しき」の項目に何を書けば良いかに
ついては悩むことになりますね。
補遺2によれば他にも正しい考え方に基づいた解答はたくさんあります。たとえば、
3+3+3+3+3+3=15
5+5+5=15
のように足し算だけで掛け算を使わない解答も当然正解になります。
そして補遺2には書きませんでしたが、自分で描いた図を見ながら、
6個と6個と3個を足し合わせた数が答になると考えて
6+6+3=15
と書いても正解です。算数に強くなるためには頭を柔らかくすることが必要です。
もしも「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょうか。かけ算をつかってこたえてください」
のような問題文に掛け算を使わずに解答してしまうと不正解になりますが、
「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょうか」という問題文になっているならば、
考え方と計算結果の両方が正しければどのような方法で解答しても正解になります。
答はひとつであっても考え方がたくさんあることが算数の面白いところである
ということは昔から繰り返し言われていることです。
◆Q15. 掛け算の理解度を測るために実施したテストだったのに、
掛け算を使っていない解答にもマルを付けてしまわなければいけないようだと、
掛け算をうまく教えることができなくなってしまうというような意見もあるようです。
このような意見についてどのように思いますか?
◇A15. 掛け算を使っていない解答を書く子どもがどの程度いるかによって、
正しい対処の仕方は変わって来ると思います。
もしも掛け算を使わずに正解を出した子どもがほとんどいないのであれば、
そのような解答にもマルを付けて、掛け算も使ってもらえるように
個別に指導すれば良いだけのことです。
どうせ例外的な生徒に対する個別な対処は常に必要になります。
もしもそのような子どもが多すぎると感じるほどたくさんいるのであれば、
問題の出し方が掛け算の理解度を測るために適切ではなかったということになります。
その場合には教師は失敗を認めることが必要になります。
このとき、自分が望んだ方法を使っていない解答に教師がバツを付けることは、
教師の失敗の責任を生徒に取らせることになるので非常にまずいと思います。
教師の側が、生徒の理解度の測定などの目的のために、
ある特定の方法を使った解答を書かせたい場合はよくあります。
そのような場合にはその特定の方法で解答を書いてもらえるように
問題文を工夫する必要があります。
いずれにせよ、教師が望んだものとは違う方法を使っているという理由で、
本当は正しい解答にバツを付けてしまうのは自分勝手過ぎるやり方でしょう。
バツを付ける前に問題の出し方について反省するべきです。
◆Q16. なるほど、算数を教えるのも大変なんですね。
このような混乱は教師の負担を増やしてしまいます。
ただでさえ大変な小学校の先生の負担を増やすのは好ましいことでは
ないと思うのですが、いかがでしょうか?
◇A16. おっしゃる通りです。このような混乱で小学校の先生の負担を増やすのは
好ましいことではありません。
しかし「混乱を見過ごす」という対処の仕方は好ましくありません。
「5×3」にバツを付けるという有害な教え方を放置しておくことは、
混乱の原因を放置することに他なりません。
この問題は親にとってわかりやすく、しかも非があるのは間違った考え方を子ども
に押し付けている教師の側なので、今後もクレームは無くならないでしょう。
(もしも誰もクレームを付けない状況になったとしたら、その方が恐ろしい!)
混乱の原因を根絶した方が教師の負担が減るのではないでしょうか。
この混乱に関して、教科書の指導書の著者たちの責任は非常に大きいと思います。
小学校の先生は算数以外にもたくさんの教科を教えなければいけません。
たとえ小学校レベルの知識であっても、あらゆる分野について正しい考え方を
身につけることは相当に大変なことです。だから、教科書の指導書は知識と
考え方の両面で小学校の先生の負担を軽減するものであって欲しいと思います。
最近の議論を読んで教科書の指導書に問題があることを知りました。
指導書が改善されて「5×3」にバツを付けるような教え方がダメだと
はっきり指導書に書かれるようになれば、混乱の原因のひとつが消え去り、
教師の負担は結果的に減ることになるでしょう。
有害な教え方をすすめている指導書は改善されるべきです。
指導書の改善の必要性をその著者自身が認めること
(すなわち自分自身の間違いを認めること)は
「5×3」にバツを付けるようなダメな教え方を根絶するために最も効果的なので
是非ともそうして頂きたいと思っています。
◆Q17. 足し算についても5+3が正解でも3+5は不正解になる場合があると
主張している人を見つけました。次のブログ記事です。
http://ts.way-nifty.com/imadoki/2010/01/post-a19e.html
|
|たし算の意味は小学校では「合併、添加、増加」の3つです。
|1番目の典型として「電車5台と電車3台をつなぐとみんなで何台」というような問題が 合併です。
|これは5+3でも3+5でもOKで交換法則が成り立ち、子どもたちの理解も速やかです。
|
|次に添加。
|「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありますか。」などの問題です。
|これは、5+3ですが、3+5、とはなりません。
|この考えは理科の実験で試薬を作るときも同様です。
|試薬を添加する順番があるからです。
|添加を教えるときは「順番」は大切なのです。
|どちらでもいい、という教え方をすると子どもは混乱するのです。
|
|最後の増加は、「体重が去年から3キログラム増えた」などなどを扱うときの演算です。
このように「添加」を意味する足し算では足し算の順序を交換すると不正解になると
言っています。不正解にするのは掛け算の場合と同様に誤りだと思うのですが、
どうでしょうか?
◇A17. はい、不正解にするのは誤りです。それは間違った教え方でしょう。
実際にそのような教え方をするべきだとはっきり書いていないようですが、
上の引用文を書いた人が正しい考え方をしていないのは確かなことです。
この人はおそらく次のように考えているのでしょう。
(0) 足し算には複数の意味がある。「合併」の意味での足し算は同時に存在するの
ものたちを合わせたら全部でいくつになるかを表わし、「添加」の意味での足し算は
すでにあるものにあとから別のものが追加されたときに全部でいくつになるかを
表わしている。「添加」の意味での足し算では時間的な順序が重要になる。
(1) 「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありま
すか」という問題では「前からあるものの数」は5で「後から付け加わるものの数」
は3になる。
(2) 「添加」の意味での足し算は
「前からあるものの数」+「後から付け加わるものの数」
の順に書かなければいけない。
(3) したがって「添加」の意味での足し算において、「3+5」という式は
「前からあるものの数」が5で「後から付け加わるものの数」が3であることを
意味している。しかし(1)で述べたように「前からあるものの数」は5で
「後から付け加わるものの数」は3である。したがって「3+5」という
式の立て方は誤りである。
(4) 試薬の添加では順番が大切なので、「添加」の意味での足し算でも
式の順序は大切である。
「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」という問題に「5×3」と式を立てると
誤りだとする考え方と同じような考え方をしているようですね。
だから上のQ&Aをよく読んで、掛け算についてすでによく理解している人であれば
上のような教え方がまずいという理由を複数挙げることができると思います。
まず、(2)のルールには必然性がありません。なぜならば、足し算を
「後から付け加わるものの数」+「前からあるものの数」の順序に書くということ
にしても何も問題が生じないからです。なぜならば、算数の意味での足し算が適用
できる場合にはその意味するところが何であったとしても、5+3と3+5は
一致しなければいけないからです。
算数の意味での足し算が適用可能な場合の中には、
試薬の添加のように順番が大切になる場合はひとつも存在しません(あたりまえ!)。
試薬の添加では順番が大切になるから算数教育でも足し算の可換性(交換法則)の使用
に制限を設けるという考え方は、行列の積が非可換だから算数教育でも掛け算の
可換性を自由に使ってはいけないと考えることと同様に馬鹿げています。
「前からあるものの数」と「後から付け加わるものの数」を区別することと
足し算の式の順序のルールをどのように決めるかは無関係の問題です。
足し算の式の順序に関するルールを決めなくても、「前からあるものの数」と
「後から付け加わるものの数」を区別することは可能です(これもあたりまえ!)。
だから、足し算の式の順序の書き方を見ることによって、「前からあるものの数」
と「後から付け加わるものの数」のような概念を理解していることを確認しようと
することも複数の意味で間違った教え方だと思います。
「3+5」と書いていても「前からあるものの数」と「後から付け加わるものの数」
を正しく認識している可能性があるし、「5+3」と書いていても正しく認識して
いるとは限りません。
そもそも足し算には自明な可換性(交換法則)があるのに、それがあたかも否定される
かのような印象を与える教え方は非常にまずいでしょう。
「前からあるものの数」と「後から付け加わるものの数」のような概念を理解して
いるかどうかを測りたければ、足し算の式の順序を見るのではなく、別の方法を
採用するべきです。
以上の議論はすでに掛け算の場合について何度も繰り返し登場して来たものです。
ここではさらに「抽象」(答を出すために無駄な条件を無視すること)の重要性も
強調しておきましょう。
「りんごが5個ありました。あとからそこにりんごを3個追加しました。
りんごは全部で何個になりましたか」という添加の問題と
「りんごがこちらに5個あり、あちらには3個あります。
全部合わせてりんごは何個ありますか」という合併の問題の答は
どちらも8個になります(あたりまえ!)。
添加と合併の問題の違いは時間的順序があるかどうかです。
しかし添加の問題に足し算を適用できるということは、
時間的順序を完全に無視して構わないことを意味しています。
つまり問題を解くために時間的順序を完全に無視して構わないのです。
結局、添加の足し算の問題であっても、足し算の可換性(交換法則)が
明らかな合併の足し算に帰着してしまうことになります。
答を出すために無駄な情報を無視することは非常に重要です。
算数の場合に限らず、複雑な現実に数学的考え方を適用する場合には
答を出すために必要最小限の情報が何かを認識することはとても大切です。
掛け算の場合で説明しましょう。
上のQ&Aで「皿が5枚あり、ひとつの皿にりんごが3個のっています。
りんごは全部で何個ですか」のような問題に次のような図を描いたとしましょう。
●●●●●
●●●●●
●●●●●
この図に皿はまったく描かれていません。
りんごを意味する●の個数を数えれば正しい答が出ます。
そして●の個数の正しい数え方はたくさんあります。
答はひとつであっても正しい答の出し方は複数あるわけです。
5+5+5と考えても正解だし、
●●●●●●●●●●
●●●●●
と並び変えて式を立てずにいきなり15個と答えても正解になります。
皿の情報は答を出すためには無駄な情報なので無視して構いません。
むしろ積極的に無視することによってたくさんの正しい方法が得られるわけです。
算数における足し算・掛け算の式の順序に意味を持たせたいと欲している人たちは
算数の世界で子どもたちが創造性をはっきする余地を無くすように努力している
ように見えて仕方がありません。
算数の段階で習う足し算・掛け算では式の順序をどう書いても構いません。
足し算・掛け算の意味(解釈)については式の順序に関するルールを決めなくても
正しく考えることができます。
もしかして式の順序に関するルール抜きに足し算・掛け算の意味について
正しく考えることはできないと信じている人たちがいるのでしょうか?
もしもそうならばそういう人たちは自分の考え方が間違っていたことを
認識するべきだと思います。
◆Q18. さらに上のブログ記事では面積の公式の「縦×横」の掛け算の順序に
こだわる教師を次のように擁護していました。
http://ts.way-nifty.com/imadoki/2010/01/post-a19e.html
|
|面積の公式は「縦×横」、と教えますが、
|これは板書で書くとき縦の線を先に書くことが多いので、
|まず縦、次に横の線を書くので「×横」としますが、
|横の線から先に書けば横×縦でも交換は可能です。
|ただ、この順番にも拘る教師がいるとしたら、
|その教師は子どもに「立体の名称」を定着させるために、
|拘っているのかもしれません。
これについてはどう思いますか?
◇A18. これもひどいですね。率直に言ってあきれてしまいました。
どちらが「縦」でどちらが「横」なのかという「立体の名称」(??)を定着させる
ために、掛け算の式の順番に拘るというのはあまりにもひどい教え方です。
本当にどちらが「縦」でどちらが「横」なのかを定着させることに拘りたいならば、
もっとまともな方法を使うべきでしょう。
「板書で書くとき縦の線を先に書くことが多い」というのも疑問だし、
そもそも「立体の名称」(??)を定着させるためにこだわっているという想定には
かなり無理があるように感じられ、この人はここまでしてひどい教え方を
擁護したいのかと思いました。
これは印象に過ぎないので誤解かもしれませんが、上のブログ記事を書いた人は
現実の生活に役に立つ算数の考え方を教えることよりも、式の意味などへのこだわり
が強いように感じられました。
さらに困ったことに、具体的な応用場面では不必要なこだわりを小学生に教え込む
ことを正当化するために、
|いずれにしても、
|中学では可能なことが小学校では制限される大きな理由の1つは、
|「子どもの発達段階が具象から抽象へ、異質なものから上位の等質を導く力が未熟」
|であるとの分析からだと思います
のような理屈を持ち出しています。未熟な子どもが書いた実際には正しい解答に
バツを付けることがどれだけひどい行為なのかについての考察がまったくない。
本当は不必要なこだわりを未熟な子どもに押し付けることの弊害に関する考察も
まったくありません。算数教育で掛け算の順序にこだわることに疑問を持っている
人なら誰でも感じるような疑問に同じ理屈を適用せずに、自分の意見を正当化する
ためだけに使ってしまっています。
このようなことを言う人が「教育に詳しい人」とみなされるのは非常にまずいと
思いました。
余談。個人的には、長方形の面積の公式を「縦×横」と表現するよりも、
「長方形のとなりあった二つの辺の長さを掛けると長方形の面積が得られる」
と考える方がより正しいと思います。自分の視点から長方形が斜めに傾いて
見える場合には縦も横もなくなってしまいます。
そのような場合にはどちらが「縦」「横」であるかに関する知識は無力になります。
「どちらが縦でどちらが横か」は長方形の面積を考えるときには無駄な情報であり、
算数を現実世界にうまく応用できるようになるためには、そのような無駄な
情報を積極的に無視できるようにならなければいけません。たとえば、上が北向き
のよくある地図の上に描かれた斜めに傾いた長方形型の土地の面積を求めることが
できないようでは、長方形の面積について習う意味がないでしょう。
追記2010年12月12日: kikulog での議論でこのQ&Aおよびひとつ上のQ&Aで
問題にされているブログ記事を書いた方(せとともこ)は自分の誤りを認める
発言をしています。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292101600
およびそれに対する菊池誠の回答とそれらの続き
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292134542
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292137836
を読んで下さい。現時点ではどこまで正確に自分自身の誤りを理解しているかは
不明ですが、誤りを認めたことは喜ばしいことだと思います。今までダメな教え
方を擁護してきてしまっていたことを反省して、今後はダメな教え方を根絶する
側にまわってもらいたいと思います。
◆Q19. 掛け算の順序問題について詳しくていねいに説明したのに、
「やはり掛け算を教えるときには被乗数を乗数を書く順序を決めておかないと
混乱することになる」と言われてしまいました。どう説明すれば良いでしょうか?
◇A19. きっとその人は掛け算の導入には被乗数・乗数の概念が必須だと
誤解しているのでしょう。実際、すでに紹介したように、
『小学校学習指導要領解説 算数偏』 (平成20年6月、文部科学省) の
81ページにある「エ 一つの数をほかの数の積としてみること」の項目には
以下のような説明があります。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdf
|エ 一つの数をほかの数の積としてみること
|
| ものの集まりを幾つかずつまとめて数える活動を通して、数の乗法的な構成に
|ついての理解を図ることをねらいとしている。ある部分の大きさを基にして、
|その幾つ分として、全体の大きさをとらえることができるようにする。
|
| 例えば、「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動を行なうと、いろい
|ろな並べ方ができる。下の図のように並べると、2×6、6×2、3×4、4×3などの
|ような式で表わすことができる。このように、一つの数をほかの数の積としてみ
|ることができるようにし、数についての理解を深めるとともに、数についての感
|覚を豊かにする。
|
| ●●●●●●
| ●●●●●●
|2×6 または 6×2
|
| ●●●●
| ●●●●
| ●●●●
|3×4 または 4×3
つまり、おはじきを工夫して並べることによって、
12は2と6の積(順序はどうでもよい)にもなっているし、
3と4の積(順序はどうでもよい)にもなっていることに気付くと。
このような形で掛け算の仕組みに気付いてもらうという方針で教えた場合には、
2と6もしくは3と4のどちらが乗数でどちらが被乗数であるかを決めなければいけない
とか、掛け算で乗数と被乗数を書く順番を一つ決めておかなければいけないという
ような考え方は無意味になります。
この場合には 3×4 を 3+3+3+3 で計算しても構わないし、4+4+4 で計算
しても構わないし、正しければ他のどんな方法で計算しても構いません。
おはじきの総数を正確に数えることができれば方法は何でもよいわけです。
経験的に3行4列におはじきをならべると総数が12個だということを知っている
人がその知識を利用して3×4=12と答えるのも正しい。九々を全部暗記して
いればもっとたくさんの場合に瞬時に答を出せるようになるわけです。
「3×4 を 3+3+3+3 で定義するか、4+4+4 で定義するかには違いがある」の
ような発想しかできない人はもっと頭を柔らかくしないとまずいと思います。
◆Q20. 上で紹介されている kikulog で「こなみ」と名乗る方が286番(あたり)の
コメントに長文を書いています。これってどうなんでしょうか?
◇A20. 全然ダメですね。
その方も「わかっていない人」に分類して構わないと思います。
自分の子どもが実際に教わっている教師にどのように対応するかという問題と
その教え方が有害であるか否か、その教え方のもとになっている考え方が
正しいか否かは別の問題です。
教師と保護者のあいだで協力体制を築くべきだという意見は正論だと思います。
しかし無理が通って道理を引っ込めるような協力は好ましくありません。
おそらくこの「こなみ」という方は掛け算の順序のルールを固定してバツを
付けることにも十分な合理性があると考えているのだと思います。
もしもそうならば、「こなみ」という方の意見にも一理あります。
しかし問題になっているのは掛け算の順序のルールを固定してそれに反する
解答にはバツを付けるという教え方の合理性そのものなのです。
「こなみ」という方のコメントを引用しながら、
合理性を示すことに成功しているかどうかを検証してみましょう。
するとこの「こなみ」という方は既出の議論の多くを無視するだけではなく、
相当にいい加減な発言をしていることがわかります。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292202790
のコメントからの引用は以下では | から始まる行の部分です(2010年12月13日)。
|2つの数を掛ける意味を,足し算の繰り返しで定義してしまえば,
|掛け算の可換性はほぼ自明なものとして認識されるでしょう。
足し算の繰り返しで掛け算を導入すると可換性は*非*自明になります。
可換性を直観的に自明な形で掛け算を導入するには工夫が必要になります。
この部分だけでこの人は算数をわかっていないことがよくわかりますね。
|一方で次元の異なる量の積から新しい物理的意味をもつ量を得ると
|いうイメージはまったく持てないのです。これは深刻なんですね。
|
|そこで1皿当たりの個数×皿の枚数というイメージを喚起させておくことは,
|教育的におかしな事では全くありません。
掛け算が適用できる場合は様々なのでそれぞれのパターンに応じて
イメージを喚起しておくことは大切なことです。
しかし、「1つ分の数」「いくつ分」という概念を教えることと
掛け算を「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書くという特殊ルールを
導入することは別の問題です。
そして、子どもの理解度を測るために掛け算の式の順序の書き方に頼ることは
よろしくない方法であるということは多くの人が何度も繰り返し述べている
ことです。
|一方で,皿ごとにスキャンして数えるような形で掛け算を行えば
|順序が反転することも,頭の回転の速い子どもには教えてもいいでしょうが,
|混乱する子どもも必ずいるでしょうね。難しいものです。
おそらく「皿ごとにスキャン」とは遠山啓が指摘した「トランプ配り」
のような数え方を意味しているだと思われます。
それによって「順序が反転する」と言っていることから、この人も
掛け算は「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書かなければいけない
とする特殊ルールを前提に話を進めるつもりらしい。
この人は「1つ分の数」「いくつ分」の意味での掛け算を
「いくつ分」×「1つ分の数」の順に書いても良い
という何度も出て来た指摘を無視するつもりのようです。
|その中で,「速度×時間=距離」タイプの演算をうまく導入するための予備として,
|順序という形で2つの量を意識的に区別させることは,教育上有用かもしれませんし,
|そうであればうまく使えばよいと思います。
「そうであれば」という仮定は成立しません。「掛け算の順序に頼った教え方は
複数の意味でまずいやり方なので止めた方が良い」というのが
この議論の最重要なポイントです。
やはり「わかっていない人」はこの最重要ポイントを無視するようです。
|子どもの理解を教師が把握するための試験としては,
|順序を付けて答えさせる方針は必ずしも悪くない。
いいえ。
普遍的には通用しない無駄なローカルルールを導入しなくても
理解を把握する方法があるのに、無駄なローカルルールを導入して、
それにしたがっているかどうかを見て理解度を把握したことにし、
ローカルルールにしたがっていないだけで本当は正しい解答にバツをつける
のは明確に悪いやり方です。
|ただし,数学的な妥当性を考えると,その試験の文面で「あたりの量」
|を左にして書きなさいといった指示を入れる必要があります。
|そうなっていれば,減点することはむしろ教育的です。
ちなみにインターネット上で広まっている「5×3」にバツがついている答案の
画像には「あたりの量は左に書いてね」のような但し書きはありません。
この「こなみ」という方は
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
の最初の画像およびそのページで紹介されている東京書籍の教科書の指導書
の内容を読んでから意見を述べるべきだったと思います。
そこで紹介されている指導書がすすめている教え方にしたがっても
「あたりの量は左に書いてね」という指示が入ることはなさそうです。
そもそもどうしてここまで掛け算の順序のローカルルールを設定することに
こだわるのが理解できません。これも何度も出て来た指摘だと思いますが、
掛け算の順序に頼らずに、「あたりの量」が何であるかを直接答えさせれば
良いだけのことです。
|蛇足ですが,ある数学的な記述において,演算子の意味をローカルに
|定義して進めることはまったく問題ないわけです。
|たとえば集合A,B の関係 A ⊂ B を A = B を含むとするか A ≠ Bとするかは
|本によって違いますし。そのうえ,そのことはいちいち断ってなくて文脈から
|考えるしかないことが多い。困ったものです。
で、それが何か? この段落で「こなみ」という方が示しているローカルルールは
「掛け算の順序に関するローカルルールにしたがわない解答にはバツをつける」
という話におけるローカルルールとは種類が異なります。
ちなみに、しっかり書かれている数学の本であれば⊂をどちらの意味で使うかに
関する但し書きが本の最初の方にあります。「いちいち断ってなくて文脈から」
とはこの人は一体どのような本を読んでいるのですかね?
「わかっていない人」は知ったかぶりな態度で関係ない話を持ちだします。
しかもその内容の正確さは非常に怪しい。
この人もやはり同じパターンのようです。
足し算の繰り返しで掛け算を導入すると可換性が自明になるとか、
違う種類のローカルルールの話を持ち出すとか、
この知ったかぶりのダメさは本当に困ったものだと思います。
そう言えば、私にはこなみさんという知り合いがいたような気がするのですが、
この「こなみ」がそのこなみさんならば知り合いとして本当に恥ずかしいと思います。
ちなみにこなみさんは twitter でも次のような発言をしていました。
http://twitter.com/konamih/status/3687771130568704
>@kikumaco 順序を決めて教える流儀は,高学年から中学の段階で
>「○○あたりの量」の導入で多数の子どもがつまづくことを
>念頭においているわけです。実際,密度が分からない中学生は
>理科教育の大問題。それを考慮して掛け算導入のときに
>順序を意識して教える教師はいてもいいと思います。
>2:56 PM Nov 14th, 2010 webから kikumaco宛
案の定、次のようなつっこみがすかさず入っている。(笑)
http://twitter.com/Ajedrecista_JP/status/3690204401508352
>密度の理解と掛け算の順序の関連、わかりません。
>3:06 PM Nov 14th, 2010 Chromed Birdから
密度の理解と掛け算の順序は関係ないんだから、わかるはずがない!
◆Q21. 自分の子どもに「5×3でも3×5でもどちらでも正解なんだよ」と教えたら、
「違う。5×3は間違い!」と言われてしまいました。
どんなに丁寧に教えても学校の先生の言うことの方を信じ、
親の言うことを信じてくれません。私はどうすれば良いでしょうか?
◇A21. すみません。私にもわかりません!
偏狭でダメな教え方をしている先生の側にわが子がしたがい続けてしまうこと
を恐れているのだと思います。不合理なローカルルールを設定し、
それにしたがわないとバツを付けるというようなことが正しいと
考える人間になってしまうのではないかと。これは確かに怖いです。
親として子どもに真剣さを何とかして伝えるしか手はないと思います。
そのためには算数に限らず、倫理面も含めて多くの話をしなければいけません。
しかし具体的に何をどのように話すのが良いかと問われると、
正直言って私もわかりません。
◆Q22. 全然関係無い話になってしまいますが、上記の kikulog での議論には
くろきさんの知り合いが何人か参加しているように思うのですが、
いかがですか?
◇A22. はい、私もそう感じています。
まず、きくちさんは知り合いだし、
上でダメ出ししておいたこなみさんもおそらくあのこなみさんでしょう。あと、
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292391863
のよく考えられたコメントを書いているなべさんは私の知っているあのなべさん
だと思います。もしもそのなべさんがあのなべさんならば知り合いとして誇りに
思います。
他にも知り合いがいるようですが省略させて下さい。
◆Q23. 教師を責めるのは好ましくないというタイプの意見も強いようです。
その点についてはどう思いますか?
◇A23. 有害な教え方をしてしまうことは教師生活をやっていれば誰にでもある
ことだと思います。私にもあります。
だから失敗に気づいたらそれを修正することが必要です。失敗と修正を繰り
返しながら自分の能力を高めようと努力している教師を私は尊敬します。
ダメな算数教科書やその指導書やダメな算数教育家に騙されて、
「5×3」という式の立て方が誤りだと誤解していた教師は
まずその誤解を修正することが必要です。
もしもその教師が「5×3」という式の立て方が誤りだとする教え方を
他の教師にもすすめてしまっていたとすれば、すすめた先の教師にその教え方は
有害でダメな教え方であることを知らせるべきです。
そして、現在教えている子どもたちには
「先生がこのあいだ言ったことは間違いだった。ごめんね」
などと素直に言えば良いと思います。
現場の教師は他にも気にしなければいけないことがたくさんあるのだから、
基本的に誤りを修正する努力をしてくれればそれで十分だと私は思っています。
それに対して掛け算の順序について妙なこだわりを押し付けるタイプの
教科書と指導書を執筆している算数教育の専門家たちの責任は非常に重い
と考えています。
現在の学習指導要領解説は教師が掛け算の順序に妙なこだわりを持たないように
注意深く書かれているという印象を受けました。
算数教育の専門家にも色々なタイプの人がいるのだと思います。
個人的には、知ったかぶりな態度で「3×5と書くべきところを5×3と書くと
誤りになる」などと言い続けている困りものの算数教育の専門家たちには
算数教育の世界から退場してもらいたいと思っています。
◆Q24. 「子どもが6人います。みかんを4個ずつあげるには、いくついるでしょう」
という問題に「6×4=24」と答えることについて、森毅さんは著書『数の現象学』
(初版1978年)で次のように述べているそうです。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10439284094.html
|もっとも、大学入試などだと、たとえば次のようにでも書かないと大減点されるのだが。
|
|『1人に1個ずつ配ると6人に対しては6個必要になる。
|
| 1人当たり4個にするためには、それを4回繰り返さなければならない。
|
| ∴ 6個/回×4回=24個 』
|
|つまり、
|
| 4個/人×6人=24個
|
|という最初の問題の6人を6個/回に、4個/人を4回に転換するところを書かないと、
|それぞれに1割程度の減点を覚悟しなければならない。そのうえに、
|わざわざ間接的にマワリミチをしたことで、1割ぐらい減点されるかもしれない。
要するに大学入試では「6×4=24」は1割もしくはさらに1割減点されるかも
しれないと述べています。京大教授がこのように述べていることについて
どうお考えですか?
◇A24. 最低だと思います。
6人×4個/人=24個と普通に正しい考え方をしている可能性を森毅は考慮できな
かったんですかね?
なによりも京大の先生が「大学入試などだと~大減点される」と述べている点が
困りものだと思います。京大入試では掛け算の順序を気にして書かないと
1割もしくはさらにもう1割減点されるかもしれない。
これがもしも本当ならどれだけの社会的影響があるのか。
森毅さんの上の発言は森毅さん自身が信じている間違っている考え方を
大学入試の採点を人質にして広める行為に他なりません。
これを最低と言わずに何を最低と言えば良いのでしょうか。
本当にひどい話だと思います。
補足:森毅氏が実際に京大の入試の採点で減点したという噂もあるという話もあ
るようですが、確認可能な事実は『数の現象学』に上に引用されているように書
いたということです。実際に減点してもいなくても、ひどい話であることに変わ
りはありません。たとえ実際に減点していなくても、心配性の受験生およびその
親が上で引用されている文章を読めば「掛け算の順序にはこだわらなければいけ
ない」と感じることでしょう。
◆Q25. 最近この話題がネット上で話題になっているようなのでここを見に来ました。
これって実は大した問題ではなく、無視できるほど少数しかいないダメな教師の問題
ではないのですか?
◇A25. 私も10年以上前にはそれに近い感覚で気楽に議論していました。
しかし、最近の議論で広く使われている算数教科書の指導書でおかしな教え方が
すすめられていることを知って、重大な問題ではないかと考えるようになりました。
だからこの文書を書いて公開することにしたのです。
親切で優しい先生であっても教科書の指導書にしたがってしまったせいで
有害な考え方を子どもに植え付けてしまうことはありえると思います。
個人的には、現場の教師よりも、算数の教科書・指導書などを作っている側の
人たちに問題があるように思えてなりません。
どこでどのように掛け算の順序にこだわった教育が推奨されているかについては
mixiの算数「かけ算の順序」を考えるコミュニティーにかなりの情報が集積されて
います。mixiの会員の人は次のリンク先をのぞいて見て下さい。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4341118
同コミュニティの管理人の積分定数さんと副管理人のメタメタさん
の二人はこの件では一目おかれるべき存在だと思います。
mixiの算数「かけ算の順序」を考えるコミュニティーで報告されている事例を
見ておくことは何が問題なのかを理解するために非常に役に立ちます。
◆Q26. 私も kikulog で話題になっていたのでこの文書を発見して見に来ました。
「掛け算の解釈」のように「解釈」という言葉がたくさん出て来ますが、
「掛け算の解釈」とはどういう意味でしょうか?
◇A26. 申し訳ありません。わかりにくかったようですね。詳しく説明しましょう。
まず例で説明しましょう。以下に掛け算の解釈の例をたくさん挙げておきます。
(1-1) a×b は a を b 個足して得られる数であると考えること。
(1-2) a×b は b を a 個足して得られる数であると考えること。
(2-1) a は「1つ分の数」であり、 b は「いくつ分」であり、
a×b は「全体の数」だと考えること。
(2-2) a は「いくつ分」であり、 b は「1つ分の数」であり、
a×b は「全体の数」だと考えること。
(3-1) おはじきを長方形型に並べたとき、 a は「縦に何行ならべたか」、
b は「横に何列ならべたか」を意味し、a×b は「ならべたおはじき全体の数」
を意味すると考えること。
(3-2) おはじきを長方形型に並べたとき、 a は「横に何列ならべたか」、
b は「縦に何行ならべたか」を意味し、a×b は「ならべたおはじき全体の数」
を意味すると考えること。
(4) a と b は「長方形のとなり合った二つの辺の長さ」であり、
a×b は「長方形の面積」であると考えること。
(5-1) a は直線上を動く質点の質量であり、b は質点の速度であり、
a×b は質点の運動量であると考えること。
(5-2) a は直線上を動く質点の速度であり、b は質点の質量であり、
a×b は質点の運動量であると考えること。
要するに掛け算が応用されているときに、
a と b と a×b が何を意味しているかを「掛け算の解釈」と呼んでいるわけです。
「正しい掛け算の解釈」を定義しましょう。
掛け算が満たしている数学的性質が解釈の側でも成立しているとき、
その掛け算の解釈は正しいと言うことにします。
本当は掛け算とは違う法則が成立しているところに掛け算を応用しようとすると
掛け算の正しくない解釈が得られるわけです。それは掛け算の間違った応用になる。
たとえば足さなければいけないのに掛けてしまった場合には掛け算の正しくない
解釈が得られます。
上に挙げた掛け算の解釈はすべて正しい掛け算の解釈です。
(1-1)と(1-2)の解釈はどちらも正しく、
(2-1)と(2-2)の解釈もどちらも正しく、
(3-1)と(2-2)の解釈もどちらも正しいわけです。
どちらか片方だけが正しいと考えている人はひどく誤解しています。
たとえば「さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう」という問題に「5×3=15」と答えると、
掛け算の正しい解釈(2-2)を自然な形で使っているとみなせるので正解になります。
(ここまでもってまわった言い方をしなくても正解なのは当然ですが、
算数教育の世界にはデタラメな考え方が広まってしまっているようなので、
あえてこのようなもってまわった説明の仕方もすることにしました。)
また a×b を(3-1),(3-2)のようにおはじきを長方形型に並べたときの
おはじきの総数だと解釈する場合には、おはじきの数え方がどうであっても
数え方が正しければ答は正しいということになります。
この点については前の方のQ&Aで詳しく説明しています。
さらに、世界的に通用する習慣では、質量を m と書き、速度を v と書き、
mv を運動量だとみなすことが普通ですが、(5-1)も(5-2)も掛け算の正しい解釈です。
「掛け算の意味」について考えたい人は、(質量)×(速さの二乗)/2 のような形で
掛け算が応用される場合もあることも知っておくべきでしょう。
それは質点の運動エネルギーを意味しています。
自分が知っている掛け算に関する知識でそのような掛け算を理解できるか
についてよく考えてみた方が良いでしょう。
掛け算の正しい応用ごとに掛け算の正しい解釈が得られます。
この意味で「掛け算の正しい解釈」=「掛け算の正しい応用」とみなして構いません。
◆Q27. 「掛け算の解釈」を「掛け算の意味」に置き換えても大丈夫そうですね。
どうして「意味」と言わずに「解釈」と言ったのでしょうか?
◇A27. 「掛け算の解釈」を「掛け算の意味」に言い直しても良いかもしれません。
しかし、以下のようなこだわりがあることは述べておきたいと思います。
「○○の意味」の説明は「○○」自身が何かについての説明になることが多いと
思います。それに対して「○○の解釈」は決して「○○」そのものであることは
ありません。私はこの区別が非常に重要だと考えています。
「掛け算の意味として“1つ分の数×いくつ分”を採用して掛け算を導入しま
しょう」のように言われた人が「掛け算は“1つ分の数×いくつ分”を意味して
いるので、常にその意味で掛け算を使うように指導しましょう」という主張を
含んでいると誤解してしまわないでしょうか?
これが心配し過ぎであることは自覚していますが、mixi のコミュニティなどで
あまりにもひどい事例をたくさん見過ぎたせいで不安になりました。
いずれにせよ、「掛け算の解釈」は決して「掛け算」そのものではない!
個人的な感想では、「かけ算の意味」という言葉を「算数教育用語」として
使う人はたいていの場合ろくでもない意見を述べているように感じられました。
実はこれも「かけ算の意味」という言葉を使わなかった理由のひとつです。
(この理由は結構重要! (笑))
◆Q28. なるほど「解釈」の「意味」がよくわかりました。:-)
しかし、「1つ分の数」「いくつ分」の考え方に基づいて掛け算を教えたい教師が
(2-1) a は「1つ分の数」であり、 b は「いくつ分」であり、
a×b は「全体の数」だと考えること。
という解釈によって掛け算を導入することにまで否定する必要はないのでは
ないですか? もちろん
(2-2) a は「いくつ分」であり、 b は「1つ分の数」であり、
a×b は「全体の数」だと考えること。
の方でも構いませんが。
◇A28. はい。以下の要求が満たされていれば否定する必要はないと思います。
まず、掛け算を導入するために一時的に採用した掛け算の解釈だけが正しく、
他の実際には正しい解釈が誤りであるかのような印象を与えるような教え方は
有害なので止めてもらわなければいけません。
教える側が掛け算の導入で使った掛け算の解釈に固執し、他の解釈の方が
自然な場合にまでそれを適用しようとすることも止めてもらいたい。
掛け算の正しい解釈が一通りであるかのような教育も止めてもらいたい。
掛け算の導入に使った掛け算の解釈以外にも
正しい解釈があることを教える時間を設ける必要があるでしょう。
要求は以上です。
そのためには、掛け算について馬鹿げた考え方に基づいて書かれた教科書・指導書
を採用するのを止めるもしくは問題の部分の訂正を要求することが必要でしょうね。
さすがに子どもが読む教科書と教師が使う指導書にあるデタラメな記述が
放置されたままなのは困ります。
最後にわかりやすく説明しましょう。
掛け算を(2-1)の解釈によって導入する教え方を受けた子どもであっても、
結果的に「3×5は正しいが、5×3は誤り」のような馬鹿げた意見に対して
「デタラメを言うのは止めて下さい。当然どちらも正しい!」と
言えるようになるように教えてくれるのであれば、
この件で争う必要は無くなります。
教育関係者がこの議論に参加するときに「掛け算の順序固定擁護派」と誤解されたく
なければ、まず最初に上の要求にはっきり賛成しておくのが良いと思います。
もしも上の要求に賛成できないとすれば、自分が実際には「擁護派」であることを
自覚して議論に参加した方が良いでしょう。
◆Q29. くろきさんは数学が専門なのにややこしい数学の話をまったくせずに、
この議論に参加しています。それは意識してのものですか。
もしも少し難しいことを述べても構わないと言われたら、
どのようなことを説明したいですか?
◇A29. はい、意識して難しい数学の話をしないように注意しています。
そもそもこの議論の本質は難しい数学の話とは無関係です。
少し難しいことを述べても構わないなら、以下のようなことを説明したかったです。
(1) おはじきから連続量まで
まず、おはじきを長方形型に並べて掛け算を理解すれば掛け算の可換性(交換法則)
は明らかになります。なぜならば長方形型に並べたおはじきの個数はどの方向から
見ても同じであることは明らかだからです。たとえば
●●●●
●●●● ←●はおはじき
●●●●
のおはじきの個数は3×4=4×3です。これは易しい話。
このような理解の仕方は、おはじきを正方形型のタイルに置き換えれば
容易に小数もしくは分数の掛け算に一般化されます。 たとえば
■■■■
■■■■ ←正方形型のタイルをすきまなく並べた図のつもり
■■■■
のように正方形型のタイルが並んでいるとしましょう。
このとき正方形型のタイルの一辺の長さが 1 であるならば、
上のように並べたタイルの面積の総和はおはじきの場合と同様に
3×4 = 4×3 になります。これも易しい話。
タイルの一辺の長さを1ではなく、1/nとみなせば面積は分数の掛け算になります。
上の図では (3/n)×(4/n) = (4/n)×(3/n) が面積になる。
この掛け算は分母が同じ分数どうしの掛け算になっていますが、
約分を利用すれば違う分母を持つ分数の掛け算も考えることができます。
たとえば上の図で n=6 とすれば 3/6=1/2 と 4/6=2/3 の掛け算
(1/2)×(2/3)=(2/3)×(1/2) が出て来ます。
小数を扱いたければタイルの一辺の長さを 0.1 や 0.01 などにします。
たとえば正方形型タイルを243×167に並べて、タイルの一辺の長さを0.01と
みなせば 2.43×1.67 について考えていることになります。
このようなアイデアに基づけば、おはじきを長方形型に並べた場合と同じ考え方で
分数や小数の掛け算およびその可換性も理解することができます。
それでは実数(連続量)の掛け算およびのその可換性はどのように理解できるのか?
(ここからが本当に難しい話になります。)
実数は分数(有理数)もしくは有限小数でいくらでも近似できる数のことです。
たとえば円周率にいくらでも近い小数を 3, 3.1, 3.14, 3.141, 3.1415, ...
と作ることができます。 (円周率の分数による近似には連分数を使うと良い。
面白い話なので興味のある人は Google などで検索してみて下さい。)
実数の掛け算は次のように定義されます。
まず、二つの実数 a と b のそれぞれに対して、それらを幾らでも近似する分数
もしくは有限小数の列 a_1, a_2, ... と b_1, b_2, ... を取ります。
(ここで a_1 は a の右下に小さく 1 という添え字を書くことを意味しています。)
そして分数もしくは有限小数の掛け算によって得られる
a_1×b_1, a_2×b_2, ... という数列で幾らでも近似される数(実数になる)
を a×b と定義します。
分数と有限小数の掛け算の可換性は上のタイルによる説明
(もしくはおはじきによる説明!)によって明らかでしょう。
よって分数もしくは有限小数の掛け算について a_n×b_n = b_n×a_n が成立して
います。このことから実数の掛け算の可換性 a×b = b×a が導かれます。
直観的には「分数の分母をどんどん大きくして行けば実数が得られる」
「有限小数の小数点以下の部分の長さをどんどん長くして行けば実数が得られる」
と考えて、その考え方で実数の掛け算も導入されると考えて構いません。
そして、分数の分母をどんなに大きくしても分数どうしの掛け算は可換であり、
有限小数の小数点以下の長さをどんなに長くしても有限小数どうしの掛け算は
可換であることから、実数の掛け算も当然可換であるということになるのです。
「いくらでも近似できる」のような難しい考え方をすでにマスターしている人は
実数(連続量)の掛け算の可換性が実はおはじきを長方形型に並べる直観的に
非常にわかりやすい話から出て来ることをすぐに理解できるはずです。
つまり、おはじきを長方形型に並べる話は実数の掛け算の可換性をも導くのです!
以上はそのまま算数教育に使える話だとは言っていないことに注意して下さい。
意識して少しだけ難しい話をしてみました。
しかし、算数教育の専門家には、おはじきを長方形型に並べるのと同じ考え方で
分数や有限小数の掛け算も理解でき、したがって実数(連続量)の掛け算にも繋げる
ことができるという話を当然の教養として知っておいて欲しいと思います。
こういう話がどこまで面白いかはわかりませんが、
せっかくなので説明してみました。
もしかして易し過ぎる話でしたか?
(2) 足し算と掛け算の公理的な特徴付け方
せっかくなのでもうひとつ。
3×5 を 3+3+3+3+3 と定めるというような方法で掛け算を定義せずに、
以下で説明するように別の方法でも 3×5 が何であるかを確定させることもできます。
まず、3×5について子どもに教える立場の人であれば算数で習う足し算や掛け算
がその導入の仕方によらずに以下の性質を持っていることを知っていると思います。
(1) (a+b)+c = a+(b+c)
(2) (a×b)×c = a×(b×c)
(3) a×(b+c) = a×b + a×c, (a+b)×c = a×c + b×c
(4) a×1 = a, 1×a = a
結合法則(1),(2)のおかげで3つ以上の数の足し算や掛け算を括弧を略して、
a+b+c、a×b×c と書いても問題が無くなります。
それらを (a+b)+c、(a×b)×c で計算しても、a+(b+c)、
a×(b×c) で計算しても結果は同じになります。
特に 1+1+1+1+1 のような式を書いても良いということになります。
1+1+…+1 と表わされる数の足し算の可換性(交換法則)は結合法則(1)から導かれます。
たとえば 3 = 1+1+1、5 = 1+1+1+1+1 について
3 + 5 = (1+1+1)+(1+1+1+1+1) = (1+1+1+1+1)+(1+1+1) = 5 + 3.
二番目の等号で結合法則を複数回用いています。
分配法則(3)は足し算と掛け算の関係を記述しているだけではなく、
実は1の性質(4)と合わせると 1+1+…+1 と表わされる数の掛け算が何であるか
を確定させてしまいます。
たとえば、
3×5 = 3×(1+1+1+1+1)
= 3×1+3×1+3×1+3×1+3×1 ((3)左)
= 3+3+3+3+3 ((4)左)
= 1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1.
同様に(3)左と(4)左を使って
5×3 = 5+5+5
となることと(3)右と(4)右を使って
3×5 = (1+1+1)×5
= 1×5+1×5+1×5 ((3)右)
= 5+5+5 ((4)右)
となることから可換性 5×3 = 3×5 も導かれます。
要するに算数で習う 1,2,3,4,... の足し算と掛け算はそれぞれの結合法則(2)
および分配法則(3)と1の性質(4)で自然に唯一通りに確定してしまうわけです。
(実際には結合法則(2)もいらない。自然数の積は(3)、(4)だけで一意に確定する。)
足し算と掛け算に関するたった4つの法則を知っておけば十分です。
(実際には可換性 (5) a×b = b×a も覚えておいた方が良いでしょう。)
このような話は数学をちょっと勉強した人であれば誰でも知っていることです。
「3×5 は3つのモノを含む集まりが5つあることだ」のようなことを言わなくても
掛け算を特徴付けることができ、可換性も容易に証明されます。
上の計算では 3×5 は自然な計算で 3+3+3+3+3 にもなるし、5+5+5 にもなります。
3×5 を理解するための出発点でどちらか片方を選ぶ必要はないのです。
もちろん、数学的にウルトラ厳密に考えたい場合にはさらに細かいことを
色々言わなければいけないかもしれません(特に存在証明)。
ここではそういう厳密な議論は省略します。
最後に念のために強調しておきますが、
上のような足し算と掛け算の理解の仕方はいち解釈に過ぎません。
他にも色々な考え方をできます。
「3×5 は3つのモノを含む集まりが5つあることだ」のような発想に凝り固まって
しまった人は奇妙奇天烈な掛け算の解釈を見付けることで色々遊んでみると
良いかもしれません。
ちなみに最近の数学の話 (F_1 = F_un = 一元体がらみの話) ではじめから掛け算は
あるが、足し算はない世界にどのように足し算を導入するかのような話が出て来ます。
つまりその話では掛け算を使った足し算の解釈が登場することになります。
足し算が先にあって掛け算はその後に導入されるというのも単なる思い込みに
過ぎないのです。とにかく色々頭を柔らかくしないとダメです。
(実はそれは結構大変なこと! 常日頃からの努力が必要!)
この手の知識が直接教育の現場で役に立つことはないかもしれませんが、
個人的な希望としては大事な教養のひとつだとみなしてもらいたいです。
大人なら誰でも知っているような算数レベルの足し算・掛け算であっても
現代数学の最先端の立場から様々な考え方がされているという事実は
結構面白いのではないでしょうか。
補足:掛け算から足し算を作る話に興味のある人は次の論文の2.1節を見て下さい。
http://arxiv.org/abs/0911.3537
日本語でのわかり易い解説をブログに書いて下さっている方もいます。
http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20100629/1277774676
http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20100630/1277865895
http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20100702/1278044435
◆Q30. 蒸し返してすみません。3×5に多様な解釈があるのは理解できます。
しかし、3×5の数学的解釈をひとつ固定しないと3×5が何であるかが確定しない
と思うのですが、いかがでしょうか? たとえば「3×5 を 3+3+3+3+3 と定める」
のように宣言しないと、3×5 が何であるかは確定しないと思います。
◇A30. 3×5 を数学的に厳密に定義しなければいけないという立場でしょうか?
これは算数教育に関する議論なので「3×5 を明確に定義しなければ 3×5 が
何であるかが確定しない」のように考えるのは無意味だと思います。
3×5 の定義や導入の仕方の流儀はたくさんあります。
しかし、正しい定義や導入の仕方をすればどの定義や導入法であっても
掛け算の結果は 15 にならなければいけません。
つまり、3×5 は定義の流儀によらずに同じ値になると考えて構いません。
「定義や導入の仕方の流儀によらずに同じ値になるあの a×b」
のことを私は「a×b」と書いているつもりです。
このように考えれば「掛け算そのもの」と「掛け算のある特定の解釈」を
分離して考えることができるようになります。
算数では「定義や導入の仕方の流儀によらずに同じ値になるあの掛け算」
=「掛け算そのもの」およびその応用の仕方(そこには掛け算の様々な解釈
が現われる)について教えてもらいたいです。
「1つ分の数」×「いくつ分」の順に書かなければいけないとされた掛け算
は「あの掛け算」=「掛け算そのもの」とはもちろん別物です。
単なる「掛け算のいち解釈」に過ぎません。
◆Q31. 私にも蒸し返させて下さい。確かに抽象的な数の掛け算には交換法則
(可換性とも言うらしいですね)が成り立つので a×b と b×a の区別を
強調することはナンセンスです。しかし、算数では抽象的な数だけではなく、
「1あたり量」「いくつ分」のような意味を持った数を教えます。
「1あたり量×いくつ分」の意味での掛け算では交換法則は成立しません。
たとえば柴田義松監修、銀林浩・篠田幹男編著の
『算数の本質がわかる授業(2)かけ算とわり算』 (日本標準、2008年) の第1章
「乗除の学び方・教え方 『1あたり量×いくつ分=全体量』の射程と問題点」
にもそのように書いてあります。引用しましょう。
| かけ算の導入には,大きくいって3つの方針がありえます。
|(a)同数累加:同じ数をたすことの簡略化がかけ算だとする:
| 2+2+2=2×3
|(b)倍:「2の3つ分を2の3倍といい,2×3と書く」
| (c)1あたり量×いくつ分=全体量(内包量×土台量=全体量)
|
中略
| 最後の(c)がけが、ただ1つ連続量まで一貫して通用する定義です。
中略
| 1つの物に固有して付随している数量を「1あたり量(quantity per unit)」といいます。
|これは将来連続量に進んだとき、単位体積あたりの質量である「密度」とか
|単位時間の移動距離である速度のような「単位あたり量」あるいは「内包量」
|に発展していくものです。
中略
|そうした同種の個物がいくつかあったとすると、
|付随している数量の総数は当然かけ算になるでしょう。それが、
| (1あたり量)×(いくつ分)=(全体量)
|という計算です。たとえば、サイコロキャラメル1箱に2個ずつキャラメルが
|入っているとすると、3箱ではキャラメルの総数は、
| 2個/箱×3箱=6箱
|となります。
中略
| この状況が自然界でも人間の思考の枠組みとして普遍的にあることを、
|有名な数学者フォン・ノイマン(John von Neumann, 1903~1957)は
|次のように説明しています。
| 「人間はいきなり現実をそっくりとらえることはできない。
|あるレヴェルの物をかっこでくくって素子と見なし、
|それが構成する集合の構造を分析し研究する。
|そしてそれがわかったら、次はその素子をさらに解剖して、
|さらに小さい素子から成る構造として扱い、
|また一方、さきの解明された構造をかっこにくるんで素子と見なして、
|より大きな構造にアタックする。
|以下同様にして、小から大へも伸びていくというわけである。」
中略
| このフォン・ノイマンの指摘から(c)のかけ算についてすぐ思いつくことは、
|前半の「大から小へ」はまず「いくつ分」が与えられ、
|それらの個物をめくると素子が現れてくるという「下降(top-down)型」ですが、
|後半の「小から大へ」はまず「1あたり量」が与えられ、
|それを積算するという「上昇(bottom-up)型」です。
| サイコロキャラメルの場合は「下降型」ですから、認識の順序に式を書くこと
|にすると、
| 3箱×2個/箱=6個
|となるでしょうが、本書では「1あたり量×いくつ分」で統一しています。
|
|ただ、(c)の乗法は、かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの
|数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです。そ
|こが単なる数の計算とは異なるところです(その点は(a)や(b)の乗法でも大
|なり小なり同じですが)。
|
| 純粋な抽象数の場合には、先のかけわり図で「1あたり量」と「いくつ分」の
|区別などありませんので、それらを除いて右側面から眺めれば、3×2に見えま
|すから、
| 2×3=3×2
|となって交換法則が成り立つ道理です。
このように純粋に抽象的な数の掛け算の交換法則の成立を明確に認めた上で、
意味のある掛け算における交換法則の成立を否定しています。
銀林浩氏もまた算数教育の大家だと思います。やはり「1あたり量×いくつ分」
の意味での掛け算では交換法則が成立しないのではないでしょうか?
◇A31. いいえ。「1あたり量×いくつ分」の意味での掛け算でも可換性(交換法則)
は成立しています。実際、2個/箱×3箱=6個=3個/箱×2箱ですよね。
たとえば、千円札が3枚入っている袋を5つもらっても、
千円札が5枚入っている袋を3つもらっても、15枚の千円札が手に入ることに
変わりはない、というようなことを理解できないようでは、
掛け算について理解したとは言えないでしょう?
この程度のことを理解できないようでは日常生活に困ること間違い無しです。
すでに上の方のQ&Aでも述べていたことですが、算数の掛け算が応用可能な状況では
必ず掛け算の可換性が成立していなければいけません。掛け算の可換性が成立して
いない状況に算数の掛け算は応用できません。当たり前のことなのでよく考えて
みて下さい。
おそらく、銀林さんたちは、キャラメルが2個はいっている箱が3つある状況と
キャラメルが3個はいっている箱が2つある状況は互いに異なることと、
掛け算の交換法則の話を混同してしまっているのでしょう。
(もしくは別の種類の解釈で異なる二つの状況を混同することと掛け算の交換法則
の話を混同しているのかもしれない。)
(A) キャラメルが2個はいっている箱が3つあると説明しているのに、
キャラメルが3個はいっている箱が2つあると考えるのは誤りです。
(B) しかし、2個/箱×3箱=3個/箱×2箱は明らかに成立しています。
実際、キャラメルが2個はいっている箱が3つあっても
キャラメルが3個はいっている箱が2つあっても
どちらもキャラメルの総数は6個になります。
これらはまったく別の問題です。(A)を理由に掛け算の交換法則が成立しないと主張
するのは誤りだし、(B)を理由にキャラメルが2個はいっている箱が3つある状況
とキャラメルが3個はいっている箱が2つある状況はどちらも同じだと考えるのも
誤りです。
銀林さんたちに限らず、掛け算について変なことを言っている算数教育家たちには
「キャラメルが2個はいっている箱が3つある状況」と「2×3」という掛け算の
式をできるだけ同一視したがる傾向があるように思えます。
キャラメルの問題の文脈では「2×3」という式を書いただけで「キャラメルが
2個はいっている箱が3つある状況」を意味すると思い込んでいるのではないか?
実際にそのように思い込んでいるならば、その文脈で「3×2」という式を見た途端
にその式は「キャラメルが3個はいっている箱が2つある状況」を意味していると
思ってしまうことも理解できます。そのような思い込みを根拠にキャラメルの問題
の文脈では「2×3」と「3×2」は等しくない考えてしまう。他の種類の妙な
思い込みもあるようなので、これとは別の思い込みがある可能性もあります。
いずれにせよ、掛け算の可換性(交換法則)を否定してしまうような思い込みは
デタラメなので教育の現場から根絶されるべきだと思います。
このように算数教育の大家は必ずしも信用できないので注意した方が良いです。
デタラメが書かれた本を参考にして算数の授業の仕方を研究しなければいけない
小学校の先生は本当に大変だと思います。
この話題の大きな特徴は同じような議論が何度も繰り返されることです。
それだけ馬鹿げた考え方が広まってしまっているということなのでしょうか?
馬鹿げた考え方を広めている人たちの責任は非常に重いと言わざるを得ません。
◆Q32. 今頃こんな質問で申し訳ないのですが、
「交換法則」(可換性)の数学的な定義を教えて下さい。
◇A32. いえ、良い質問だと思います。
最初に数学の講義風の説明をし、あとで別の説明の仕方をします。
数学的には大体次のような意味で交換法則(commutative law)や
可換性(commutativity)という用語が使われます。
集合 A とそれ自身の直積 A×A から集合 B (この B は A 自身であってもよい)
への写像 f : A×A → B が可換(commutative)であるとは
任意の a,b∈A に対して f(a,b) = f(b,a) となることであると定める。
たとえば自然数全体の集合 N とそれ自身の直積 N×N から N 自身への
写像 f を f(a,b)=a×b と定めると a×b = b×a なので f は可換になります。
この事実を「自然数の掛け算は交換法則を満たす」と言ったり、
「自然数の掛け算は可換である」と言ったりするわけです。
問題はこの意味での交換法則=可換性を「1あたり量×いくつ分」に
どこまで適用できるかです。
可換性の定義のポイントは
f(a,b) における a と b の立場をひっくり返せることです。
もしも f(a,b) における a と b の立場をひっくり返せないならば
もう一方の f(b,a) について考えることができなくなるので、
交換法則(可換性)について考えることができなくなります。
「1あたり量×いくつ分」の意味での掛け算は
1あたり量を意味する数 a といくつ分を意味する数 b に
対して全体量を表わす数 a×b を対応させる写像だとみなせます。
「1あたり量を意味する数」と「いくつ分を意味する数」の立場をひっくり
返すことができないと考えるならば、上の意味での交換法則について考えること
は不可能になります。
一方、それらが同じ集合だと考えれば交換法則の成立について考えることができ、
「1あたり量×いくつ分」の意味での掛け算であっても当然交換法則が成立します。
「2個/箱×3箱=3個/箱×2箱なので交換法則が成立する」と言う場合には
数2と数3の立場をひっくり返せるという立場で考えているわけです。
おそらく、銀林さんたちは「1あたり量を意味する数」
と「いくつ分を意味する数」は意味が違うので
それらをひっくり返すことは許さんという立場なのでしょう。
しかし、算数を習った子どもが最終的に
「キャラメルが a 個はいっている箱が b 箱あっても
キャラメルが b 個はいっている箱が a 箱あっても
キャラメルの総数がどちらでも同じになる」ことを当然だと思えるように
なるように教えてくれないようでは困りますよね。
これを当然だと思えないような人は簡単に騙されてしまいそうです。
「1あたり量を意味する数」と「いくつ分を意味する数」は意味が違うので
それらをひっくり返して交換法則が成立するなどと言うことを許さんという立場
に立つ人が算数を教えると簡単に騙される馬鹿な大人が増えてしまいそうです。
補足:「2個/箱×3箱=3箱×2個/箱」の意味での交換法則は以下のように解
釈されます。まず、数と 個^m 箱^n (m,nは整数)の積全体の集合 Q を考えます:
Q = { a 個^m 箱^n | a は0以上の整数、m,n は整数 }.
このとき自然な乗法 Q×Q→Q, (A,B)→A×B が定義されます:
(a 個^k 箱^l)×(b 個^m 箱^n) = ab 個^{k+m} 箱^{l+n}.
この乗法は可換性を満たしており、その可換性の特殊な場合として
2個/箱×3箱=3箱×2個/箱
が得られます。
警告:分数の概念を知らない小学生相手に対して「個/箱」のような記号法を
使用させることには慎重でなければいけない。
◆Q33. ちょっと面白い例だと思うので長々と引用させて下さい。
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=1
|
|投稿者: 夏 (ID:ZBt1vC5BJmc)08年 08月 31日 12:15
|
|小2で習う掛け算に、かける数とかけられる数、が出てきますが、学校では文章
|問題で、先に来るのがかけられる数、後に、かける数がくることに徹底しています。
|我が家の主人が、そんなものは聞いたことがない、高学年の算数や数学で、かけ
|られる数もかける数もどっちだって答えは同じなんだから、いいんだ。どこの参
|考書にそんな事が書いてあるんだ、AXB=BXAだ、学校の先生が間違ってい
|る、おまえも嘘を言ってるだけだ、と申しています。。子供にもそんな調子で教
|えるので、子供もどっちが正しいのかと疑問を持ち始めてきました。学校では、
|5+5+5は、5が3回かけられている事である、ということを徹底し、特に文
|章問題では、5X3でなければXになってしまうのです。主人には、どのように
|説明をすれば、分かってもらえるのでしょうか。単位がかけられる数に相当する、
|かける数が数、に相当する、と説明すればいいのでしょうか。自習ノートなどの
|O付けを主人にお願いすると、逆でももちろんOにしてしまうので、結局先生か
|ら再度Xをもらい、帰ってくることもあり、困っています。主人は理数系卒、40
|歳近くです。かけられる数もかける数も習った記憶はないそうです。強気に、
|学校の先生も、教科書通りに合わせる私にも、おまえらが間違いだ、と言っての
|けるのですが、この人に理解できるような説明ができる方がいらっしゃいました
|ら、よろしくお願いいたします。。
このような質問が教育系の掲示板でされていました。
それに対して小学校教員経験者氏が次のように答えていました。
|【1014268】 投稿者: 小学校教員経験者 (ID:1mGhDCcPjOY)08年 08月 31日 22:38
|
|算数や数学において「定義」と「性質」は別のものです。
|
|掛け算(乗法)の定義は、「繰り返し和をとること」です。
|一方、「2×3=3×2」は「交換法則」といいますが、「定義」ではなく、
|「性質」です。
|
|理系のご主人様には、あるいは釈迦に説法かとも思いますが、
|両者は区別して、まず定義の定着をこそ図るべきでありましょう。
|学校の先生も、まずそのことを意図しておられるはずです。
|また、単位あたり量(掛けられる数)を前に持ってくる習慣をつけて
|おかないと、たとえば「速さ」あたりで苦労する可能性があります。
|
|ちなみに、交換法則も名称こそ習いませんが、きちんと勉強しますので
|ご心配なく。
この回答についてどのように思いますか?
◇A33. これも典型的な「俺様ルールにしたがわなければバツにして良い」派の
意見ですね。すでに交換法則(可換性)という掛け算の基本性質を子どもが正しく
理解している可能性を無視して、俺様の定義以外の性質を勝手に使うのは
許さんという立場の方のようです。
この手の小学校の先生に教わる子どもはかわいそうです。
しかも掛け算の定義は(乗法)の定義は「繰り返し和をとること」以外に存在
しないというひどい思い込みをしてしまっているようです。
おはじきを長方形型に並べたときのおはじきの総数を掛け算の定義とすれば
交換法則は自明な性質になります。
実際、現在の学習指導要領解説には12個のおはじきを
3×4, 4×3 (これら二つに区別はない)の形に並べさせたり、
2×6, 6×2 (これら二つに区別はない)の形に並べさせることによって
掛け算の仕組みが存在することを子どもに気付かせるというような
教え方を示唆する記述があります。(上の方のQ&Aで紹介しています。)
この小学校教員経験者氏は現在の学習指導要領解説には目を通していないに
違いありません。
あと単位あたり量(掛けられる数)を前に持ってくる習慣をつけておかない
と速さあたりで苦労することになるというのも単純に誤りでしょう。
「自動車で時速50キロで3時間走ったらどれだけ進むか」のような問題に
は3×50=150キロと答えても50×3=150キロと答えてもどちらも正しい。
掛け算の式の順序にこだわることと「時速50キロ」が意味するところを
正確に理解することはまったく別の問題です。
「時速○○キロ」の概念さえしっかり理解しておけば「同じ速さで走り続けた
自動車が3時間で150キロ進みました。時速何キロで走っていたでしょうか?」
のような問題にも正しく答えられるはずです。
掛け算の式の順序とは無関係に重要な「1つ分の量」の概念の方をしっかり
教えてもらいたいと思います。
この件でかわいそうなのは小学校教員経験者氏に「理系のご主人様には」
などと言われてしまっている夏さんの夫の方です。
ダメな教え方をする小学校の先生に自分の子どもを任せなければならず、
妻にも自分の意見の正しさを疑われてしまい、本当に大変だなと思います。
夏さんは夫に謝罪し、子どもにはこの件については学校の先生よりも
父親の言うことを完全に信用した方が良いと言ってあげるべきでしょう。
すでに子どもは父親の強弁のおかげで学校の先生が必ずも正しいことを
教えているとは限らないことに気付いてしまったと思います。
そうならばどちらが正しいかについて子どもにはっきり教えてあげるべき
だと思います。そして、今度、その子は学校の先生の教えの正しさを
疑うようになる可能性があるので、しっかり両親がフォローしてあげる
必要があると思います。
◆Q34. 次の文書を最近発見しました:
守一雄、『環と加群についての知識は算数を教えるのに必要な最小限の数学的素養か
----伊藤・荻上・原田(1993)論文へのコメント』信州大学教育学部紀要81号(1994)
http://mat.isc.chubu.ac.jp/pda-j/doc/00015/euc.txt
(2011年7月9日:もともとはweb.archive.orgに残っていた記録へのリンクでしたが、
親切な方に変更されたオリジナルのURLを教えて頂いたのでリンク先を変更しました。)
伊藤・荻上・原田(1993)論文は未見なのでそちらについてはコメントを控えたい
と思います。しかし問題になっている状況はここで話題にされている状況とまっ
たく同じです。すなわち、
(☆)「3枚の皿にリンゴが2個ずつのっている時全部でリンゴは何個あるか」
という問題に「数学者B」の長男(小学校2年生、帰国子女)が「3×2=6」と
解答して、担任の「算数教師A」から「答えの6は正しいけれども、式は3×2
ではなく2×3でなければならない」と指導されたことが、伊藤らの論文が書か
れた動機になっているようです。
守氏の「算数教師Aがどうするべきだったか」に関する結論は次の通りです。
| 算数教師Aのとった対応は基本的にはこれで十分である。それでも、以下のよ
|うにしておけば、さらに万全であったろう。
| この子どもに、皿の数やリンゴの数を変えて、あるいは、皿の数とリンゴの数
|の文中での位置を変えて、いろいろな問題をやらせてみる。そして、この子が(1)
|一貫して「かける数」と「かけられる数」とを逆にしているのか、(2)一貫して
|「先に出てきた数字」を「かけられる数」とし、「後から出てきた数字」を「か
|ける数」としているのか、それとも(3)まったく一貫性なしに、「かける数」と
|「かけられる数」とを決めているのか、を見極めておく。そうすれば、この子の
|親(数学者B)が、「私の子供は帰国子女だからごく自然に3×2と考えたのだ
|と思う(p.15)」などと言ってきても、ニヤリと笑って、事実が(2)や(3)であるこ
|とを示すこともできたであろう。本当に(1)の場合には、次のように指導すればよ
|い。「君は、英語を話すところで育ったので、英語風に考えているようだけれど、
|日本では、かける数とかけられる数とを逆の位置に書くのが普通なんだ。今のや
|り方のままでも、同じ答えが出せるんだけれど、先生が計算のやり方を説明した
|り、君が他の人に説明したりするときに、逆に憶えていると何かと不便だから、
|これからは、かけられる数×かける数の順番に式を書くようにしようね。(おそ
|らく君が行っていた)アメリカやカナダでは、車が右側を走っていたのに、日本
|では左側を走っているよね。別にどっちを走ったっていいんだけれど、一度どち
|らかに決めたら、みんながそれに従わないと事故が起こったりするするよね。式
|の書き方も、それと同じことさ。」(表現を少し変えれば、親にもこう指導でき
|る。)
この結論についてどのように思いますか?
◇A34. そのような文書があることを報告して下さってどうもありがとうございます。
これはかなりひどいと思います。まさに最近の議論で問題視されている「掛け算
の書き方の順序を見て理解度を測ろうとする」という有害でダメな教え方を積極
的に他人にすすめているからです。(実際にはそれ以前の問題が大きい!)
「かける数」「かけられる数」もしくは「一つ分の数」「いくつ分」など
の概念を理解しているかどうかの判定にどうして掛け算の順序を用いることにこ
だわり続けるのでしょうかね?
車線のたとえ話もかなりあきれたものだと思います。車が左右どちらを走るかを
統一しておくことには「車の流れを円滑にするため」とか「安全を確保するため」
のような合理的な理由があります。しかし、掛け算の順序についてはそのような
合理的な理由はありません。なぜならば一貫して「どちらの順序でもよい」として
何も問題が生じないからです。
「親にもこう指導できる」などと言うのも止めてもらいたいです。
帰国子女の親相手にそういう「指導」を本当に試みる先生が本当に出て来たら
どうするのか? 信用を失い、大恥をかくこと間違いなし!
個人的に「親にもこう指導」の「指導」という言い方もちょっとすごいと思いま
した。おそらく守氏にるよ伊藤・荻上・原田(1993)論文へのコメントの動機は
「数学者」の「傲慢」さへの怒りなのでしょう。しかし、そのコメントによって
守氏自身の放漫さが明らかになってしまったと思います。
そもそもこの人は算数教育では何を教えるべきだと考えているのでしょうかね?
帰国子女だとわかっている子どもに掛け算の順序が逆だから誤りだと指導するこ
とを正当化するために、アメリカやカナダと日本では車線の左右が逆だからとい
うたとえ話を持ち出すとは本当にあきれた話だと思います。
もしかして算数はどこでも通用する普遍的な知識であるべきだと思っていないの
でしょうか?
「掛け算の順序はどうでもよい」が普遍的にあらゆる場所で通用する考え方です。
「かけられる数」「かける数」や「一つ分の数」「いくつ分」のような概念を
理解していることと、掛け算の順序に関するローカルルールにしたがっているか
どうかはまったく別の問題です。
だから、(2)一貫して「先に出てきた数字」を「かけられる数」としていたり、
(3)まったく一貫性なしだとしても、「かけられる数」「かける数」や
「一つ分の数」「いくつ分」のような概念を十分に理解している可能性
を排除できないのです。
「ニヤリと笑って、事実が(2)や(3)であること」を示しても考えが足りないこと
を指摘されて終わりというわけです。本当に「ニヤリ」と笑ってしまったりすると
軽蔑されてしまうかもしれません。
上で引用されている守氏の文章は本当にあきれたものだと思います。
人間性が疑われかねないような駄文を発表してしまったことに
自覚していないに違いありません。
守氏は「数学者」にひどい偏見をお持ちなようなので、念のために強調しておきますが、
「掛け算の順序はどうでもよい」という主張は私が「数学者」であることとは無関係です。
所謂「文系」の人であっても算数を十分に理解している人であれば
掛け算の順序にこだわる教育に疑問を持つはずです。
たとえば、mmemiya さんの
3×5と5×3は同じじゃん。
http://mmemiya.exblog.jp/15153557/
を御覧になって下さい(個人的に楽しく読ませてもらいました)。「文系の私でも謎」
と mmemiya さんはおっしゃっていますが、本当に「謎」だと思います。
(掛け算の式の順序にこだわるクズのような文章を大量に読んでしまうと、
mmemiyaさんのブログのような健全な常識に基づいたところはオアシスの
ように感じられます。)
他にも健全な常識に基づいて「掛け算の順序にこだわるのはおかしい」という意見
を述べている人はたくさんいます。これだけインターネットで話題になっているの
だから、実際に多くの事例を挙げるまでもないでしょう。きっと守氏にとっては
そういう人たちも「指導」の対象だとみなされるのでしょう。
補足:伊藤・荻上・原田(1993)論文を未見なのでそちらについてはコメントをで
きるだけ控えたいと思いますが、私自身は環と加群についての知識は算数を教え
るのに必要な最小限の数学的素養だとは考えていないことをはっきり述べておき
たいと思います。掛け算の順序にこだわる算数教育のダメさ・有害さの指摘のた
めに数学の素養など持ち出す必要はありません。
補足:インターネット上での健全な常識に基づいた質問に対して馬鹿げた「指導」
をする人が結構いることもこの問題を悪化させていると思います。そしてさらに
根っこをたどるとそういう馬鹿げた「指導」を他人にすすめている人の存在が
浮かび上がります。本当に困ったことだと思います。
補足:困ったことに「理系」出身者であっても「掛け算の順序には意味がある」
と本気で思っている人もいます。たとえば
桜井 進 (著) 感動する!数学 (PHP文庫) [文庫] PHP研究所 (2009/11/2)
http://www.amazon.co.jp/dp/4569673414
|内容紹介
|「数学」といったら公式や記号だらけで味も素っ気もないものだと思っていませんか?
|実は、数学と私たちの生活は意外なところで繋がっています。
|例えば「5×2」と「2×5」の違い。映画館にペアシートが5つだと5組のカップルが座れます。
|5人がけの座席が2つだと、1組のカップルは離れ離れに。
|つまり、かけ算は順番が大切なのです。他にも身近な事例が満載。
|あなたもきっと数学が好きになる!
という困った本の著者は東京工業大学理学部数学科を卒業しているようです。
http://ssfactory.sakura.ne.jp/sakuraisusumu/profile.html
ペアシート5つと5人がけの座席2つの違いは掛け算の式の順序に関する
「俺様ルール」とは無関係の話です。それを桜井氏は掛け算の式の順序の話に
してしまっています。数学科出身の桜井氏のこの点に関する理解がどこで
おかしくなってしまったかは興味深い問題だと思います。
◆Q35. しかし算数を正しく教えるためには数学について深い教養があった方が
良いですよね。
◇A35. すみません。それはまったくその通りです。私も可能ならば小学校の先生を
目指す人はがんばって数学的教養も身に付ける努力をしてもらいたいと思っています。
私が言いたかったことは環と加群のような数学に関して全然知らないような人で
あっても、健全な常識に基づいて掛け算の順序にこだわる教え方がダメだと
いうことを十分に理解できるということです。
◆Q36. 算数の教科書・指導書での掛け算の順序の記述についてまとまった情報は
ないですか?
◇A36. あります。メタメタさんの調査結果(の一部)を次の場所で読めます。この
件に興味がある人はメタメタさんのブログを継続的にチェックしておいた方が良
いと思います。
かけ算の式の順序についての調査結果(2の1) 2010-02-17 19:39:33
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461348378.html
かけ算の式の順序についての調査結果(2の2) 2010-02-17 19:41:47
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461350178.html
来年度の教科書―掛け算には「正しい順序」がある!? 2010-12-20 20:06:12
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10742669809.html
算数の教科書の指導書は「掛け算には正しい順序がある」という考え方に基づい
て書かれているようです。そして来年度の東京書籍の教科書には(指導書ではなく
検定済みの教科書の方に!)次のような問題が登場するようです。
|5> [ ] に数を入れて4×3のしきになるもんだいを
つくりましょう。また、3×4でもつくりましょう。
みかんが [ ] こずつ入っている
ふくろが、[ ] ふくろあります。
みかんは、ぜんぶで何こ
ありますか。
まさに掛け算の書き方には正しい順序があるという特殊な仮定を大前提とする問題。
おそらく理解してもらいたいのは「一つ分の数」と「いくつ分」のような概念
の方でしょう。それならばもっと別の方法を採用すればいいのにね。
こういうまずい教え方のもとで算数を勉強しなければいけない子どもたちはかわ
いそうだと思います。
◆Q37. kikulog でのコメントでドラゴンさんという方が
|A 指導法で順序にこだわってもよい。
| テストで順序にこだわってはいけない。
という立場のもとで、掛け算を「一つ分の数×いくつ分」の順序に書くこと
を前提とする指導法について語っています。それについてはどう思いますか?
◇A37. はい kikulog の
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284
におけるドラゴンさんの発言ですね。
まず、ドラゴンさんは次のように述べています。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292412189
|何か状況を式に表現するということは、対応できる式は1つになるように
|しなければならないと思うのですが、そういうことです。
|どうでしょうか。
これは無茶な考え方です。「3×5」のような簡潔な式だけで多彩な「状況」を
表現させようとするのは無理でしょう。これがこの議論の大前提なのです。
次に、ドラゴンさんの考え方は次の引用部分(長い)によく表われていると思います。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292414268
|5×3の式で、トランプのように配った子どもの解き方から1個ずつ数えた解き
|方から、何でもありというのは、どうも納得できません。
|
|私の考えていた解釈について、ちょっと一般的な授業の展開から考えてみます。
|
| ●●●●●
| ●●●●●
| ●●●●●
|
|こうしたアレイ図を見て、
|先生「どう数えたらいいでしょうか」
|そうすると、子どもは実にたくさんの数え方を出してくれます。
| Aさん 3個ずつ足す
| Bさん 5個ずつ足す
| Cさん 3つのかたまり5つ分で考えました。
| Dさん 5つのかたまり3つ分で数えました。
| Eさん 1つずつ数えました。
|
|先生「いろいろ出たね。それじゃあ、それを式に表してみましょう」
|
|※ここで、自由にさせるとCさんとDさんが同じになってしまい、それぞれの考え
|が表現されない。そこで
|「今日は、かけ算の場合は、まとまり×いくつ分で式にしましょう。たし算の場合は、
|左から……上から…」とすると、
| Aさん 3+3+3+3+3
| Bさん 5+5+5
| Cさん 3×5
| Dさん 5×3
| Eさん 1+1+1+1……
| Fさん 1+2+3+3+3+2+1
| Gさん 6×3
|
|先生「それぞれ、どう数えたか分かりますか」「Fさんの数え方分かりますか」
| 子ども「斜めだ!」
|先生「なるほど、そう数えたんですね」「Gさんのは?」
| 子ども「全部の数が15じゃないから、違うよ」
| Gさん「6のかたまりが見えたんで…」
| 他の子ども「だったら6のかたまりが2つで、あと…」
| Gさん「わかった。6×2+3だ」
|
| というかんじで進んでいきます。自分の考えを式に表し、友達が式に表した結
|果を読み取る、そして、子ども同士の話し合いから、どう数えるのが効率的かを
|理解していきます。
| ここでの議論と同様に、話し合うことで、新しい発見が生まれ、理解が深まる
|という授業です。
|
| ここでの話し合いの中での式は、数学としての言葉です。
| ですから、考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです
|(小学校2年生ではそうした訓練がされていないので、解説はいります)。
|
| こうした学習をするためには、(授業においては)順序が意味をもつこともあ
|ると思います。それが先に紹介した古い文部省の解説の「それを簡潔に表すとい
|う立場」にあたると思います。
ここで引用文中の太字化は引用者による。
(太字の部分にドラゴンさんの極端な考え方がよく表われている。)
ドラゴンさんは
Cさん「3つのかたまり5つ分で考えました」→「3×5」
Dさん「5つのかたまり3つ分で考えました」→「5×3」
のように「一つ分の数×いくつ分」という順序に掛け算を書くことを当然
の前提にしています。そのような前提があればこのような授業も可能だよと
主張しているわけです。
しかし、「一つ分の数×いくつ分」という順序に掛け算を書かなければ
いけないというローカルルールを引きずり続けることは必要でしょうか?
掛け算の順序に関する特殊なローカルルールを前提にしなくても面白い授業が
できるならば、ローカルルールへの害のあるこだわりはない方が良いと思います。
実際、わざわざ式を書かせなくても
Cさん「3つのかたまり5つ分で考えました」
Dさん「5つのかたまり3つ分で考えました」
と説明させれば十分でしょう。この発言だけでCさんとDさんがすでに
「一つ分の数」と「いくつ分」の概念を理解しているとみなせます。
そのようなCさんとDさんのそれぞれに「3×5」「5×3」という式を書かせても
それは単に「一つ分の数×いくつ分」の順に書くという特殊なローカルルール
にしたがわせただけに過ぎません。CさんやDさんのようにすでに十分理解している
子どもに対してさらに特殊なローカルルールにしたがうことを要求するのは
おかしいでしょう。このように特殊なローカルルールにしたがわせることに
こだわるのは間違った考え方です。
数式を現実に応用するためには、数式だけでは表現できない複雑な状況を図や
言葉を用いてわかりやすく他人に伝える能力が重要になります。
複雑な状況から式を作った途端に複雑な状況に関する情報はほとんど失われます。
だから複雑な状況を表現したければ式以外の情報が必ず必要になるのです。
これが大前提になる考え方です。
この大前提を無視して、式に過大な意味を持たせて利用しようとするのは止めた方
が良いでしょう。
私の考え方は以下の通りです。
| ●●●●●
| ●●●●●
| ●●●●●
の●の個数を全部数えれば3×5=5×3が計算できます。
正しい方法であれば数え方は何でも良い。
正しく数えればどのように数えても3×5=5×3を正しく計算できるわけです。
この立場ではAさんからFさん、そして考え方を訂正したGさんの
すべてが3×5もしくは5×3という式を立てても良いわけです。
実際AさんからGさんのすべてが3×5=5×3を正しく計算しようとしています。
より具体的な考え方や数え方の違いは3×5や5×3のような
式とは別に表現させることになります。
しゃべるのが得意な子どもには言葉で表現させ、
絵を描いて考えることが得意な子どもには図を描かせ、
式を使うことに慣れている子どもには「3+3+3+3+3」や「1+2+3+3+3+2+1」
のような式を書かせてもよい。もちろん、自分の考え方を表現できるならば
他のどのような方法でも構いません。
私にはこのような授業の方が複雑な状況を無理矢理式で表現させようとしている
ドラゴンさん式の授業よりもずっとまともで自然だと思います。
「考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです」
と考えているドラゴンさんは根本的なところでひどく誤解していると思います。
繰り返しになりますが、正しい考え方は次の通り。
・式だけで考えを十分に表現し切ることは不可能である。
・考えを正しく伝えたければ式以外の道具が必要である。
追記2011年2月20日:次のブログのコメント欄に登場した算数マニアさんの考え方は
上記のドラゴンさんの考え方に酷似しています。
PseuDoctorの科学とニセ科学、それと趣味「掛け算の順序論争について」
http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.com/2010/11/blog-post.html
以下の | から始まる行は算数マニアさんの発言です。
|「形成的評価」が主流でしょうからそんなに問題にはならない
現実には「形成的評価」がタイトルに入っている算数教育研究で採用された
指導案はまさに掛け算の式の順序を繰り返し徹底する内容でした。
|理系の方には、釈迦に説法ですが、式には「表現」と「計算(形式的処理)」の
|2つの意味があります。子どもの思考の過程では、まず表現して、それをもとに
|計算します。その表現の段階では、交換法則などを適応しません。そのごの形式
|的処理の段階で、交換法則を使ったり、分配法則などで計算しやすく式を変形し
|て処理がされます。
|
|多くの人は、算数の授業は教師が内容を教えて、子どもがそれを覚えて処理を繰
|り返すだけと思われているようですが、実際には、子どもたちが話し合って問題
|を解決していきます。
|
|「式表現」は、そこでの話し合いの題材にもなりますから、ある程度の共通理解
|(文法)は必要です。先に紹介した授業では、そうしたことから、子どもの多様
|な考えを引き出しています。決して子どもに考え方を押しつけているということ
|はありません。
|最初のコメントに書きましたが、式は「表現」と「形式的処理」の2段階があ
|ります。「形式的処理」では、交換法則を適用しますが、「表現」の段階では、
|相手に伝わらないことなどからも交換法則などを適用すべきではないと思います。
|>4.全く同じ様に見える式に「表現」と「形式的処理」という、2つの異な
|>る意味を持たせる事は、後になって混乱を引き起こす元になる、とはお考え
|>になりませんか?
| いえ、それはありえません。実際に、大人でもそうした過程を通っておりま
|す。ある程度身についた人は、表現を飛ばすことも可能になりますが、これは
|特別なことではありません。
| 例えば、円の方程式をいきなり展開して書くということはないと思います。
|まず与えられた条件で、円の方程式を書き、それから展開して「形式的処理」
|がなされるということになると思います。
| また、表現は式だけでなく、図やグラフも表現です。アレイ図で考えるとき
|も、まず、3個ずつ5皿という状況を子どもたちなりに並べて、それを並べ替
|え(形式的処理)て、例えば、「ぼくは、いつも2、4、6と数えるから2個
|ずつ並べた」ということが出てくるのだと思います。
| 割合の学習でも、数直線に表して、それから考えるという学習もあります。
|こうした経験をいくつも重ねていきますので、混乱すると言うことはありませ
|ん(発達障害の子どもは例外です。こうした子どもには応じた学習がなされま
|す)。
| まず、表現して形式的処理をして新しい発見ができる。こうしたことを学力
|だと考えております。文章題から答えを求めることだけではありません。
以上は算数マニアさんの発言ですが、上の方で紹介したドラゴンさんによる授業案
でも児童たちに考え方を式で表現することが強制されています。ドラゴンさん
による授業案はまるで算数マニアさんの考え方を具体化したもののようです。
あまりの名言(迷言)なので繰り返し引用してしまいますが、
「考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです」
とドラゴンさんは述べています。式は複雑な状況や様々な考え方を表現するためには
不適切な道具であることを算数マニアさんやドラゴンさんはわかっていません。
「3つのかたまり5つ分で考えました」と言えるだけの理解に達しているCさんに
まで掛け算の式の順序に関するローカルルールを使って「3×5」と書かせたいと、
ドラゴンさんは考えています。
この点について kikulog でも様々なつっこみが入りました。
「円の方程式をいきなり展開して書くということはない」という習慣に十分な
合理性があるからと言って、文章で表現された複雑な状況やその文章題を解くため
に使われた多様な考え方をを単純な式一本で表現させようとすることが不合理である
ことに変わりはありません(具体例については上のドラゴンさんの指導案を見よ)。
無駄なヤクソクごとや不合理な考え方を強制しても構わないというのが
ドラゴンさん式算数教育のようです。
算数マニアさんもドラゴンさん式算数教育に大賛成に違いありません。
現実には子どもにとって具体的な状況や文章題の内容を
式で表現できるまで抽象化することは大変なことです。
もしも文章題に対して立式の段階で許される式の形をたったひとつにしてしまうと、
多くの正しい考え方が排除されてしまうことになります。それは恐ろしいことです。
ちなみにドラゴンさんは治療学習のプリントのような教え方にも害がないと
考えているようです。さすがにここまで極端な「掛け順肯定派」は珍しいと思います。
しかも算数教育に関わっている人らしい。
算数マニアさんやドラゴンさんがおすすめの授業を受けた子どもたちは、
不合理な考え方を自発的な話し合いによって身に付けてしまうことになるでしょうね。
優れた教育技術によってデタラメな考え方を教え込まれてしまうのが
教育としては一番困ります。
さて、算数マニアさんとドラゴンさんのあいだには発言の内容だけではない類似点
が多数あるのですが、読者の楽しみのために詳しい説明は省略します。
(たとえば議論の相手の主張をまったく理解せずに批判・反論しているところとか、
酷似している点があまりにもたくさんある。)
ちなみに算数マニアさんは他の場所でも活躍しています。
Google で「"算数マニア" "掛け算" "順序"」を検索
追記2011年2月21日:記録に残しておくために「あらきけいすけの雑記帳」での
算数マニアさんの発言も引用してコメントを付けておきます。
以下の | から始まる部分は算数マニアさんの発言です。
引用時に文字化けしていた丸数字を括弧数字に直してあります。
算数マニアさんの考え方がよくまとめられていると思います。考え方がドラゴン
さんとまったく同じなので同一人物なのは間違いないでしょう。
掛け算などについては意味の分類について書きたがるのに、
「どうしてそうした方が良いのか」の理由の分類には弱く、
記号法などに関するルールについても違いを区別できていない。
これが算数マニアさんやドラゴンさんの特徴のひとつです。
http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20101115/p1
|
|算数マニア 2010/12/01 15:04
|
|《中略》
|
|授業例を紹介します。
|http://kusunoki.hs.plala.or.jp/sidouann/2nensidouann.pdf
|ここで、24個の机の数の求め方で、「2×9+2」「8×3」「6×4」
|「2×6+2×6」と4通りの求め方が出ています。こうしたそれぞれの考え方を
|認めています。それが今の算数教育の主流です。
このような柔軟な考え方には当然賛成です。
|このそれぞれの考え方を表現するためには、共通理解が必要です。
そしてこれも正しい。ただしその中身が大問題。
|かたまり×いくつ分で表現しようということは、表現の共通理解であります。
|この共通理解を思想統制と言われているのです。
「かたまり×いくつ分」の順に掛け算の式を書くことは単なるローカルルールです。
世界的に流通しており、今さら変えることが不可能な類のルールであれば
したがってもらうことは合理的なのですが、
日本社会内部に限っても掛け算を「かたまり×いくつ分」に書くとは限りません。
実際にはたとえ世界的に流通してしまっている共通のルールであっても
それは単なる習慣・約束事に過ぎず、そこには算数の普遍的真理は一片たり
とも含まれていないということを教える側は認識しておく必要があります。
「表現の共通理解」を子どもに強制するときには強制する理由について
誤解がないように十分に注意する必要があります。
|5×3と書いた子どもが、違う考え方を持ち、他の子どもと共通した表現方法で
|立式したというのであれば、×にはなりません。
|(この写真からは、そうした状況は読み取れません)
まず、正しい考え方をしていればそのことを褒めてあげるべきです。
正しい考え方をした上で共通の規則にしたがってしない場合には、
したがった方が合理的である理由をしっかり説明して
子どもに納得させるような教育をしてもらいたいものです。
「かたまり×いくつ分」の順に書くというルールは日本国内でも通用しません。
「かたまり×いくつ分」の順に掛け算の式を書くというルールを
「教師の俺がそう決めたからおまえらもしたがえ」という態度で押し付けて
はいけません。
「かたまり×いくつ分」の順に掛け算の式を書くというルールは単なるローカル
ルールに過ぎないのですから、したがってもらう場合には理由を説明して
子どもたちに「お願い」しなければいけません。
たとえば次のように説明して子どもたちに納得してもらう必要があります。
本当は「かたまり×いくつ分」の順序で掛け算の式を書く必要はありません。
「いくつ分×かたまり」の順序で掛け算の式を書いても正解なのです。
でもこの時間だけは一時的に「かたまり×いくつ分」の順序で掛け算の式を
書くことにしましょう。そのようにすればどの数字を「かたまり」「いくつ分」だ
と考えたかを式を書くだけで伝えられるからです。どうかよろしくお願いします。
ローカルルールを使う場合にはそれがローカルルールにすぎないことを
子どもたちにしっかり認識させなければダメです。
これはおそらく算数マニアさんには思いも付かない考え方だと思います。
個人的には上のように話すことによって「かたまり×いくつ分」の順序で掛け算の
式を書くというルールに納得してもらうコストをかける価値があるかどうか自体に
疑問を持っています。しかし、真実を隠さずに子どもたちに伝えた上で、
納得できる理由を説明して「お願いする」という態度で一時的にローカルルール
にしたがってもらうことを要請するのであれば、「やってはいけないこと」には
分類せずにすみます。
|日本の教室は担任制ですから、教師は、この子はこう考えるだろうというのが、
|大まかに予想できます。そして、このテストの前には、こうした順序についての
|学習もしております。その後で5×3と書いたのは、この子の理解に何らかの問
|題があったと考えるのは通常です(×をつけたのは適正かどうかは別です)。
|
|「【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか」
|で書かれていたことは、こういうことです。
「【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか」
も算数マニアさんは肯定できるようです。いやはや。
|文字式で「ax」と書くところを「xa」と書いた生徒がいたとします。この「xa」
|を認めることが自由な発想と言えるのでしょうか。
自由な発想だと言えます。
確かに習慣的には、文字 a,b,c は定数の意味で、
文字 x,y,z は変数の意味で使われることが多く、
さらに定数と変数の積は「定数・変数」の順に書くことが多いです。
しかし、実際にはこのような習慣にしたがうとは限りません。
文字 a が変数の役割を果たすことはよくあるし、
何らかの理由で定数を後に書きたくなることもあるかもしれません。
いずれにせよ「xa」と書いても数学的には誤りではありません。
|やはり「ax」と書いた方がよいと指導するのではないでしょうか。
|「xa」と書いた生徒は、定数と変数の理解に問題があると思われるのではない
|でしょうか。
「ax」と書いた方がよいと指導するときには、その理由の説明が重要です。
単に「ax」と書くことを強制するのはひどい教え方だと思います。
まず、「xa」と書くと数学的に間違いになるかのように教えてはいけません。
なぜならばそのように書いても数学的には正しいからです。
世界的な習慣に合わせた方が他人に式を読んでもらうときに違和感を感じて
もらわずにすむ、というようなお話をするのが正しい教え方だと思います。
数学的な考え方に関する正誤の基準と記号法に関する習慣・約束事は
異なるという点を明確にしておかなければ生徒は混乱してしまうことでしょう。
|また、円の方程式を書きなさいという問いに、展開された式を書いた場合はどう
|なるのでしょうか(数学の評価については、よく知りません)。
|
|小学校では、式を「表現」と「形式的処理」の2面で考えます。子どもは、文章
|題を数学的に「表現」し(立式)、その式を形式的処理をして答えを求める過程
|をとります。ここで「表現」されたものが、適切であるかどうかを見ることが、
|思想統制なのでしょうか。
掛け算の式を常に「一つ分の数×いくつ分」の順に書かなければいけない
と教えるのは思想統制でしょう。
思想統制にならずにすむためには「どちらの順で書いても構わない」という真実を
強調した上で理由を説明して一時的にそのローカルルールにしたがってもらうこと
を納得してもらうようにしなければいけません。
|円の方程式を書くというのも「表現」でしょう。ここで展開された式を書くのは
|どうかと思います。文章題から立式したものも、まず展開されていないものを書
|く方がよいと思います。
まず、展開された式をいきなり書いても数学的には誤りではありません。
さらに円の方程式の同値な表現法はたくさんあります。
考え方さえ正しければ何をしても構いません。
もちろん考え方を他人にうまく伝える技術も重要です。
そのためには他人がしたがっている習慣に自分もしたがった方が得になります。
極端な話として、自分だけしか理解できない記号体系で
説明されても他人はまったく理解できなくなります。
だから自分の考え方を理解してもらいたいならば、
記号体系に関する必要最小限の規則にはしたがわないとまずい。
それに対して「円の方程式をいきなり展開して書かない」という程度のことで
あれば、したがわなくても、相手が十分な数学的理解力を持っているならば
意志疎通は十分に可能です。
「円の方程式をいきなり展開して書かない」というようなことは
「ていねいに説明した方がわかりやすい」とか「つまらないミスを減らすため」
のような理由ですすめるのが正しい教え方でしょう。
円の方程式をいきなり展開して書くと数学的に誤りになるというように
誤解させてはいけません。
|ここで子どもたちに身につけさせたいのは、文章題の解き方だけではありません。
|それぞれの数の意味を理解していること、状況を的確に式に表すことです。表現
|のルールはローカルルールでかまいません。教室内だけで通じるものでもいいの
|です。そしたことが、この問題の背景にあることをご理解いただきたいと思いま
|す。
子どもたちに身につけさせたいのは、文章題の解き方だけではありません。
それぞれの数の意味を適切にとらえ、状況を的確に抽象化して理解することです。
式は抽象化する前の状況を表現するためには不適切な道具です。だから、
子どもたちに式で抽象化する前の状況を表現することを強制してはいけません。
もちろん子どもたちに「掛け算の式の順序はどちらでもよい」のような真実を
つつみ隠さずに教えながら、一時的にローカルルールにしたがってもらうことを
「お願い」することは許されます。しかし、そのような「お願い」のコストが
得られる利益を上回るかどうかについて十分に検討した方が良いでしょう。
|算数マニア 2010/12/09 10:31
|
|この問題も下火になってきた感がありますが、ちょうど学校でこの内容を学習す
|る時期でもあるので、現場で変な混乱が起きないかも心配です。特に研究者の方
|の意見はそれなりに影響もあるかと思います。
個人的に特にこの文書は現場の教師の方々に読んでもらいたいと思っています。
常識ある大人であれば掛け算の式の順序にこだわる教え方の馬鹿ばかしさは
明らかだと思います。
しかし、同僚や上からの暗黙の強制によって掛け算の式の順序にこだわった教え方
をせざるをえない状況に追い込まれている教師の方々もいると思います。
たとえば他の先生が掛け算の式の順序にこだわった教え方をしているので、
もしも自分だけが「どちらの順でも構わない」と教えると「混乱」が生じてしまう
から「できない」と思っている人もいると思います。
そのような状況に追い込まれている教師への援護射撃になれば個人的にとても
うれしいと思っております。
逆に今までずっと掛け算の式の順序にこだわることを他の教師にすすめたり、
強制してきた人たちは、近い将来名指しで厳しい批判を受ける可能性を覚悟
しておく必要があるでしょう。
|前のコメントでは情報提供のみと思っておりましたが、その後考えたこともふく
|めて整理しました。
|
|この問題を次のように考えます。
|・かけ算の順番は数学の内容ではなく、表現の形式である。
|・表現の形式を統一することは意味があり、思想を統制するものではない。
算数マニアさんは式は状況を表現するためには向かない道具であることがわかっ
ていません。
「掛け算の式の順序はどちらでもよい」という真実について教えずに、
ローカルルールをローカルルールであることを認識させずに強制するようでは
「思想統制」と呼ばれても仕方がないでしょう。
|次のことをここでは前提とします。
| 乗法には、大きく分けると(1)「同数累加(倍)」,(2)「量×量(積)」,
|(3)「基準量×割合」の3つの意味があり、今回の問題では、(1)の意味に限定する。
|
|本論
|1 かけ算の順序は数学的な内容か
| かけ算の順序は、国によって違い、普遍的なことではない。普遍的ではないものは、
|数学の内容ではない。したがって、かけ算の順序は、かけ算の表記の形式である。
|
|2 日本において被乗数×乗数の順序は一般的なルールか
| 日本語においては、a×b=被乗数×乗数 の順序である。(大辞林)
| 日本の数学においてもa×b=被乗数×乗数 の順序(数学小辞典 共立出版)
| ともに、乗数を「乗法で、掛けるほうの数。a×bのbをいう」と順序で記述
| かけ算九九は被乗数×乗数である。
|
| よって、日本においてはかけ算を被乗数×乗数で記述するのは一般的なルールである。
このようなやり方で「日本においてはかけ算を被乗数×乗数で記述するのは一般的
なルールである」と結論を出す算数マニアさんには、失笑を禁じえません。
まず、日本には中学校以上の学校も存在しないし、
普段の仕事で数式を使っている人たちも存在しないらしい。
さらに掛け算の式の順序にこだわった教え方で自分の子どもの答案にバツを
付けられたことに疑問に思っている保護者たちも日本には存在しないらしい。
実際には本気で怒っている保護者までいるのはどうしてなんでしょうかね。
あと、日本でも請求書や見積書では「数量」「単価」「金額」の順に数字が並んで
いることが多いようです。そのような商習慣にしたがっている人たちにとって
「数量×単価=金額」の順に掛け算の式を書く方が合理的でしょう。
http://www.google.co.jp/images?q=%90%BF%8B%81%8F%91&biw=912&bih=667
http://www.google.co.jp/images?q=%8C%A9%90%CF%8F%91&biw=912&bih=667
日本語の後順に合わせて被乗数×乗数の順番に書くという歴史的習慣は確かにあ
るようですが、実際には逆の順に書くことも多く、一般的なルールは存在しません。
算数マニアさんもドラゴンさんと同様に「都合の悪い事実」が見えていないよう
です。
たとえ日本国内では一般的に通用する規則であっても強制して構わないというこ
とにはなりません。
|3 被乗数×乗数とはどういうことか。
| 他の演算と同様に 被乗数に対して「×乗数」という作業がなされること。
| a×bであれば、aをb倍する、aをb回足すなど。
| よって、3×5は、3の5倍または3+3+3+3+3を意味することになる。
そのようにローカルルールを決めればそうなるというだけのこと。
要するに単なるローカルルール。
|4 こうしたルールを強制することは問題か
| 例えば円周率をπで表記することは普遍的なことではない。世界中で明日から
|qと決めれば変更も可能である。普遍的に通用する考え方ではない。円周率の値
|は普遍的な内容。
その通り!
| わり算の記号は、日本では「÷」だが、ドイツでは「:」である。であるから、
|この演算記号も特殊ルールである。(÷は学習指導要領に明記)。
その通り!
ドイツ帰りの帰国子女が割り算の記号を「:」と書いた場合には、
むげにその答案にバツを付けてはいけないでしょう。
記号法は単なる約束事に過ぎず、算数の本質そのものではないのだから、
そういうところで日本嫌いや算数嫌いを増やすのは止めた方が良いです。
習慣の違いを優しく教えるようにして欲しいものだと思います。
あと一般的には通用しているが、小学校では教えない記号法(たとえば「/」)
を小学生が使っていてもむげにバツを付ける必要はありません。
| こうした表現の形式を統一することは、必要なことである。人によって円周率
|の記号を変えたり、演算記号を変えたりするのでは適切ではない。
表現の形式を他人に合わせる理由の説明が重要です。
人によって円周率の記号や演算記号は違っていても良いし、
自分だけ違う記号を使っていても考え方が正しければ問題ありません。。
ただし、他人に自分の考え方を伝えたければ共通の記号法にしたがわないとダメです。
どうしても自分独自の記号法やルールを使いたければ十分に説明してから
使わなければいけません。
たとえば「一つ分の数×いくつ分」の順に書くことは共通のルールではないので
そのようなルールを授業で使いたければ十分に説明してからにしなければいけません。
教師の側がそのルールを一時的に使用したければ、
子どもたちに納得できる理由を説明してお願いしなければいけません。
あと習慣の違いに関して教師の側は寛容でなければまずいでしょう。
考え方が間違っていることと単なる習慣の違いの区別を明確にして欲しいものです。
|5 表現の形式をそろえることの教育的な意味
| 先に紹介した24個の机の数の求め方の事例で、子どもたちから出た
|「2×9+2+…」「8×3」「6×4」「2×6+2×6」が解法である。
|ここでは4通り紹介されているが、実際の授業ではもっと多くの方法が出たであろう。
| ここでは表現の形式を統一したことにより、それぞれの多様な考えが表現でき
|ている。形式の統一は、多様な考えを保証することになる。
| こうした学習から「3×8は8×3と同じ24だから、この教室だと3人ずつ
|8列で並んだ方が、うまく収まります」のように式で思考したことで新しい発見
|が生まれることもある。
本当に「掛け算の式の順序の統一」が必要かどうかを確認するために、
算数マニアさんが紹介している次の指導案を見てみましょう。
http://kusunoki.hs.plala.or.jp/sidouann/2nensidouann.pdf
その「学習活動と予想される反応」に以下のような図があります。
> (ア) 2×9に2をたしていきました。
>
> 黒板 2×9=18
>
> 机 机 机 机 机 机
>
> 机 机 机 机 机 机
>
> 机 机 机 机 机 机
> -------------------------
> 机 机 机 机 机 机
> 20 22 24
>
>
> (イ) 8が3つあるので8×3=24です。
>
> 黒板
> ----- ----- -----
> |机 机| |机 机| |机 机|
> | | | | | |
> |机 机| |机 机| |机 机|
> | | | | | |
> |机 机| |机 机| |机 机|
> | | | | | |
> |机 机| |机 机| |机 机|
> ----- ----- -----
>
> (ウ) 横に6個、それが4れつならんでい
> るので、6×4=24です。
>
> 黒板
> -----------------------
> |机 机 机 机 机 机|
> =======================
> |机 机 机 机 机 机|
> =======================
> |机 机 机 机 机 机|
> =======================
> |机 机 机 机 机 机|
> -----------------------
>
> (エ) 2×12は2×6が2つだから
> 12+12としました。
>
> 黒板
> -----------------------
> |机 机 机 机 机 机|
> | |
> |机 机 机 机 机 机|
> =======================
> |机 机 机 机 机 机|
> | |
> |机 机 机 机 机 机|
> -----------------------
(ア)~(エ)のどれもが掛け算の式の順序の統一などしていなくても何も問題が
ないことがわかります。
算数マニアさんは仮に(イ)の図を描いて「8が3つあるので3×8=24です」
と答えた子どもに「8×3と書かなければ誤りだ」と指導したいのでしょうか?
さすがにそれは有害な教え方でしょう。
「教師の支援・留意点(評価)」に
> ○ 2が12個あるので、式は2×12でよいことを確認する。
とありますが、「実は12×2と書いてもよい」という事実を
教師が十分に認識していれば問題ありません。
上の指導案はちょっとした修正で掛け算の式の順序に関するローカルルール抜きで
可能な指導案に容易に修正できます。
それに対して上の指導案を参考にしてドラゴンさんが作ったと思われる指導案は
全然ダメです。なぜならば図や言葉だけで十分に考え方が伝わる場合であっても
式で考え方を伝えることが指導案の中心にすえられてしまっているからです。
式は状況や考え方を表現するためには不適切な道具であることがわかっていない。
詳しい議論についてはQ37を参照してください。
| これが、「式で表し、式を読み、式で考え、式で説明する」ということである。
|こうしたことができる子どもを育てることを算数教育では目標としている。
この人がこれを本気で書いているとすれば常識外れもはなただしい。
上で引用されている算数マニアさんが紹介した指導案の主眼は
「式で表し、式を読み、式で考え、式で説明する」ではありません。
掛け算を使って様々な考え方をできることを教える楽しい授業案を目指しています。
それに対して算数マニアさんは式の使用に異様なこだわりを持っています。
あまりにも極端でかつ常識外れなのでびっくりしてしまいました。
繰り返しになりますが、ドラゴンさんは
「考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです」
と述べています。さすがにこれは極端過ぎてデタラメな考え方です。
「2+3」や「4×6」のような式は複雑な状況や考え方を表現するためには
向かない道具です。式が何を意味するかは決まっていません。
そのおかげで完全に同じ式をまったく異なる状況に適用できるのです。
使いものになる合理的な考え方を子どもたちに教えたければ、
「式による表現には限界がある。式だけが算数ではない。
図や言葉などあらゆる方法(もちろん式も含む)を使って
自分の考え方を全力で説明すること!」
のように教えて欲しいと思います。
まとめ2011年2月21日
ドラゴンさんは算数教育に関わっていると述べています。
そして算数マニアさんとドラゴンさんは間違いなく同一人物でしょう。
算数教育に関わっている人が実名を明かさずに同時期に複数のハンドルを使ってまで
「掛け算の式の順序にこだわった教え方」を支援するような「情報提供」をした意図
は一体なんだったのでしょうか?
数年前から使用している「ドラゴン」以外のハンドル「算数マニア」を
使用したのは匿名性を高くしたかったからでしょう。
TOSS批判を積極的にしており、算数教育に関わった仕事をしているドラゴン氏とは
無関係の算数マニア氏として発言したかったのはなぜなのか?
(発言内容から算数マニア氏=ドラゴン氏であることは明らかなのですが)
ドラゴンさんは kikulog における円周率に関する議論で私が書いたもの
を誤解したまま3.14にこだわらないことについて大変なこだわりを見せていました。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1170070232#CID1172449808
そして「小数点2位の計算が学習範囲に入っていないせいで3.14で計算すると
矛盾が生じるので、電卓を活用してもよい」ということであっても大して問題が
ないと考えているようです。実際、ドラゴンさん曰く、
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1170070232#CID1172280179
>実際は、円周率は3.14と示されていますが、該当学年では小数点2位の計算
>が学習範囲に入っていないので、3.14で計算すると矛盾が生じるということ
>なのです。そこで、電卓を活用してもよいということになりました。単に指導要
>領批判をしたい人たちが、そういうところを突いて、学力低下論を展開したのは、
>問題があると思います。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1170070232#CID1172308126
>電卓を使って3.14で計算することでどんな問題が起きるのでしょうか。
>そこに答えた批判を、見たことも聞いたこともないのです。
ドラゴンさんの発言には「何かを守りたい」という意志が見え隠れしていると思
います。何を守りたいのか?
ドラゴンさんの件の教訓は以下の通りだと思います。
ドラゴンさんの件によって算数教育に関わっている人たちに質問するときに
どのようなことに注意しなければいけないかが明らかになったと思います。
ドラゴンさんは子どもたちが自由な発想をすることを強く肯定していますが、
それと同時に「治療教育のプリント」のような教え方も肯定しています。
さらにドラゴンさんは計算ができるようになれば良いわけではないと非常にもっと
もな意見を述べているのですが、3.14のように小数点2位までを含む小数の計算を
電卓ですませる教育をしても害がないと思っている。
このようにドラゴンさんは、穏当に聞こえる発言を一方でしておきながら、
その裏ではひどく極端な考え方をしているのです。
(結局、極端な考え方も表に出てしまっているのですが。)
このような事例が存在することは、算数教育に関わっている人たちに
取材したときに、たとえ穏当に聞こえる回答が返って来たとしても、
そのまま素直に受け取ってはいけないことを意味しています。
「掛け算の式の順序にこだわりすぎるのはよろしくない」と明言しながら、
本音では相当に極端なこだわりを持った教え方まで算数教育業界の習慣として
肯定しているかもしれません。算数教育に関わっている○○氏が
掛け算の式の順序に極端にこだわる教え方を否定していることを
はっきりさせるためには、実際に使われた指導案で極端なものを
否定してもらう必要があると思います。
算数教育に関わっている○○氏が「計算ができるようになれば良いという考え方
は間違いだ」ともっともらしい意見を述べていたとしても、小数点2位までを含む
小数の計算は電卓ですませても問題がないとまで思っているかもしれません。
しかも立証責任は「問題がある」と主張している「算数教育素人」の側にあると
思っているかもしれません。
以上の文章を算数教育に関わっている方々が読むとお怒りになるかもしれません。
もしも私が誤解しており、さらにその誤解を解くような実名での発言が出て
来たならば、私は大変うれしく思います。
ドラゴンさんのようなデタラメを述べる人が算数教育に関わっていると述べて
いることを確認してしまったときには本当にショックでした。
追記2011年2月22日:算数マニアさんと積分定数さんが出会いの場所を見付けました。
以下の | から始まる行はすべて算数マニアさんの発言です。
引用時に丸数字を括弧数字に置換しました。
http://sudahato.jugem.jp/?eid=3
|
|私は、数学のよさの一つに、「複雑なものをシンプルにして考えることができる」
|ことがあると思っております。
|
|2010/11/30 6:23 PM
まったくその通り! (笑)
|言葉については次のように区別しています。
|数学の内容:数学という学問の規定されている内容
|学習の内容:学習指導要領で定められている内容
|算数:数学という学問を背景にして子どもに学習指導要領算数編の目標を
| 達成するために構成された教科 算数と数学はイコールではない
|指導法:個々の教師の授業そのものではなく、一般化されたもの
「学習指導要領算数編の目標を達成するために構成された教科」という「算数」の
定義はいかにも官僚的な感じがしますね。この定義は相当に特徴的だと思います。
世の中ではどのような人たちがこのような定義を使っているのでしょうか。
|>文章題において、1つあたりといくつ分は視点の違いで逆転しうる。
|>(1つあたり)×(いくつ分)はかけ算導入の1つのとっかかりに過ぎない
|>ということを教師は認識して教えるべきだ
|
|「とっかかりにすぎない」かどうかは、異論があります。
おお!「掛け順授業擁護派宣言」ですね。
|>1つあたりといくつ分は視点の違いで逆転しうる。
|(1) これは、肯定します。
|
|>(1つあたり)×(いくつ分)
|(2) この順序についてを言われているのですね。
|「(1つあたり)×(いくつ分)の順序は」として考えます。
|(3) この順序は、表現の様式であって数学の内容ではありません。
|例えば、教室といったローカルな場面での共通理解が図れればそれでよいのです。
|表現ですので、自分の中で完結するのではなく、
|自分の考えを他人に理解してもらえるように配慮する必要があります。
自分の考えを他人に理解してもらえるように配慮する必要があるというの
はまったくその通り。
しかし、そのような配慮は子どもたちだけではなく、教える側にも必要です。
この人はきっと「一つ分の数×いくつ分」の順に掛け算の式を書くという
表現様式が「普通」であると思っているんでしょうね。実際には掛け算の式の順序
に関する「普通」のルールは日本国内に限っても存在しません。だから、
掛け算の式を「(1つあたり)×(いくつ分)」の順で書くというルールを
勝手に使われてしまうと共通理解がはかれなくなってしまいます。
そのような特殊なルールを他人にも採用してもらう場合には
その理由を納得できるように説明してお願いするというのが通例になっています。
たとえ子どもが相手であっても理由を説明してお願いするのが正しい教育という
ものでしょう。
果たしてその「お願いする」という場面が実際に流通している掛け算の式の
順序に関するローカルルールを用いた算数の指導案に書かれているのか?
もしもはっきり書かれているならば素晴らしいと思いますが、
私がインターネットで検索した限りにおいて、
そのようなものはひとつも見つかりません。
そもそも子どもたちにローカルルールを採用する理由を納得できるようにしっかり
説明していたならば、「どうしてバツをつけられたのかわからない」という事態
には陥らないはずです。子どもたちを納得させることに失敗しているから、
子どもたちをがっかりさせ、保護者たちを怒らせてしまっているわけですよ。
世間一般では通用していないルールを勝手に設定して
教室の子ども全員をそれにしたがわせてかつ無事に害なく授業を進める
というのはそう簡単なことではないと思います。
|(4) 交換法則が成り立つからといって、中学校の文字式で、
|xaと表記した生徒がいれば、「ax」のほうが適切だよ、と言うレベルのものです。
|「xa」と表記した生徒を、自由な発想と認めるのでしょうか。
|むしろ、「定数と変数に誤解があるのでは」と考えるのではないでしょうか。
この点については上の方でコメントしました。
|(5) したがって、「高学年であっても、(1つあたり)×(いくつ分)という状況を
|式に表して、他人に伝える場面においては、表現を共通理解するという意味において、
|順序にこだわる必要もある」と考えます。
おお、「高学年であっても」!!!
まさに「掛け順授業擁護派」の面目躍如ってところですかね。
|(6) (1)については、積分定数さんが書かれた、
|>これは、1円の3割が0.3円 それが700円分だから 0.3円×700 と
|>いう考えに近いと思います。
|という考え方もあるからです。ただし、これの表現も、この順序で書かれるから、
|積分定数さんがその意味を理解したのだと思います。700×0.3と立式すれば、
|他の子どもと同じように考えたと捉えられるでしょう。ですから、式表現には、
|順序に意味があります。
このような人を相手にした積分定数さんは本当に大変だったと思います。
頭がおかしくなってしまいそうです。
|(7) もうひとつ授業を紹介します。ある意味典型だと思います。
|http://www.kagawa-edu.jp/kasana01/sidouan/2nen/h19-2-02-s.pdf
|ここでは、牛乳の数え方を多様な考えで見ています。
|実際の授業では、もっとたくさんの数え方が出てきているでしょう。
|決して教師の枠をはめているわけではない。
|ただ、この数え方を式に表現する際には、共通した表現が必要です。
|この教室で縦×横で考えましょうという前提があるのに、
|5×4と3×4の2つのかたまりで考えた子どもが、
|4×5と4×3と表現すれば、他の子どもに伝わるでしょうか。
|ちなみに、縦×横には完全にローカルルールで、必然はありません。
この段落がすごい! どこがどうすごいかを読者にわかってもらうために
算数マニアさん紹介の指導案の中から関係する部分を引用しましょう。
(ただし例によって図を文字で適当に再現しました。)
読者の方々は、掛け算を「縦×横」の順に書くというローカルルールが
この指導案のどこにどう関係しているのかに注意して読んで下さい。
http://www.kagawa-edu.jp/kasana01/sidouan/2nen/h19-2-02-s.pdf
>
> 「同じかたまりがいくつかある」とき、かけ算で表すことができたよ。
>
> ┌────────┐
> 【問題1】ケースに牛乳ビンが │○○○○ │
> 右のように入っています。牛乳 │○○○○ │ 牛乳ビンのケース
> ビンの本数は全部で何本でしょ │○○○○○○○○│ を上から見た写真
> う。 │○○○○○○○○│
> │○○○○○○○○│
> └────────┘
> 牛乳ビンの数をくふうして求めよう。
>
> 1本ずつ数えるのは面倒だ。かけ算が使えるようにできないかな。
>
> とる →→→→
> ↑ ↑ ↓いどう
> ●●●● ●●●●○○○○ ○○○○ ↓
> ●●●● ●●●●○○○○ ●●●●○○○○
> ●●●●○○○○ ●●●●●●●● ●●●●●●●●
> ●●●●○○○○ ●●●●●●●● ●●●●●●●●
> ●●●●○○○○ ●●●●●●●● ●●●●●●●●
> 5×4=20 5×8=40 4×8=32
> 3×4=12 2×4=8
> 20+12=32 40-8=32
>
> それぞれの方法に名前をつけよう。
>
> 分ける たしてひく 引っ越し
>
> いろいろな方法がある。ぼくは○○の方法は思いつかなかった。
>
> ●●●●●●● こんなときはどうすればよいだろう
> ●● ●●● 「分ける」「たしてひく」などを考えて、
> ●● ●●● はやいほうをしよう。
> ●●●●●●●
> ●●●●●●●
>
> 問題によって、はやいほうほうはかわる。
> このときは、「たしてひく」のがはやいなあ。
はい、算数マニアさんは「縦×横」の順に書くというローカルルール
を必要な前提とみなしていましたが、そのようなローカルルールは
この指導案に何も関係ありません。
5×4と3×4の2つのかたまりで考えた子どもが、
4×5と4×3と表現しても何の問題も生じません。
算数マニアさんは何をどう見ていたのでしょうか。(笑)
|(8) この授業はもちろん掛け算の導入場面ではありません。
|そうした授業でも掛け算の順序は、表現として意味があります。
ありません。
|結論 よって掛け算の順序には表現様式として意味があるので、
|「とっかかりにすぎない」ことではない。
結論 算数マニアさんの議論はデタラメ過ぎて痛い。
率直に言って、実際に行なわれている掛け算の式の順序を利用した授業よりも
算数マニアさんの考え方にしたがった授業の方が何倍も害が大きいと思います。
|《以下略》
|2010/12/01 11:09 AM
算数マニアさん特有の奇妙な考え方はドラゴンさんによる次の一文で要約できます。
「考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです」
式だけで説明をすませることができるという誤解を子どもたちに広めたいらしい。
通常の常識的考え方は次の通りです。
「5×3のような式を書くだけでは考え方が伝わるとは限らないので、
誤解なく考え方も伝えたければ図や言葉なども使って詳しく説明するべし!」
式で表わした段階では解説は不要となる(べきである)というような考え方は
あまりにも極端でひどすぎます。
上の算数マニアさんのコメントは2010年12月1日に書かれています。
そして、kikulog の「掛け算の順序問題について(山のように追記あり)」
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284
に積分定数さんが初登場するのはその8日後の2010年12月9日で
さらにドラゴンさんが初登場するのはさらにその次の日です。
今読むと面白いのはドラゴンさんが kikulog 初登場時に
次のように報告していることです。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1291943623
>以前、教員養成系の数学教育担当の先生にお尋ねしましたが、
>「[かけ算の式の順序には]それほど厳密にはこだわる必要はない」というお話しでした。
「厳密にこだわるのはもってのほかである」というお話しでした
とは述べていない点がとても興味深いです。
追記2011年2月25日:算数における正誤の基準について考える上で
興味深い授業例を見付けたので紹介することにします。
教育の窓・ある退職校長の想い
小学校初任者指導、現職の思い出、ホットな教育問題などをとり上げます。
2007年03月10日 育つ初任者(9) パワフル算数!
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/936115.html
それは次のような授業だったようです。
Aちゃんの問題:「まさお君の縄跳びは、2m13cmです。秋子さんの縄跳びは、
2m34cmです。どちらが何cm長いですか。」
Bちゃん、Cちゃん、Dちゃんは次のように答えました。
Bちゃん 2m34cm-2m13cm=21cm
Cちゃん 34cm-13cm=21cm
Dちゃん 234cm-213cm=21cm
「Cちゃんのは変だ」という声が出ました。
それに対するCちゃんの対応が素晴らしい!
Cちゃん:「おかしいって言う人がいるけれど、2mはどっちも同じでしょ。
だったら、違いがないのだから、書かなくったっていいじゃん。
時間が無駄なだけ。だから、cmの方だけ、式に書いたのだよ。」
児童:「cmだけ書いたって言うのなら、Dちゃんのも同じだよ。だから、
234cmって書けばいい。」
Cちゃん:「反対。みんなcmにしちゃうと、数が大きくなっちゃうから、計算が
めんどうくさくなっちゃう。」
Eちゃん:「めんどうくさくないよ。2mの200から200をひいて、0にして、~。」
突然Cちゃんはすっとんきょうな声を出して:「だから、それを、ぼくは言ったのだよ。」
担任:「そうかな。Eちゃんの『2mの200から200をひいて、0にして、~。』
っていうのは、初めっから書かないのとおんなじかな。」
(担任は何とか「2mも書かなければだめ」という方向に持って行きたい。)
Cちゃん:「Aちゃんの問題は、『何cmですか。』って聞いているのだよ。
それで、2mは、mで、cmじゃないでしょう。だから、2mは書かなくていい。
それに、さっきも言ったけれど、2mと2mは同じだから、34cm-13cmでいい。」
児童たち:「それなら、Dちゃんのは、234って全部cmに直したのだから、
それがいいじゃん。」「そうだよ。234の方が簡単だよ。」
Cちゃん:「ええっ。簡単じゃないよ。ややっこしいよ。」
「第一、234cm-213cmなんか、まだ習ってないじゃん。」
(2年生の授業なのでまだ3桁の引き算は習っていません。)
児童:「そう。習っていないのは、まだ分からない人もいるのだから、だめ。
34cm-13cmの方がいい。」 (ついにCちゃんへの賛同者が!)
児童たち:「反対で、わたしは、Bちゃんの2m34cmって言った方がくわしいと思う。」
「くわしいんじゃなくてね。2m34cmって言った方が、どのくらいの長さか分かりやすい。」
「そう。234cmって言っちゃうと、2m34cmじゃないみたい。」
「そうだよ。234cmって言っちゃうと分かりにくいから、みんな、
2m34cmって直そうとするよ。」
担任:「でも、計算は、234cmって言った方がわかりやすいよね。」
児童たち:「ええっ。なんでえ。」
「2m34cmって言った方が分かりやすい。2mなら、2-2だから、計算も簡単。」
担任:「なるほど。Cちゃんの34-13は、もう一つ、2-2があるんだ。
あるのだけれど、かくされているのだ。」
児童たち:「だったら、かくさないで書けばいいじゃん。」
児童たち:「あのね。234っていう数字も、問題にないよ。
だから、だめなんじゃないの。」
「34-13の方が、分かりやすい。」
「そうか。全部cmにしちゃうと、分かりにくいんだ。」
「そうだよ。校舎なんか測ったら、全部cmだったら、2万とか、
ものすごく大きくなっちゃって、計算が大変。」
「楽に計算しようとして、mなんかがあるんじゃないの。」
「そうだよ。kmなんかもあるよ。」
「反対に、mmもある。糸がこれくらいの長さしかないときは、これの方がいい。」
児童:「今度は、汽車の長さを測ってみたい。」(教科書に汽車の絵)
「汽車は、はさみ一個分だった。」
児童:「1mのものさしがあったでしょう。長いものを測るのには、
それを使ったほうが楽だったでしょう。それと同じで、2m34cmって言った方が、
計算が楽になる。」
担任:「今日はみんないい勉強ができたね。ものさしの話が出たり、
mとcmと、両方使って計算した方がいいということになったり、
数が大きくなると計算が大変とか、いろんな話がでたね。」
Cちゃんが満足そうに言った:「うん。パワフル算数だったよ。」
これに賛同する意見が多数出て授業は収束。
Cちゃんの解答の是非についてブログ主の toshi さんは次のようにコメントして
います。(toshi さんはもと校長先生で小学校初任者指導をしている方のようです。)
>それにしても、今の日本の教育では、34cm-13cmでは、式としては×なのだろうね。
>わたしはこの授業を見ていて、○にしてやってもいいような気がしてきた。
私はこの「式としては×」という言い方にびっくりしてしまいました。
「式としては×」は「考え方も計算も正しいが、式としてはバツ」という意味だ
と思われます。式だけでは考え方が伝わるとは限らないことを無視して、
たとえ正しい考え方の下で書かれた式であってもその式をバツにすることがある、
というような教え方が普通になっているということなのでしょうか?
話題を脱線させてしまいますが、他にも「立式」という言葉もかなり気になって
います。単に「式を立てる」という意味であれば問題ないのですが、この言葉が
算数教育の文脈で使われる場合には「正しい式の立て方がひとつに決まっている」
というような暗黙の前提があるように感じられる場合が多いのです。
「答は正しいが、立式は誤り」のような評価の仕方をする場合には
「正しい式の立て方はたくさんある」という事実を十分に認識しておく必要が
あります。そして形式的に式の立て方を問題視するのではなく、
「答の数字は偶然合っていたが、考え方は間違っていた」とか
「答の数字も考え方も正しいようだが、
式の書き方も含めて説明が省略され過ぎていてわかり難い」とか
「答の数字は正しいが、説明が雑過ぎて考え方が読み取れない」
などのようなより精密な評価をするように気を付ける必要があるでしょう。
「正しい考え方をしているか」と「プレゼンテーションとして優れているか」
は異なる評価基準であることを忘れてはいけません。
どうしても特定の種類の式を書かせたければ、
前もって特別に指定しておかなければいけないでしょう。
ただし、指定したルールがローカルルールにすぎないならば、
そのことがわかるように説明しなければいけません。
そしてローカルルールにしたがわないことと考え方が間違っていることは
まったく違うという事実もしっかり伝えなければいけません。
場合によっては寛容の精神のもとで考え方は正しいけどローカルルールに
したがわない行為を看過する必要もあるかもしれません。
正しい考え方をするだけではなく、考え方を説明する力を育てたければ、
「式に表した段階では解説は不要」などと変な誤解をさせることなく、
式だけに頼らずにあらゆる手段を使って自分の考え方を説明させる機会を
作ってあげるべきだと思います。
「掛け算の式の順序にこだわる授業」を否定するだけではなく、
「答は正しいが、立式は誤り」のような評価の仕方自体が要注意であることを強調
しなければいけないかもしれませんね。正しいか誤りかを明確に判定できるのは
「式の立て方」ではなく「考え方」の方です。そこを教える側が勘違いして
「式の立て方=考え方」だと思ってしまうから、おかしな教え方が堂々と
まかり通ってしまうのではないでしょうか。(cf. ドラゴン氏の迷言)
Cちゃんの話に戻りましょう。
Cちゃんは完璧に合理的で正しい考え方をしています。
2m13cm と 2m34cm の長さの差を知りたいとき、2mの部分は蛇足に過ぎません。
そのことをCちゃんは理解した上で 34cm-13cm と式を書いたわけです。
しかも質疑応答も完璧です。これを正解と言わずに何が正解なのでしょうか。
「○にしてやってもいいような気がしてきた」では不十分で
「Cちゃんは正しい考え方をしているし、説明の仕方も素晴らしい!」と
はっきり言ってあげなければいけないと思います。
そして、Cちゃん自身の説明の仕方が素晴らしいことを強調した上で
「式を書くだけでは考え方が伝わるとは限らないことには注意しなけばいけない」
「誤解されるおそれがあるならば、図や言葉も使って説明しておくべきである」
のようなことにも触れるのが良いと思います。
たとえ教室の子どもたちがが「パワフル算数だったよ」と喜んでいたとしても、
子どもたちのあいだで、Cちゃんが正しい考え方と説明の仕方をしていたかどうか
に関する理解があいまいなまま授業が終わってしまったとしたら、
その授業は子どもたちにとって必ずしもプラスになったとは限りません。
(Cちゃん自身は、自分は周囲に支持されており、やはり自分は正しかったのだと
感じたから、満足した可能性が高いと思うのですが。)
ちなみに例の迷言を残したドラゴン氏は次のようにコメントしています。
http://shibuken.seesaa.net/article/35760084.html
>こんばんは。
>こういうのを紹介されますと、自分のことではないんですが、たいへん嬉しく思
>います。このような算数授業のよさを世間に分かってもらえることを期待して、
>いろいろと書きこみをやっておりますので。
>この授業では、子どもたちが、自分が知っている知識を総動員して、算数の言葉
>で議論を重ねていきます。教師から知識を注入されるのではありません。
>ここには、数の概念、単位の考え方、まとめて見ることの便利さ、いろいろな算
>数の内容が駆使されています。それぞれ教えられてすぐに理解できることではあ
>りませんが、こうして積み重ねていくことで、血となり肉となっていくと思います。
>そうして、社会が、計算の速さを競うのではなく、こういう学習の成果が評価さ
>れるようになってくれるとよいですね。
>
> Posted by ドラゴン at 2007年03月12日 18:57
これだけを読むとまことにごもっともなコメントで、
私もドラゴンさんのファンになってしまいそうなのですが、
ドラゴンさんは小数点2位を含む小数の掛け算の教育を電卓ですませても問題ない
とさえ思っているような人ので注意しなければいけませんね(まとめ2011年2月21日)。
ドラゴンさんはCちゃんの考え方とプレゼンテーションをどのように評価するの
でしょうかね。迷言に基づいて「式としてはバツ」としてしまうのですかね。
◆Q38. 2011年1月17日の asahi.com 「花まる先生 公開授業」のコーナーで
「2×8ならタコ2本足」というわけのわからない授業が紹介されていました。
その記事では
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html
|
|「タコが2匹います。それぞれ足は8本。全部で足は何本?」。
|「2×8」と書いた子どもたちを見つけた先生は、しめしめという顔で、
|足が2本のタコを8匹、パネルに貼っていった。
|「宇宙人みたい」「タコじゃない」。あちこちでつぶやきの声が上がった。
という感じの授業が紹介されています。
「2×8」ならば「足が2本のタコが8匹」になるのだそうです。
さっぱり理解できません。これは一体何なのでしょうか?
そのような授業を自分の子どもが受ける可能性を考えると怖くなりました。
「2×8」と書こうが「8×2」と書こうがどちらも
「2匹の8本足のタコの足の総数」を正しく意味していると解釈できます。
「2×8」と書いてもタコの足の数は絶対に2本にはなりません!
これが常識だと思います。
どうしてこのような非常識な考え方を工夫して教えようとするのでしょうか?
優れた教育技術でくだらない考え方を子どもに吹き込むのは止めて欲しいです!
◇A38. はい。まことにごもっともな意見だと思います。
この文書の上の方を読んで頂ければ回答については想像が付くと思いますが、
再度説明することにします。
まず、その先生は掛け算は「一つ分の数×いくつ分」の順序に書くのが当然
だと考えているのでしょう。
そしてさらに「掛け算で求めたい数が○○の総数であるとき、a×b の a はひと
つつ分の○○の数でなければいけない」と思いこんでいる可能性が高い。
この二つを合わせると次のような推論が可能になります。
・掛け算は「一つ分の数×いくつ分」の順序に書くのが正しい。
・したがって「2×8」の2は一つ分の数で8はいくつ分を意味している。
・ここではタコの足の総数を求めさせる問題を扱っている。
・だから「2×8」の2はタコ1匹つ分の足の数を意味することになる。
・ゆえに「2×8」では「足が2本のタコが8匹」となってしまうので誤りである。
そしてこのような教え方で「一つ分の数」と「いくつ分」の概念を正しく
教えることができると信じているわけです。
しかし、正しくは「2×8」と書こうが「8×2」と書こうが、タコ1匹あたり
の足の数は8本であることに変わりはありません。まったくその通りだと思います。
この常識に反しているからこそ上のような教え方は強い印象を子どもたちに
与えるわけです。
果たして子どもたちがそれによって学んだのは掛け算の式の順序に関する特殊な
ローカルルールなのか、それとも掛け算の式の順序とは独立に考えることができる
「一つ分の数」と「いくつ分」の概念の方なのか?
「タコが2匹います。それぞれ足は8本。全部で足は何本?」
という問題に「2×8=16」と答えてしまうと、
タコの足は何本になってしまうでしょうか?
このような問題に「2本」と答える子どもが理解しているのは
果たして掛け算の式の順序に関する特殊なローカルルールなのか、
それとも「一つ分の数」と「いくつ分」の概念の方なのか?
単に左に書いた数がタコの足の数やウサギの耳の数を表わしているということ
を学んだだけの子どもがたくさんいるのではないか? より抽象度の高い
「一つ分の数」のような概念を本当に理解したのだろうか?
結果的に重要な概念の理解には失敗し、掛け算の式の順序に関する普遍的には
通用しない特殊なルールを刷り込まれただけの可能性はないのか?
たとえば次のような問題を花まる先生が子どもたちに出したとしましょう。
さっきやった「3羽のウサギの耳は全部でいくつあるでしょうか」という
問題についてもう一度考えましょう。まことくんはウサギ3羽で右耳と左耳
が3つずつあるという考え方で3羽のウサギの耳の数を計算しました。
おのおののウサギにはさっき強調したように耳が2つあります。
ウサギの耳の数は決して3つではありません。
まことくんの考え方では一つ分の数はいくつになるでしょうか?
もしも子どもたちが「さっきやったように正しい式の立て方は2×3だから、
一つ分の数は2だよ。ウサギの耳の数は3つではなく、2つだよ」
と答えたとすると、子どもたちが学んだのは「一つ分の数」の概念
ではないということになります。タコの足の数やウサギの耳の数を掛け算では
左側に書くという役に立たない無駄な規則(普遍的には通用しない俺様ルール)
を学んだに過ぎないわけです。
このように、「一つ分の数」と「いくつ分」は掛け算の式の順序とは
無関係の概念なので、「2×8」ならば「足が2本のタコが8匹」となるなど
と教えると、子どもたちが「一つ分の数」と「いくつ分」の概念を
正しく理解したかどうかがわからなくなってしまいます。
その上たとえ「2×8ならば足が2本のタコが8匹」方式で「一つ分の数」
のような概念について教えることに成功したとしても、掛け算の式の順序への
こだわりという有害な思い込みをこの後どのようにして解消するつもりなのか?
朝日新聞社がこのよう授業を「花まる先生」の「公開授業」として紹介すること
によって、このような教え方であっても「まともな教え方である」という印象を
広めてしまわないかと心配です。へたをすると「素晴らしい教え方である」とい
う印象を読者が持ってしまう可能性さえあります。困ったことです。
しかもこのような教え方は花まる先生のコーナーで紹介されている先生の独創で
はありません。たとえば「中学受験 算数掲示板」で次のように発言している人が
います。
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=2
|
|【1017151】 投稿者: どろんこ (ID:e4iDByvcqGM)08年 09月 04日 02:52
|
|うさぎの耳は2本、
|「うさぎ5匹だと耳はいくつある?」という問題では、
|
|1つ分の耳の数×うさぎの数=だから、
|
| 2 × 5 =10本です。
|
|これが5×2でもいい、となると、5本の耳を持っている化け物うさぎが2匹に
|なってしまいますね。
|
|かえる10匹のおへその数は?という問題では、
|
|かえる1匹のおへその数 × かえるの数 = 全体のかえるのおへその数
|
| 0個 × 10 = 0
|
|であり、10×0では、おへそが10個あるかえるが0匹となり、
|あれ?ちょっと違ったお話になってしまいます。
そっくりですよね。どろんこさんの他の発言を読むと、この人は、このくだらな
い有害な教え方が「一つ分の数」と「いくつ分」の概念を教える正しい方
法のひとつだと本気で信じていることがわかります。
どろんこさんのような方を存在することは心にとめておいた方が良いと思います。
さらに別の人が次のような報告をしています。
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=2
|【1017337】 投稿者: 疑問 (ID:G1oS7eMe8Mk)08年 09月 04日 11:25
|
|うちの子は、担任の先生に
|「答えの単位と同じものが、かけられる数で先にくる。」
|と教わったのですが、この考えはどうでしょう?
|
|ウサギ5匹いたら耳は全部で何本?の場合
|2本×5匹=10本
この前提をそのまま機械的に「5×2」に適用すると、
「耳が5本のウサギが2匹」になってしまったりするわけです。、
さらに、「5×2」だと「5匹×2本=10匹」となるので、答が「10匹」に
なってしまっておかしいなどと言い出す人までいるかもしれませんね。
実際にそういう説明が書いてある教科書指導書が存在します。
いやはや、なんとも。ここまでくだらない話は本当に珍しいと思います。
補足:上のリンク先にはどろんこさんのように妙な人たちが複数いてなかなか興
味深いです。特に面白いのは「理系」もしくは「理数系」の人たちへの強い偏見
です。まさにその偏見そのものにそれらの人たちの知性がどれほどであるかがよ
く表われていると思います。個人的にその手の人たちを理性的に説得することは
不可能だと思います。そのように考えると本当に暗澹たる気持ちになります。
この議論では「理数系」「文系」の区別では無意味です。分けるとすれば「まと
も」と「まともでない」かです。掛け算の式の順序に妙なこだわりを維持し続け
ている方々は「理数系」であろうと「文系」であろうとすでにまともではない状
態に陥っているとみなせます。
補足:件の「花まる先生」の記事の最後の段落に
|「かけ算の意味って、すごく大切。数字の順番でなく、何のいくつ分か考えてと
|くのを忘れないでね」。
という発言が引用されていますが、授業内容はかけ算の数字の順番に異常にこだ
わったものになってしまっていますね。かけ算の数字の順番ではなく、何のいく
つ分と考えているかが重要だと本気で思っているのであれば、かけ算の順番をど
のように書いても良いことを強調した上で、何のいくつ分と考えることを工夫し
て教えるべきだと思います。私はそのような教え方を望んでいます。
補足:積分定数さんが「2×8ならタコ2本足」の先生の小学校に直接電話をし
たようです。 kikulog の以下のリンク先のコメント以降を見て下さい。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295273785
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295336936
◆Q39. 例の「2×8ならタコ2本足」の件ですが、はてなブックマークでは
「ひどい」という意見が多数派のようです(2011年11月18日現在)。
くろきさんが心配するほど非常識な人がたくさんいるわけでもないのでは?
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html
◇A39. さっそくはてなブックマークを覗いてみました。
常識的な反応が並んでいて少し安心しました。
報告どうもありがとうございます。
◆Q40. 全文読ませてもらいました。
かけ算の順序にこだわる教え方をすすめる人たちは、それによって単なるかけ算
の形式的な計算ではなく、かけ算の意味を理解してもらうことによって、子ども
たちに応用力を付けてもらうことを望んでいるのだと思いました。
しかし、結果的にそういう人たちは応用力に乏しい子どもを大量生産することに
加担していると思います。
なぜならば「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいく
つあればよいでしょうか?」のような問題に「6×4」と式を立てることを許さ
ずに「4×6」と書くことを強制させることによって、算数の世界から「解答は
ひとつであっても正しい解き方は複数ある」という発想を排除してしまっている
からです。
結果的にパターン化された解答を強制させる技術としてかけ算の式の順序に関す
るローカルルールが利用されているのではないか?
あちこちで「掛け算の式の順序にこだわる派」の発言をチェックしてみました。
それらがワンパターンであることに強い印象を受けました。
「ウサギが3羽います。ウサギの耳は二つずつあります。耳は全部でいくつでし
ょう。式はどうなりますか?」に「3×2」と答えると「ウサギの耳が3つにな
ってしまうからおかしいでしょう」のように子どもに質問するというような教え
方を他人にすすめたり、自分でも実践しているという人が結構いるようです。
しかもそれらの人たちは判で押したように同じようなことを言っています。
教わっている側の子どもがワンパターン解答に追い込まれているという問題以前に、
教えている側および教え方を他人に教えている側の人間がワンパターンに陥っている
ように感じられました。
この点についてはどう思いますか?
◇A40. なるほど、その通りですね。あのワンパターンさは確かに印象的です。
そして私も、応用力を育むためには「解答はひとつであっても正しい解き方は
複数ある」という事実を子どもたちに上手に教える必要があると思います。
もしも「文章題への正しい解答の仕方はほとんど1通りしかない」と思っている
子どもと「とにかく正しい答が出る方法であれば何をやっても構わない」と思っ
ている子どもではどちらが文章題を楽に解けるでしょうか?
言うまでもなく後者の子どもの方でしょう。正しい選択肢が常に1つしかないと
信じている子どもと正しい選択肢がたくさんあると思っている子どもではスター
ト時点で大きな差が付いています。後者のタイプの子どもは先生の教えとは違う
考え方をして失敗してしまうかもしれません。しかし試行錯誤の積み重ねによっ
て最終的に教えている先生よりも算数が得意になってしまう可能性さえあります。
それに対して正しい解法が1通りしかないと思っている子どもは、文章題が出される
たびにその正しいたった一つの解法を求めてさまよい苦しむことになります。
本当は正しい答にたどり付くための方法が複数あるおかげで、
試行錯誤を繰り返せばいつかは正しい答にたどり着けるはずなのに、
一発で正しい答が出る方法を求めて苦しむことになる。
そういう状況に追い込まれた子どもが算数をまともに
理解できるようになるとは到底思えません。
現実には、掛け算の式の順序について勝手にルール化してそれにしたがわなけれ
ば誤りだとし、しかもタコの足が2本になったり、うさぎの耳が3本になったり
する教育が実際に行なわれており、しかもそういう教え方を積極的に他人にすす
めている人たちがいる。無駄なルールによって子どもたちを縛り、ワンパターン
化された方法で妙な考え方を子どもたちに吹き込む。
これじゃあ、お話になりません。
もしかしたら試行錯誤によって問題を解くという算数の基本を理解する前に大学
を卒業してしまった人は多いのかもしれませんね。
算数を教えるために最も重要な教養は「試行錯誤によって問題を解くことを学び、
正解はひとつであっても、そこに到る道がたくさんあることを心の底から納得する
こと、そして試行錯誤を心理的に妨げる要因は何であるかをよく理解していること」
なのかもしれませんね。くだらない縛りは算数をつまらなくしてしまいます。
本人自身は試行錯誤の重要さを理解したつもりになっていても、くだらない余計
なルールの導入の有害さに無頓着ならば実際には理解していません。そのことを
自覚できていないから、いつまでも掛け算の順序にこだわり続けることができる
わけです。
◆Q41. 本当に驚きました。
掛け算を「一つ分の数×いくつ分」の順序で書くという余計な規則だけで
はなく、「掛け算で求めたい数が○○の総数であるとき、a×b の a はひとつあ
たりの○○の数でなければいけない」という規則まであったんですね!
たとえばウサギの耳の総数を掛け算で計算させるときに「3×2」と書くと3は
ウサギ1羽当たりの耳の数を意味することになり、タコの足の総数を掛け算で計
算させるときに「2×8」と書くと2はタコ1匹あたりの足の数になってしまう
と。しかもこのような話を実際の授業で子どもたちにしている人たちがいて、
「花まる先生」として肯定的に朝日新聞が紹介していると。
「2×8ならタコ2本足」「3×2ならウサギ1羽に耳が3本」のような教え方が
どれだけ広まっているかに興味が湧きました。まとまった資料はあるでしょうか?
◇A41. まとまった調査はまだないと思います。かなりパターン化されている感じ
なので誰かが積極的にそのような困った教え方を広めているのだとは思います。
問題は誰が広めているのかということ。私もまとまった調査があれば教えて欲し
いと思います。
私が知っている範囲内で以下に関連のページへのリンクをまとめておきます。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461348378.html
算数の教科書の指導書がどれも掛け算の式の順序に関する特殊ルールを
前提にしていることが報告されている。
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html
2×8ならタコ2本足 (asahi.com 花まる先生)
http://edupedia.jp/index.php?%A4%AB%A4%B1%A4%EB%BF%F4%A4%C8%A4%AB%A4%B1%A4%E9%A4%EC%A4%EB%BF%F4%A1%CA2%A1%CB
|九九は「かけられる数」になる物(事)が増えているため、
|答えは当然「かけられる数」になる物(事)と同じ物(事)となるわけです。
|具体的に言うと、「みかん」をかければ答えも「みかん」、
|「豚」をかければ答えも「豚」、
|「長さ」をかければ答えも「長さ」なのです。
http://ultramarutti.blog26.fc2.com/?no=595
3×2ならウサギ1羽に耳が3本
黒板に描かれた3本耳のウサギの写真あり
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
「子どもが6人います。1人にあめを7こくばります。あめは何こいりますか」
という問題について、東京書籍の算数の教科書の指導書には次のように書いてある。
「6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数になってしまう
ことをおさえる。」
この東京書籍の教科書の指導書のこの説明はひどいですね。
この理屈ではタコ2匹の足の総数を数える問題で、2×8と書くと、
2匹が8つ分になって答えはタコの匹数になってしまいます!
これと別の解釈は、答えはタコの足の総数なので、2×8と書くと、
2はタコ1匹あたりの足の本数になってしまうというやつです。
どちらにしても常識外れで相当に変な考え方をしています。
正しい考え方は「2×8」と書こうが「8×2」と書こうが、
それらの式がタコ2匹分の足の総数を正しく表わしているということです。
「一つ分の数」が8で「いくつ分」が2であるとき、
それらの積を「2×8」と書いても「8×2」と書いても良い。
出て来た数を訳もわからずとにかく掛けあわせてみるという理解の仕方ではダメで
すが、タコ1匹あたりの足の数は8でタコが2匹いるという状況を
8つのかたまりが2つあると解釈した上で、出て来た数を順序を気にせずに
掛け合わせたのであれば掛け算について十分な理解に達していると評価できます。
掛け算の式の順序をどのように書くかはどうでもよい些細な問題に過ぎません。
「2×8」だとタコの足が2本になってしまったり、
答がタコの匹数になってしまったりする人たちは、
掛け算の式の順序に関する余計なルールにこだわっているせいで、
そういう考え方のくだらなさがわからなくなってしまっているのです。
それどころかかけ算の意味を軽視しているわかっていない人たちよりも、
自分たちの方が算数教育についてよく理解しており、
良い教え方を知っていると思い込んでいるのではないか?
◆Q42. kikulog で積分定数さんによるインタビュー調査の結果を読むと、
そもそも教えている側が「一つ分の数」の概念を理解していないようです。
積分定数さんは以下のように報告しています。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295300162
|
| 例えば私と電話した教師の場合、「1個ずつ配ったのではなく、3個を一人目
|に、次に2人目に、ということであるから、3×4だ」というのです。そもそも、
|そのような配り方など、これまで発想すらしなかったそうです。「そういう考え
|は初めて聞きました」と言っていました。
|
| 配り方をカード配りにしたのは説明のためであって、配り方がどうであれ、3
|のカタマリが4 4のカタマリが3 どちらとも捉えることが出来るのですが、
|
| 三島市教育委員会の人と話したときもそうですが、カード配りの解釈を提示し
|ても、「そういう配り方ではない」とすることで反論できているつもりでいるよ
|うです。
おそらくその教師は「ミカンを4人に3個ずつ配る」という状況では
「一つ分の数」は必ず3になるのだと誤解しています。
「一つ分の数」は状況(もしくは問題文)だけで決まると思っている。
実際には「一つ分の数」は状況(もしくは問題文)だけでは決まらず、
考え方も指定しなければ決まりません。
3個のかたまりが4つと考えれば「一つ分の数」は3になります。
しかし、トランプを配るように、4人にミカンを1つずつ順番に配るならば、
一週目にミカンが4つ配られ、二週目、三週目にも4つ配られるので、
4個のかたまりが3つと考えることもできます。
この考え方では「一つ分の数」は4になります。
2匹のタコの足の総数の場合には、タコの足は配ることはできないので
「一つ分の数」は8にせざるを得ないように感じる人がいるかもしれません
が、そのような場合(実際には任意の場合)であっても「一つ分の数」が2で
あるとみなせます。まず、2匹分のタコの足を次のように図に描きます。
足足足足足足足足
足足足足足足足足
縦に2、横に8です。この図において、縦の2をかたまりとみなして、
2個のかたまりが8つあると考えれば「一つ分の数」は2になります。
このように「一つ分の数」は状況だけでは決まらず、考え方も指定しない
と決まりません。
場合によっては次の図のように考えて「一つ分の数」は4になってしまう
かもしれません。
足足足足 足足足足
足足足足 足足足足
このような様子を思い浮かべた子どもが「2匹のタコの足は全部でいくつ」
という問題に「4×4=16」と答えた場合には満点を与える必要があります。
なぜならば正しい考え方をしているからです。
このようなことを言うと、考え方を説明せずに4×4=16」と式を書いた場合
には考え方を説明していないので減点されるのは当然だ、のようなことを言う人
もいるようですが、子ども相手にそれは無茶です。まだ自分の考えを言葉で
説明することに未熟な子どもに言葉による説明を常に要求するのはまずいでしょう。
また、上のような発想の柔軟さは計算が得意になるためには実際に必要なことです。
たとえば 15×4 をくそまじめに筆算を使って計算するよりも
●●●●● ●●●●● ●●●●● ←横に15個、1段目
●●●●● ●●●●● ●●●●● ←横に15個、2段目
●●●●● ●●●●● ●●●●● ←横に15個、3段目
●●●●● ●●●●● ●●●●● ←横に15個、4段目
のような様子を思い浮かべて、10個のかたまりが6つなので60だと計算する方が
効率的で、しかも間違えようがありません。他にも15×4は15を倍にして4を半分
にしても同じなので30×2と考えて60と答えるというような計算の仕方もあります。
こういう事情があるので、問題文の中には15と4という数しか書いていなくても、
10×6や30×2のように答えることも許されなければいけません。
「2匹のタコの足の数は全部でいくつ」という問題では「一つ分の数」
は常に8になり、「3羽のウサギの耳の数は全部でいくつ」という問題では
「一つ分の数」は常に2になると教えている教師は間違った考え方を
子どもたちに教えていることになります。
そこで教えられているのは「一つ分の数」の概念ではなく、
どちらかと言えば「タコの足の数」や「ウサギの耳の数」のような概念に過ぎず、
「一つ分の数」の概念とは異なります。
このような考え方は行き過ぎでしょうか?
◇A42. いいえ。私もその考え方は正しいと思います(むしろ勉強になりました)。
少なくとも、2×8だとタコの足は2本だということになり、3×2だとウサギ
の耳の数が3本だということになるというような教え方では、「一つ分の
数」の概念を正しく伝えることは不可能でしょう。
実際には、「タコの足の数」「ウサギの耳の数」を掛け算では左側に書くという
「俺様ルール」を徹底しているだけだと思います。
この「俺様ルール」は掛け算の式を「一つ分の数×いくつ分」の順序に
書くというルールでさえありません。その劣化版になってしまっています。
2×8だと答はタコの総数になってしまい、3×2だと答はウサギの総数に
なってしまうと教えている人の場合も同様だと思います。
教えている本人は「一つ分の数×いくつ分」のような掛け算の意味を重視
しているつもりであっても、実際には教えている側が「一つ分の数」と
「いくつ分」の概念を全然理解していない。理解していないのだから、正しく教
えられるはずもない。
さらに算数の教え方を教えている人たち(たとえば教科書の指導書を書いた人た
ち)も「一つ分の数」と「いくつ分」の概念を正しく理解していない可能
性さえあります。本当に困ったことだと思います。
回答が質問に負けている感じですが、このくらいでやめにします。
同じことの繰り返しになってしまいそうですから。
◆Q43. 次のような事例があったとしたらどう思いますか?
先生は掛け算を「一つ分の数×いくつ分」で導入しました。
そして以下の問題を出しました。
(1) ミカンを4人に3個ずつ配りました。ミカンは全部でいくつ?
(2) 3枚の皿の各々にリンゴが4個ずつのっています。リンゴは全部でいくつ?
(3) 8本足のタコが2匹います。足の数は全部でいくつ?
(4) 4匹のウサギがいて、各々が長い耳を2本持っています。長い耳は全部で何本?
(5) 4本足の犬が3匹います。足は全部で何本?
あきら君はすべての問題について出て来た数字の順に数を掛け合わせて次のよう
に答えました。
あきら君の解答
(1) 4×3=12
(2) 3×4=12
(3) 8×2=16
(4) 4×2=8
(5) 4×3=12
しかし先生が望んでいた答えは次の通りでした。
先生が望んでいた解答
(1) 3個ずつ×4なので、3×4=12
(2) 4個ずつ×3なので、4×3=12
(3) 8本ずつ×2なので、8×2=16 (これはあきら君と同じ)
(4) 2本ずつ×4なので、2×4=8
(5) 4本ずつ×3なので、4×3=12 (これはあきら君と同じ)
先生はあきら君がすべての問題で出て来た数の順番に掛け合わせているのを見て、
掛け算の意味を理解していない、正しい式の立て方をわかっていないと推測しま
した。以下はその後のあきら君と先生のやりとりです。
先生:あきら君はどうして問題(1)の問題の状況では「ひとりに3個ずつが4人」
なのに「4×3」と書いたんだい?
あきら:これ掛け算の問題でしょ?
だから出て来た数字の4と3をとにかく掛ければいいんでしょ?
先生:本当にそうだった?
あきら:だって塾の先生は、掛け算で答が出る問題だとわかったら、
書いてある数字を二つ掛け合わせれば正しい答が出るって言っていたもん!
塾ではたくさんの問題を解いて全部満点を取れるよいになったんだよ!
(もしくは「おかあさんは掛け算で答が出る問題だとわかったら、
書いてある数字を二つ掛け合わせれば正しい答が出るって言っていたもん!
おかあさんの出す問題を全部正解できるようになったんだもん。」)
先生:ここは塾ではなく、学校だ。(もしくは「ここは家ではなく、学校だ。」)
今回は問題(1)、(2)、(4)もバツにはしないけど、
先生の言うことをよく聴いて次からは先生の言う通りの順番に書いてね。
先生はあきら君はまだ掛け算の意味をわかっていないので要注意だなと思いました。
以上です。
◇A43. 掛け算の式の順序を見て理解度を測ろうとする教師にとってはありがちな状
況でしょうかね。
1. あきら君の扱いについて
上の仮想的な事例の中で先生は相当にまずいミスを犯していると思います。
まず、「塾の先生」もしくは「おかあさん」がどのような教え方をしていたかを詳
しく聴いていないことは問題だと思います。
それによりも致命的なミスはあきら君が本当に「一つ分の数」「いくつ分」
の概念を理解していないかどうかを別の方法で確認していないことです。
あきらくんは塾もしくは家で掛け算について教わってすでにかなりの練習問題を解
いており、それによって少なくとも塾の先生もしくはおかあさんの出す問題はすべ
て完璧に解けるようになっている。そのような子どもが掛け算の概念をまったく理
解していないとは考えられません。
単に先生の掛け算導入の流儀にしたがっていないだけでは、「一つ分の数」
「いくつ分」の概念を理解していないとは判定できません。たとえすべての問題に
ついて出て来た数を順番に掛けているだけの解答を書いていても理解していないと
判定できないのです。
さらに、もしも塾の先生やおかあさんが掛け算を使う問題と掛け算を使わない問題
を混ぜてあきら君に出していたとします。それにもかかわらず、あきら君が掛け算
を使う問題を正しく判別してすべての問題に正解していたとすれば、相当なレベル
の理解に達していることになります。
あと、子どもには抽象的概念の言語化は難しいという問題にも注意する必要がある
でしょう。実際には先生があきら君に掛け算の意味を理解しているかどうかを直接
的に問う質問をして、まともに言葉が返って来なかったとしても、理解していない
と即断してはいけません。言語化できなくても、「一つ分の数」「いくつ分」
のような概念をそれなりに理解している可能性があるからです。
実際、算数を習得している大人であっても、「一つ分の数」「いくつ分」
という言葉を知らないかもしれません。知っていても言葉でうまく説明できない
かもしれない。しかし、知らなくてもうまく言葉で説明できなくても、概念的に
はわかっている可能性が高い。そして掛け算を本当に理解しているならば、掛け
算の順序にこだわっても何のメリットもないことを知っています。そういう大人
はあきら君のように解答するかもしれません。わざわざ数字の順番をひっくりか
えす無駄な手間をかけるのがもったいないからです。
要するに「一つ分の数」「いくつ分」の概念について(言語化できるとは
限らないが)わかっていても、先生の流儀(その流儀は普遍的には通用しない)に
したがうとは限らないのです。
本当に「一つ分の数」「いくつ分」の概念を子どもが理解しているかどうか
を測りたければ、かなりの工夫が必要になることは間違いないです。掛け算の式の
順序の書き方を使う判定方法は明らかな手抜きであり、害の方が益よりも圧倒的に
大きい。
もしも先生の流儀が普遍的に通用してかつしたがった方が得になる流儀であれば
「先生の流儀にしたがってね」と言うことには十分な合理性があると思います。
そうでない場合には「先生の流儀にしたがってね」などと言ってはいけないでしょう。
2. そもそも先生の意図通り答えた子どもは理解しているとみなせるのか?
むしろこちらの指摘の方が質問の中に登場した先生にとって困るかもしれません。
あきら君とは違ってすべてを先生の意図通りに答えた子どもは果たして
「一つ分の数」「いくつ分」の概念を理解しているのでしょうか?
(3),(4),(5)については「タコの足の数」「ウサギの長い耳の数」「犬の足の数」
のような数は掛け算で左側に書かなければいけないのようにおぼえておけば、
先生が意図した通りに答えることができます。
(1),(2)については「ずつ」という言葉がついている数をかけ算では左側に書け
ば良いとおぼえておけば、先生が意図した通りに答えることができます。
その他にも「サンドイッチ」という「一つ分の数」を理解していなくても
先生が意図した通りに掛け算の順序を書く方法まで開発されているようです。
答が「ミカン○○こ」の形になるならば「3こ×4=12こ」と
「こ」が付いた数で「サンドイッチ」になるように書くという教え方があるらしい。
http://edupedia.jp/index.php?%A4%AB%A4%B1%A4%EB%BF%F4%A4%C8%A4%AB%A4%B1%A4%E9%A4%EC%A4%EB%BF%F4%A1%CA2%A1%CB
要するに、先生の意図通りに全問正解している子どもであっても、
「一つ分の数」のような概念をまったく理解していない可能性があるのです。
質問の中に登場した先生のように掛け算の式の順序の書き方を理解していない子
どもをピックアップするためのフィルターとして使うのは大変危険な行為だと言
わざるを得ません。
3. まとめ
質問に登場した先生のようなやり方では、本当は非常によく理解している子ども
をがっかりさせてしまう可能性があるだけではなく、本当は理解していない子ど
もを見逃してしまう可能性も高いのです。
これじゃあ掛け算の式の順序に関する特殊なルール(普遍的には通用しないルール)
に子どもたちを一時的にしたがわせるという犠牲を払った意味がありません。
◆Q44. 質問Q42のような図を描いて考える子どもは実際にはほとんどいないだろ
うし、質問Q43のあきら君のようにすでに掛け算を十分理解しているのに先生の
流儀にしたがってくれない子どももほとんどいないと思います。さらにトランプ
配りのような発想で式を書く子どももほとんどいないと思います。
そういう特別によくできる子どものことだけを考えるのはまずいのではないですか?
のように言われたらどうしますか?
◇A44. まず、2匹のタコの足の総数の問題に
足足足足足足足足
足足足足足足足足
のような簡単な図を描いて考える子どもがどれだけいるかは、
先生の教え方に大きく依存すると思います。
簡単な図を描くことさえまったく教えずに、
問題の文章だけから直接式を立てさせることを
子どもたちに要求するような授業をしていれば、
簡単な図を描いて考えようとする子どもが少なくなるのは当然です。
だから図を描いて考えようとする子どもがどれだけいるかという問題は、
その子どもがよくできるかどうかではなく、
先生の教え方がどうかという問題になると思います。
子どもに限らず、大人でも得意な(もしくは好きな)やり方と苦手な(もしくは
嫌いな)やり方があるものです。そういう人はある特定の方法を強制された途端
に力を出せなくなるということがあります。
言葉で考えることが苦手な人(特に子どもにはありがちだと思う)には図を描いて
考えるなど他の方法を使っても良いことを教えてあげる必要があると思います。
次に、あきら君のように実際には掛け算を十分に理解しているからこそ、先生が
示した不合理な流儀にしたがわなかった(のかもしれない)子どもは確かに小数派
だと思います。
しかし、あきら君のような事例が存在するかもしれないことに教師は十分に注意
を払うべきでしょう。そのためには先生自身が採用している掛け算の式の順序の
流儀が決して合理的なものではないことを十分納得しておく必要があります。
最後に、トランプ配りのような発想をする子どももきっと小数派でしょう。
しかし、これも先生の教え方にかなり影響されることだと思います。
そもそも教えている先生の側が「4人にミカンを3個ずつ配る」という状況では
「一つ分の数」は絶対に3でなければいけないと誤解している場合には、
トランプ配りのような発想が授業に出て来ることはないでしょう。
子どもたちもそれに影響されて考え方の幅が狭くなることでしょう。
「一つ分の数」が何になるかは状況(もしくは問題文)だけではなく、
考え方にも依存します。トランプを配るようにミカンを配れば「一つ分の数」
は4になります。そして次のような図を描いて横の4つのかたまりが3つと考えて
もやはり「一つ分の数」は4になります。
●●●●
●●●● ←●はミカンを表わす
●●●●
このように図を描いて考えた場合にはトランプ配りのような発想がなくても、
「一つ分の数」と「いくつ分」が先生が希望とは違ったものに
なってしまう可能性があります。
先生自身が算数を理解していないせいで、以上のような考え方をできないのであ
れば、その先生には「一つ分の数」の概念を子どもたちに正しく教えるこ
とは不可能でしょう。
そのような先生が教えた場合には、できる子もできない子も、クラスの全員が
「一つ分の数」は状況だけ(もしくは問題文だけ)で決まるという誤解を
吹き込まれることになるわけです。
これは大問題です。できるできないは関係ありません。全員が間違った考え方を
教えられてしまうのですから。
おそらくそういう先生に算数を習った子どもは文章題が苦手になるでしょう。
算数が苦手な人には理解するための経路を複数用意してあげる必要があると思い
ます。「4人にミカンを3個ずつ配る」という状況では「3×4」と式を立てな
ければいけないというような教え方をしているようでは子どもたちに理解の経路
を複数用意してあげることが不可能になってしまうでしょう。
積分定数さんが kikulog で次のような報告をしています:
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295564326
|
| 以前、割合が分からない子がいて、700円の3割に悩んでいて、「100円
|の3割は?」とヒントを出したら、30円とすぐに分かり、程なく210円と出
|しました。
|
| 考え方としては、1円の3割が0.3円でその700倍というのに近いです。
|
| しかし、0.3×700 とすると、「700の0.3倍だから間違いだ」と
|言われるかも知れません。
|
| つまり、「出来ない子」が一生懸命考えて、正しい推論の結果、教師の求める
|順序と逆にしてしまう可能性もあるのです。
「700円の3割は何円か?」の答の出し方に妙な制限を付けてしまうと
割合の計算がずっとできないままで終わる子どもが増えてしまうわけです。
kikulog などで積分定数さんが強調している考え方は、私の解釈では
(1) 問題を解くときに「唯一の正しい解き方をおぼえようとする」のような発想に
陥ってしまいがちな子どもには「解き方は試行錯誤によって自分で探すものだ」
ということをしっかり教えてあげるべきである。
(2) 問題の正解はひとつであっても、その正解にたどり着く道はたくさんあり、
試行錯誤によってそれらのどれかひとつを発見できればよい。
そのような経験が真の理解のための最初のステップになる。
(3) 正解にたどり着く道を不当に制限されてしまうとまともに教えることが困難
になるので止めて欲しい。
のようにまとめられると思います(言葉使いは全然違いますが)。
「答えさえ出せれば、まずはそれで良い」の話や「7C4 と 7C3」の話も
上の(1),(2),(3)の文脈で理解されるべきでしょう。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1292521056
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1293412721
実際、塾などで教えるときには、とにかく正解にたどり着く道を自力で
切り開けるようにしてあげられれば相当な成果を挙げたと考えるべきです。
(私も大学院生時代は塾講師のようなことをして飯を食っていました。)
本当は以上の文脈で理解するべきなのに上の、(1),(2),(3)から離れた枝葉末節な
反応があったのは残念なことです。
やはり、算数が得意ではない子どもたちに算数を本当に理解してもらうためには、
正解にたどり着く道が複数あることを大前提としないといけないと思います。
そのためには正解にたどり着く道を不当に制限することを止めなければいけない。
この議論の主題は「算数教育における掛け算の式の順序の取り扱い」なのですが、
その裏にあるより重要でかつ基本的な考え方は上の(1),(2),(3)にまとめられると
思います。
要するに、掛け算の順序にこだわり続ける教え方は、算数が苦手な子どもから
理解に必要な複数の経路を奪い取り、算数の理解を妨げる悪しき教え方の典型例
のひとつなので特に厳しく批判されているということもあるわけです。
◆Q45. 数学教育もしくは算数教育の専門家と数学研究の専門家の世界はまった
く別なのですか?
◇A45. はい、まったく別世界だと考えて構わないと思います。
例外的に両方に属する人もいるかもしれませんが、例外に過ぎません。
だからほとんどの数学研究専門家(数学者)は数学教育もしくは
算数教育の専門家たちがどのように考えているかをまったく知らないと思います。
私も本やネットなどで仕入れた以外の情報を知りません。
一応、念のために付け加えておけば、この文書の教育に関係した部分は数学者の
立場で書かれたものではありません。数学に関する特別な訓練を受けなくても
書けることを中心に書くように気を付けています。
◆Q46. 小学校の先生(らしき人)で掛け算の順序にこだわることには意味がない
とはっきり述べている人はいますか?
◇A46. ずっと上の方のQ&AのA2で引用した「小学校笑いぐさ日記」
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
の著者 filinion さんはおそらく小学校の先生だと思います。
私も filinion さんがまとめた東京書籍の教科書指導書に対する批判をかなり参考に
しています。やはり常識ある大人が普通に先生をやっていれば「これじゃあおかしい」
と思うのは当然だろうなと思いました。
他にも積分定数さんが kukulog
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1295886608
で引用している「小学校教員」さんの例もあります。
その「小学校教員」さんは「文科省の馬鹿げたやり方」が原因だと誤解しています(Q6)。
「頭の固い教員」が参考にしているのはおそらく教科書指導書の方です。
教科書指導書を書いている人たちが「馬鹿げたやり方」をすすめているのです。
しかし、くだらないことにこだわるのはくだらないことだとはっきり述べる
先生がいるのは心強いと思います。
◆Q47. 算数の文章題を正しく読解できるような国語力を身に付けさせることが
重要だという意見を「左側の数の単位=答えの単位」と教えることを支持する人が
述べているのを見付けました。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0701/248855.htm?o=0&p=5
|
|厳密さより 二立 2009年7月9日 11:40
|
|正しいかどうかですが、かけ算を習ったばかりで、割り算とか
|分数とかはまだ、というレベルの生徒に、
|
|80(円/個)×5(個) = 400(円)
|が正しい単位でしょう?
|
|というのは無理でしょう。4,5年生で、算数は苦手だと
|言う生徒も却って敬遠するでしょう。
|
|それに対して
|「左側の数の単位=答えの単位」
|というのは、わかりやすい指標です。
|
|以下は、余分な要素が入っていますから、生徒のレベルによって
|は難問です。
|
|1冊80円のノートが5冊入ったケースが3個あります。
|1.1ケースの値段は何円ですか。
| 80円x5=400円
|2.ノートは全部で何冊ありますか。
| 5冊x3=15冊
|
|このとき、「答えの単位の数を左」というヒントがあれば
|格段に式が立てやすくなります。
|
|文章題で、問題文の意味を読み取って、式を立てるというのは
|なかなか難しいのです。読解力・国語力の問題でもあります。
|
|小学生に英語なんかやらせている場合ではありません。
|算数の文章題を正しく読解できる国語力をきっちりつけさせる
|ほうが先決です。
個人的にはあきれたものだと思います。
この事例についてはどう思いますか?
◇A47. 私もあきれたものだと思いました。
算数の文章題を正しく読解できる能力が何であるかを
この人はひどく誤解しているのでしょう。
「答えの単位の数を左」に書くというヒントを与えて、
普遍的には通用しない掛け算の順序に関するローカルルールに
子どもたちをしたがわせても何の教育にもなっていません。
まず、問題1の式の立て方は80×5でも5×80でもどちらでも構わないし、
問題2の式の立て方も5×3でも3×5でもどちらでも構いません。
これが普遍的にどこであっても通用する常識であり、
「答えの単位の数を左」に書く必要はありません。
この点については何度も繰り返したのでこれ以上説明しません。
「1冊80円のノートが5冊入ったケースが3個あります」
という文章を算数の立場で正しく理解しているとは
次の図のような状況を想像できていることです。
[80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート]←ケース
[80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート]←ケース
[80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート、80円のノート]←ケース
ここで [ ] はケースを表わしています。
文字で図を描くのは大変なのでこのように描きましたが、
実際には様々な描き方があると思います。
もちろん、頭の中で想像できなければ実際に図に描いても良い。
実際に描く場合には簡略化した図を描けるようになっている方が望ましいです。
状況の本質をとらえた簡略化した図を描けることは
何をする場合にも役に立つ重要な能力です。
さて、上の図のような様子を想像できていれば(実際に描いてあってもよい)、
「1ケースに入っているノートの値段の合計は何円ですか」のような問題には
「80円のノート5冊文の値段のことだ」とすぐに理解できるだろうし、
「ノートは全部で何冊ありますか」のような問題にもすぐに対応できます。
それに対して、「答えの単位の数を左」というヒントを与えて、
「1ケースに入っているノートの値段の合計は何円ですか」のような問題を
「答えの単位は円なのでまず80円という数字をピックアップして云々」のような
くだらない文章読解戦略によって解くことを教えるのはあまりにもひどすぎます。
率直に言ってお話にならない。
こういう教え方をされた子どもは結果的に文章題に対応できなくなるでしょうね。
こういうあきれた教え方を支持できてしまうようなデタラメな人物が
「算数の文章題を正しく読解できる国語力をきっちりつけさせるほうが先決です」
などと述べているのは笑止千万だと思います。
補足:言葉は便利でかつ強力な道具ですが、算数的な事柄について考えるときに
はむしろ言葉を使わずに直観的な思考を用いることが多いことはもっと強調され
てしかるべきことだと思います。文章題をスムーズに解くためには文章を算数的
な直観に翻訳する能力が必要になります。
◆Q48. 和大の(理系)教員の村川猛彦さんという方がこのページのA7で批判され
ている(実際には馬鹿にされている)次のページを見て説得されていました。
【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか
http://appnote.info/2010/11/15/35or53/
さらに次のページも肯定的に引用しています:
【もはや最短理解でもなんでもない】なぜ5×3ではなく3×5なのか【大幅書き直し中】
http://kita.dyndns.org/diary/?date=20101113
# 追記2011年2月20日:このページの上の方に
# >この記事を読む価値はありません。もはや逆の順序で書いたものを間違いとする
# >こと(というより立式のみで考え方を判断すること)は間違いと思っています。
# >この記事を読むと時間の無駄になると思われますので、黒木玄先生のまとめを
# >おすすめいたします。
# というコメントが追加されていました。素晴らしい!うれしいです。
# 掛け算の式の順序にこだわる授業肯定派のはしごがどんどん外されて行くのは
# とても良いことだと思います。
そして村川猛彦さんは次のように述べています。
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20101119#20101119f2
|交換法則は,九九の表という,単位のない世界で見出してほしいものです.実際
|そのような発見は,学習指導要領解説の内容にも合致しています.林檎だとかお
|皿だとかを用意して状況を与え,式を立てるという段階においては,必要ありま
|せん.
さすがにこれはひどすぎますよね?
◇A48. 報告どうもありがとうございます。確かにひどすぎます。
ここまでひどい意見を持っている「理系」の大人がいるとは本当に驚きました。
正直あきれてしまいました。
1. 単位があろうと無かろうと交換法則(可換性)に気付かないとまずい
九九の表を見ればわかる掛け算の可換性がどこでも自由に使えないと不便すぎま
すよね。どうしてこういうひどいしばりを子どもに課そうとするのか?
すでに自分なりの正しい考え方で「一つ分の数」「いくつ分」の構造を
正しく見抜いている子どもが、「一つ分の数×いくつ分」の順に書こうが、
「いくつ分×一つ分の数」の順に書こうが、どちらでも構わない理由は
単位のない世界で掛け算の交換法則(可換性)が成立しているからです。
だから、子どもたちに単位のない世界で交換法則(可換性)を理解させてしまうと、
自分の好きな順序で「一つ分の数」と「いくつ分」を掛け算の式で
書くことも認めなければいけなくなります。
先生がくだらない教育上有害なルールを子どもに強いるのは当然止めてもらわな
ければいけません。そして、子どもたちはそういうルールにしたがわない方が
良いわけです。 (有害なルールに子どもがしたがうとその子ども自身が害を受けて
しまう。)
そして単位が付いている世界でも、3万円は入っている袋を5つもらっても
5万円入っている袋を3つもらっても、もらえる金額は同じだということを
すぐに理解できないようだと困ります。単位が付いている世界での掛け算の
交換法則を何らかのくだらない精神的プレッシャーによって習得できなかった
子どもは一生苦しむことになるでしょうね。
この手の話でよくあるくだらない馬鹿げたひどい誤解は、掛け算の式の順序の話と
「一つ分の数」「いくつ分」の概念の理解の話を混同してしまうことです。
おそらく村川猛彦さんもその手の誤解をしているのだと思います。
2. 学習指導要領解説ではどうなっているか
学習指導要領解説には式を立てるときに「一つ分の数×いくつ分」の順に
書かなければいけないとはされていません。
それどころか、掛け算の導入に繋がる項目で以下のように掛け算の式の順序にこ
だわらない説明がされています。A6ですでに引用していますが、ここでは
さらに長めに引用しておきます。
『小学校学習指導要領解説 算数偏』 (平成20年6月、文部科学省) の81ページにある
「A(1) 数の意味や表し方 エ 一つの数をほかの数の積としてみること」
の項目に関する説明:
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdf
| ものの集まりを幾つかずつまとめて数える活動を通して、数の乗法的な構成に
|ついての理解を図ることをねらいとしている。ある部分の大きさを基にして、そ
|の幾つ分として、全体の大きさをとらえることができるようにする。
|
| 例えば、「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動を行なうと、いろい
|ろな並べ方ができる。下の図のように並べると、2×6、6×2、3×4、4×3などの
|ような式で表わすことができる。このように、一つの数をほかの数の積としてみ
|ることができるようにし、数についての理解を深めるとともに、数についての感
|覚を豊かにする。
|
| ●●●●●●
| ●●●●●●
|2×6 または 6×2
|
| ●●●●
| ●●●●
| ●●●●
|3×4 または 4×3
この項目は「A(3) 乗法」よりも前にあります。
上の引用部分の最初の段落は「一つ分の数」「いくつ分」の概念を
「幾つかずつまとめて数える活動」によって児童に気付かせることを意図しています。
そしてその次の段落でそのような活動の例として「12個のおはじきを工夫して並べる」
というような活動が紹介されています。おはじきを長方形型に並べた場合には
「2×6」と「6×2」を区別したり、「3×4」と「4×3」を区別することは
不自然な行為になるので注意深く両方が併記されているのでしょう。
もしも児童が実際にこのような活動によって掛け算の仕組みに気付かせることに
成功したならば、児童は最初から(項目A(3)にしたがって掛け算を導入する以前に)
交換法則(可換性)を直観的に知っていることになります。
そのような児童に掛け算を教えるときに、掛け算の式では「一つ分の数」を
左に書かなければいけないという特殊なローカルルールを一時的にせよ押し付けて
しまうのは相当に不自然な教え方になってしまいます。
3. 脱線
少し脱線してしまいますが、この事例は
理系でもわかっていない大人がいることの証明になっていると思います。
数学には自信はないが、常識的に考えておかしいと考えている大人は
自信を持って5×3にバツを付ける教え方に反対して欲しいと思います。
この問題に関しては素朴な疑問がそのまま正しい。
何も難しいことはありません。
4. トランプ配りについて
村川猛彦さんは次のように述べています。
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20101119
|バツではないという理由として,交換法則を持ち出したり*2,「でもね,お皿の
|5枚に1個ずつ,林檎を乗せるのを『1つ分の大きさ』として,それを3回したら
|『いくつ分』が3になって,5×3って書けるよ」と児童が反論したりすること
|のほうが,よっぽど屁理屈でしょう.
同じ意見を私は遠山啓さんに言ってもらいたいですね(●2節を参照)。:-)
もしかしたら、「この問題では林檎を配らずに、林檎をすでに皿に置いてあるの
だから、トランプ配りのような考え方は不自然だ」のようにくだらない反論をす
るかもしれません。しかし、実際にそういう反論をしてくれるなら頭が堅い人で
あることを自ら証明してくれただけなので万々歳です。村川さんの主張が
「頭の堅い人がまた変なことを述べている」のように評価されれば私の立場では
嬉しいわけですから。
5. 子どもの発想を委縮させない算数教育が必要
子どもは大人が想像できないような考え方をする場合があります。
しかも言語化もうまくできず、理路整然と説明することなどほとんど期待できない。
しかし、なんらかの考え方に基づいて正しい考え方に近づいているならば、
褒めてやる必要があります。本当は正しい考え方なのにそれを使ってはいけない
というようなルールを勝手に定めて、それに基づいて理解の度合いを測ろうと
すると、せっかく自分なりに考えて正しい考え方に近づきつるあるのに、
「先生の意図とは違っていたから」という理由で否定されてしまう可能性が
高くなります。
そもそも掛け算の順序にこだわることはくだらないことなので、
くだらないことにはこだわらない常識ある大人に掛け算についてすでに教わって
いる子どもであれば、先生が「一つ分の数を左に書いてね」と言っても
無視してしまう可能性は十分にあります。そしてそのように無視した子どもは
「理解しているからこそ無視した」という理由で先生から褒められてしかるべき
です。
「一つ分の数」のような概念を理解してかつ掛け算の式の順序にこだわる
ことがくだらないことだと正しいの理解の仕方をしている子どもに掛け算の順序を
強制するのは教育としては後退に他なりません。
6. あまりにもくだらない現実の姿
掛け算の順序というくだらないことに教師の側がこだわることによって、
「サンドイッチ」のようなくだらない教え方が開発されてしまったり、
ウサギの耳が3本になったり、タコの足が2本になってしまったりするわけです。
村川猛彦さんにはこのような現実が見えていないのでしょう。
掛け算の順序にこだわっている教師や教科書指導書執筆者たちは
こだわった方が「一つ分の数(量)」のような概念を教えやすいと
思っているのかもしれませんが、現実にはそうなっていないし、
掛け算の順序にこだわる教え方は「一つ分の数(量)」のような概念
(より正しくは文章や状況を算数の文脈で正しく想像・解釈する方法)
を教えるときに害になりそうです。
むしろ、日本の算数教育が文章題に関して弱いのは
掛け算の順序を含めたくだらないこだわりを子どもたちに押し付けていること
が原因である可能性さえあるのではないでしょうか。
いずれにせよ、正解に至る道を制限すれば制限するほど、
特定の決められた解法パターンにあてはめることなく、
自分の力で考えて答えを出せる子どもが育つ可能性が少なくなるのは
確かなことだと思います。
補足:「0.8mの重さが2.4kgの鉄の棒があります。この棒1mの重さは何kgでしょう」
という問題がA7でも取り上げた
http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/
で話題になっています。そのような文章題に正しく答えられるようになるためには、
掛け算の順序に関する特殊なローカルルールにしたがうことは役に立ちません。
掛け算の順序に関する特殊ルールにしたがうか否かではなく、
┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫ 長さ0.8mで重さ2.4kg
┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫ 長さ1mで重さは何kg?
(この図で ┣━┫は鉄の棒10cm分を表わしている)
のような様子を想像する能力(実際に図を描いてもよい)があるかどうかの方が
決定的に重要です。
そして考え方が正しければ「2.4÷0.8」と式を立てなくても正解だとしなければ
いけません。たとえば、上の図のような様子を想像して(もしくは実際に図を描いて)
10cm分の重さは2.4kgを8等分は0.3kgなので「0.3×10=3(もしくは10×0.3=3)だから
答は3kg」と答えても正解だとしなければいけません。もしも小数の割り算をよく
理解していない子どもがそのように答えた場合には小数の割り算の概念を
理解する一歩手前まで来ていると考えられます。
◆Q49. kikulog における2010年1月31日のドラゴンさんのコメント
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1296466314
についてはどのように思いますか?
◇A49. まず、自分の考えをはっきり述べずに引用だけをたくさんするのは
よろしくないと思いました。引用の意図を明らかにし、さらに必要があれば
引用した部分の内容に関する自分自身の意見も明確に述べるべきだと思います。
あとドラゴンさんは実名を名乗っていませんが、どういう立場の方なのでしょうか?
もしも実名を明かさずに自分の立場や意見にとって都合の良い情報を宣伝しようと
しているのであれば、「正々堂々、公明正大」な議論をするつもりがない人だと
みなされてしまうと思います。
現役もしくは元教師、教材の開発関係者、大学教師、などなど何らかの形で教育に
関わっている(いた)人はこのような議論では発言に責任を負わなければいけない
立場に立っています。実名を明かさずに発言の責任を負わなくても良い(直接の批判
を受けずに済む)立場で議論に参加するのは無責任だと思います。
私は実名で堂々と言えないような意見を匿名で述べることは危険な行為だと考えてい
ます。その理由は、私が匿名で発言したときに、私がドラゴンさんに対して感じてい
るような悪印象を他の誰かが持ってしまうかもしれないからです。
私は「あの人は間違うこともよくあるが、間違った意見を述べてしまった場合には、
本人自身が直接非難されることによって責任を取るつもりがある人だ」とみなされる
ことを望みます。
さて、ドラゴンさんのコメントの内容についても意見を述べることにします。
全文引用しますが、「 |」から始まる行がドラゴンさんのコメントです。
それ以外の行は私の意見や私による引用です。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1296466314
|
|ドラゴン ? January 31, 2011 @18:31:54
| もう書かないと宣言しましたが、一言だけ失礼します。
一言だけ? :-)
| お願いですが、理性的な対応と議論を望みます。
| 積分定数さんが花まる先生の学校に電話をかけられたようですが(#776)、こうい
|うことは止めてください。
| 学校には電話回線は多くありませんし、保護者からの連絡も多くあります。そして
|教師も子どもの対応が第一義です。メールやFAXのように空いている時間で対応でき
|るものであれば何とかなると思いますが、電話で保護者でもない一般の方が知りたい
|と思うことに応える余裕はありません。
| 特にこの問題は水伝などとは異なり、教科書会社が指導書等で指導法を示している
|ものです。
| 積分定数さんの調査には敬服しており、善意でのことと理解しておりますが、同様
|に考えられる複数の方が電話をするだけでも、学校は正常に運営できなくなります。
|ですから個々の学校への電話は止めるべきと思います。
このドラゴンさんの指摘は正しいと思います。
私も大学への電話で呼び出されたりしたら非常に迷惑だと感じます。
しかし、この件の場合には朝日新聞に記事が掲載されてしまったので、
大きな反響や強い批判があることは覚悟しなければいけないと思います。
取材を受け入れた学校側にも、ウサギの耳が3本になったり、
タコの足が2本になったりする授業が素晴らしいという判断があったはずです。
このことに関して別の誰かが取材を申し込んで来ることを
学校側は今後も覚悟し続けないといけないと思います。
あと、これは社会全体にとって重要な問題です。
もしも、タコの足が2本になったり、ウサギの耳が3本になったりする授業が
あちこちの小学校で普通に行なわれていたとするとどうでしょうか?
しかもそのような授業の仕方を肯定的に評価し、
積極的に広めようとしている教育関係者たちがいるとしたら?
もしもそうならばそれは日本に住んでいる人たち全員にとって非常にまずい状況です。
だからこの件に関するより詳しい情報が広まることは日本社会全体の利益になります。
積分定数さんの行動の是非はこの観点からも評価されるべきだと思います。
2011年2月4日現在の時点では、取材の内容に関する完全なレポートが発表されていない
ので、学校側が受けた(かもしれない)迷惑を社会的な利益が上回っている状況である
とは自信を持って言える状況ではありません。なぜならば kikulog や mixi にコメント
を書くだけでは社会へのフィードバックが弱過ぎるからです(私個人は積分定数さんの
取材は非常に参考になったと思っていますが)。
完全なレポートの発表については積分定数さんの今後の活躍に期待したいと思います。
個人的には学校への電話以外の様々な調査もまとめたものを発表してもらいたいと
思っています。積分定数さんがあちこちでコメントしたものをインターネット上で
探してまわるのはかなり大変です。あちこち探さなくてもまとまったものを読める
ようになれば多くの人にとって利益になると思います。
# 追記2011年2月8日:積分定数さんが次のブログを始めました。
#
# 算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える
# http://suugaku.at.webry.info/
#
# ブログ開始のアナウンスが kikulog に出ています。
#
# http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297126284
#
# 積分定数さんがあちこちでしたコメントは Google などで検索するとたくさん
# 見つかります。
#
# "積分定数" 掛け算の順序
# "積分定数" かけ算の順序
#
# 上のブログによって探す手間をかけずにまとまったものが読めるようになれば
# 多くの人の助けになるでしょう。
| また、この問題は個々の教師が思いついたものではなく、数学教育の研究者、数学
|者も多く関わっております。私はそこに何らかの意味があると思い、それを明らかに
|したいと考えてきました。
ドラゴンさん自身の意見は何なのか?
| 議論は必要だと考えますし、安易な肯定、否定もすべきではないと思います。
これは非常にまずい言い方だと思います。
こういう言い方をしてしまうと kikulog の議論に参加している人たちの中に
「安易な肯定、否定」をしている人がいるということを示唆していることになります。
しかもそれが誰なのかが明らかにされていない。
具体的に誰のどの発言が「安易な肯定、否定」なのかを明確にする責任がドラゴン
さんに生じているのですが、ドラゴンさんは最後にROMに戻ると言っています。
言いっぱなしですますつもりなのかなと私は思いました。
| ただ、指導法として効果があるのなら、安易に否定することは子どもの学習にとっ
|てもよいことではありません。そこをよく認識しての議論を期待したいです。
ドラゴンさん自身の意見は何なのか?
「5×3にバツをつけること」にも指導法として効果があると考えているのか?
「ウサギの耳が3本」になるような指導法も効果があると考えているのか?
「サンドイッチ」方式にも指導法として効果があると考えているのか?
益と害の両方があるならどちらが大きいと考えているのか?
| 最も心配なのは、ここや黒木さんの文章を根拠にして、よく理解していない保護者
|が学校に怒鳴り込むことです。そうならないことを期待したいです。
はい、私も保護者の方々が短絡的な行動に走らないことを望みます。
しかし、日本の算数教育の世界では非常識が常識として通用しており、
少なくとも数十年以上にわたって問題が放置され続けて来た疑いがあるという点
については多くの人に知ってもらいたいと思っています。
| 改善すべきであれば、教科書会社から変えていかないと、現場では混乱するだけです。
これもまったくその通りだと思います。実際には教科書会社が頼りにしている
「算数教育の専門家」たち(具体的に誰なのか?)も変える必要があると思います。
しかし、現場に何も責任がないかと言えば決してそんなことはないと思います。
教育の現場からも教科書指導書がおかしいという声を出してもらわないことには
教科書会社を変えることは難しいと思います。
| 以下、ご参考までに文献の紹介です。
| 学校数学と民族数学についても総覧されているので、分かりやすいかと思います。
何についてどうわかりやすいのかをドラゴンさんは何も述べていません。
|礒田正美 途上国と日本の理数科教育
|
|http://www.jica.go.jp/jica-ri/publication/archives/jica/field/pdf/200703_edu_04.pdf
|-引用始め-
|p81
| 乗法の場合のハードルを述べる。図3?2で話題にした場面は、日本語では「9か
|ける3」は「9の3つ分」「9+9+9」を表す。これは日本語文法に依存している。
|本来、式とは文章を記号で省略標記して生まれたものである。欧米語の場合、「9
|times 3」「9veces 3」は、「3の9回分」「3+3+3+3+3+3+3+3+
|3」を表し、「9times 3」は前述の図3?2を表さない。
図3-2 単位正方形タイルは何個あるか?
□
□□ □□□ □□□
□□□ □□□ □□□
□□□ □□□ □□□
| 大人には気にならない相違も、導入時の子どもにはこのような式と文章の相違は突
|然逆立ちを求められるほどの相違をなす。その違いは具体物操作の仕方の相違を伴う。
|すなわち、日本語で3×2=3+3=(○○○)+(○○○)、「3の2つ分」を表
|す。対する欧米語では3×2=2+2+2=(○○)+(○○)+(○○)、「2の
|3回分」を表す。
| 他方で、欧米語圏の多くは、3の段の九九(表)は3×1=3、3×2=6、3×
|3=9という頭を3にそろえる九九である。3の段の九九の値が3ずつ増えることを
|説明すれば、それは3×1=3、3×2=3+3、3×3=3+3+3となる。すな
|わち、九九では「3×2」は「2の3回分」ではなく「3の2つ分」となる。このよ
|うに欧米語圏では乗法の定義と九九表が矛盾する(図3?5)。このような矛盾の乗
|り越え方の工夫が欧米語圏では問題になるが、日本語では矛盾がないのでそのような
|工夫は必要ない。欧米語圏の方がかけ算を学ぶ際に超えるべきハードルが日本より高
|い。
| 言葉に強く依存して数学を学ぶ小学校では、数学は民族数学としての一面を備える。
|その民族であればこそチャレンジすべきハードルと、世界で共有されたハードルの両
|方がある。そのようなハードルが特定されればこそ、子どもが困難に挑むことそれ自
|体を目標とする、楽しく算数・数学を学べるカリキュラムや教科書の開発ができる。
|-引用終わり-
ドラゴンさんが何を意図してこの部分を引用したかはよくわからないのですが、
少なくともこの引用文によって「3×5は正しいが5×3はバツにする」という
教え方が正当化されることはないし、「3×2だとウサギの耳が3本になる」と
いうような教え方が正当化されることもありません。
上の引用文が主張していることは、言語や歴史的習慣が子どもにとってのハードルに
なることがあるので、教え方を工夫することが必要だということです。
上の引用文では日本式の流儀の優位性が強調されていますが、
掛け算の順序にこだわる教え方の是非に関する議論では
「9かける3」は「9の3つ分」「9+9+9」を表す
という日本式の習慣にこだわることが子どもたちが算数を理解するためのハードルに
なってしまうことが心配されています。上で引用されているレポートではこのような
心配は扱われていません。
いずれにせよ、言語や歴史的習慣から来るハードルを超える工夫をすることが必要で
す。ハードルは克服するべき対象であり、ハードルの側に教える内容を合わせてしま
うようでは困ります。教え方の工夫の結果、言語や歴史的習慣から来る不合理な考え方
を子どもたちの心の中に定着させてしまうようでは何の意味もありません。
掛け算の順序にこだわる教え方に対する批判という文脈では、
「3×5は3の5つ分を意味するという考え方にこだわること」はまさに
言語や歴史的習慣から来る不合理な考え方のひとつだとみなされています。
もしかしてドラゴンさんは「3×5は3の5つ分を意味するという考え方にこだわる
ことは日本語圏では自然であり、むしろ教育上大きなメリットになる」のように
考えているのでしょうか?
「日本語圏では掛け算の導入時に3×5は3の5つ分を意味すると教えても良い
かもしれない。しかしそのような掛け算の解釈に固執すると子どもたちの心に不合理
なこだわりを植え付けることになってしまうだろう。日本語の特徴や歴史的習慣に
由来する特殊な考え方をそのまま引きずり続けることは問題を先送りしていること
になり好ましくない」(このカギ括弧の中は私の意見)のように考えているのであれば、
上のような引用の仕方をすることはないでしょう。
|数学教育協力における文化的な側面の基礎的研究
|馬場卓也
|http://www.jica.go.jp/jica-ri/publication/archives/jica/kyakuin/pdf/200203_08.pdf
|-引用始め-
|要約
| 数学は数式「1 + 1 = 2」に代表されるように、文化的差異、言語的差異を容易
|に越える普遍性を持つ、と言われる。国の根幹に関わる基礎教育ではあるが、だから
|こそ開発途上国は他国である日本に国際協力を要請すると言えるのだろう。しかし数
|学といえども、教育という営みの中では、文化的側面の考察が不可避であることが、
|数学教育研究の中で明らかにされている。例えば3個のりんごが載った皿が4 皿ある
|状況で、英語と日本語では、4 × 3 と3 × 4 という具合に掛け算の順が異なってい
|る。このような小さい認知的な負荷も子どもにとって学習上の困難を招く原因となる
|ので、最終的な値が同じだからと言って看過するわけにはいかない。
|
|p38
| 具体例を挙げて、少し説明を加える。かけ算の導入は、日本では次のように扱われ
|る。『しょうがくさんすう2 年下』(中原他, 1999, p.16)みかんがひとさらに5 こ
|ずつのっています。4 さらではなんこになりますか。この問いに対して、1 さらに5
|こずつ4 さらぶんで20 こです。このことをしきで5 × 4 = 20とかき「五かける四
|は二十」とよみます。
| それに対して、英語ではかけ算を表す順序が逆で、“four plates of 5 oranges”
|という英語での表現より、4×5=20となる。そこで問題となるのは、例えばタイでは
|自然な語順が日本語式であるにもかかわらず、教科書は英語式の順番に従っている。
|単にかけ算の順序が逆になっただけで小さなことのようであるが、初めての学習者に
|とってはかなりの認知的な負担が強いられるだろう。この例に見られるように、認識
|的な差異を考慮に入れないでカリキュラム開発をするならば、教科書という基本的な
|教材の中に、基本的な問題を抱えこんでしまう可能性がある。
|-引用終わり-
これも上と同様ですね。
繰り返しになりますが、重要なのは言語や歴史的習慣などが原因のハードルを教え方
を工夫して克服することです。
言語や歴史的習慣(そして人間がもともと持っている直観)の中には不合理な部分が
たくさんあります。そのような部分を特定して子どもたちが不合理な考え方を
続けなくてすむように算数の教え方を工夫する必要があると思います。
どのような文化圏で算数を教えていたとしても、言語や歴史的習慣の側に合わせて、
掛け算の式の順序が特別な意味を持つという無駄なこだわりを子どもの心の中に
植え付けてしまうことは無駄なハードルをひとつ増やしてしまうことになり、
非常にまずいでしょう。
余談。何度も引用していますが、現在の学習指導要領解説では、子どもたちに掛け算
の仕組みを気付いてもらうために12個のおはじきを2×6=6×2や3×4=4×3
の長方形型に並べるという話が書いてあります。こういう活動を十分にやっていれば
最初から掛け算が可換であることを子どもたちは知っていることになります。
この手の工夫があれば上の引用文で指摘されている類の言語と歴史的習慣から来る
ハードルを避けて通れるかもしれませんね。人間は必ずしも言葉で考えるわけでは
ありません。言葉を使わずに図形的なイメージに基づいて考えることはよくあるし、
算数を理解するためには必要なことでもあると思います。
|掛け算についてのつまずきやすいところです。
|田中由美恵 図的表現から記号的表現への変換に関するインタビュー調査
|http://math.ed.niigata-u.ac.jp/~jour/vol.43/%93c%92%86%97R%94%FC%8Cb2.pdf
|―引用始め-
|p39
|・乗法の意味の学習指導においては,「同数累加」「量×量」「基準量×割合」等によ
|る立場を明確にする必要がある。
|・数直線上の操作をA をC に変換すると捉え, そのためにB を作用させると考え
|ることによって,“ A にB をかける”=「倍(multiple)」を児童に意識させなけ
|ればならない。また,数直線上には, 1 あたりを示さない方が児童の「1 とみる」
|見方を高めるとともに, A ×B = C において,( ×B )を作用素(operator)
|として捉えて,A に対してB を作用させた結果どうなっているのかについての意識
|を高めることができる。
|・「言葉の式」を立式の根拠としないように留意する必要がある。
|-引用終わり-
これもドラゴンさんが引用した意図がわかりません。
掛け算の式の順序にこだわる教え方の是非に関する議論とは無関係の話です。
「倍(multiple)」の概念も「作用素(operator)」の概念も掛け算の式の順序とは
独立な概念です。上の文章は掛け算の書き方の順序をすべて反対にしても
同じ意味の文章として理解可能です。
しかし、この文献はドラゴンさんが紹介して下さった文献の中で最も興味深いと思い
ました。紹介して下さってどうもありがとうございます。
ドラゴンさんによる引用だけを孫引きするだけでは田中由美恵さんの
インタビュー調査の主旨が誤解されてしまいそうなので別の部分を引用しておきます。
(ちなみに上のドラゴンさんの引用からは箇条書きの最後の項目が抜けています。)
最初のページp.29より
> 一方「図的表現をうまく活用できない」という児童の実態は、依然として変化は
>ない。例えば、平成19年度全国学力・学習状況調査における課題の1つとして
>「問題の場面から式を考えることに課題がある」ことが指摘された。つまり、問題
>場面の数学的構造を図的表現で表すこと、図的表現から記号的表現に至るまでの
>過程に困難があることが考えられるのである。
確かに図的表現がうまく活用できていないという現状は非常にまずいです。
算数では(数学でも)状況を適切にイメージする能力は極めて重要です。
簡単な図を描いたり、図から情報を引き出したりすることを学ぶことは
算数を真に理解するためには本質的に重要だと思います。
図的表現の使い方の指導法の研究は非常に重要だと思います。
p.30より
>・問題の構造を明らかにしたり、部分と全体のおよその関係を捉えたりしている
> テープ図をかける児童は、図的表現から記号的表現への変換がほぼ可能である。
問題文から図を適切に描ける子どもはさらに式を書いて正解に至る可能性が高い
という結果は、正しくイメージする能力の本質的な重要性から非常にもっともな話だ
と思いました。 (ただし数直線がイメージの適切な源泉になるとは限らないことには
注意しなければいけないと思う。)
個人的に興味深いと思ったのは、なぜかドラゴンさんも引用していますが、
>・「言葉の式」を立式の根拠としないように留意する必要がある。
ということです。「言葉の式」とは「1m分の値段×長さ=長さ分の代金」のよう
な式のことです。私もこのような「公式」にあてはめて問題を解くことは本当の
理解からは程遠い理解の仕方だと思います。
|小原豊 「小学校児童による有理数の乗法における乗法効果の分析」
|http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=en&type=pdf&id=ART0008158284
|p212参照(テキストのコピーができないようなので))
ドラゴンさんがどのような意図でどの部分を引用したかったのか不明。
| ちなみに、サンドイッチのルールは教科指導として開発されたという指摘もありま
|したが、その考えがずっと以前からあったようです。私が#308で紹介した文献では、
|「その得数は,必ず実数と類を同じくして」(p14)とあり、明治2年にすでにありました。
要するに不合理な歴史的習慣が現在まで続いてしまっているということですよね。
| また、交換法則を否定しているかどうかについて、今のところ調べた学力テストで
|は、分配法則や結合法則を理解していない例がありましたが、交換法則を理解してい
|ないという報告は見つかりません。(次のサイトのレディネステスト)
|http://www.chikusei.ed.jp/isasho/kenkyu/chiiki-jigyou/jirei/3nen/index.html
(3) 7×3=3×□〔交換法則〕 正答 39人 誤答 1人
|http://www.sendai-c.ed.jp/21jishukoukainoyousu/21hachi/shidouan/hachishidou3.pdf
合計22名
問題 正答者 誤答例
2 (3) 3×9=□×3 21人 27
(4) 6×□=7×6 22人
|ですから、「交換法則が理解できなくなる」、「交換法則を否定したことになる」
|とは切り離して議論してもよろしいと思います。もちろん小学校で「掛け算に
|交換法則は成り立たない」という考えが支配していることはありません。
この議論で、九九のレベルでの交換法則(可換性)に関する問題の正解率に関する
調査結果を示すことにどのような意味があるのでしょうか?
「掛け算の交換法則(可換性)が理解できなくなるから」というような理由で
掛け算の式の順序にこだわる教え方を批判している人はほとんどいません。
どちらかと言えば、本当は正解なのにバツを付けてしまうことによって、
無用なこだわりを子どもに押し付けてしまうことが批判されているのだと思います。
無用なこだわりを心に植え付けることは算数を苦手にするために非常に効果的です。
だから私は掛け算の式の順序にこだわる教え方は止めて欲しいと強く主張しています。
しかし、次のような問題を子どもたちに解かせた調査があれば是非とも引用してもら
いたいと思います。
「5まいのさらにりんごが3つずつのっています。りんごはぜんぶでいくつ?」
という問題に「3×5」と式を立てるのは正しいか?
「5まいのさらにりんごが3つずつのっています。りんごはぜんぶでいくつ?」
という問題に「5×3」と式を立てるのは正しいか?
どちらの問題にも「正しい」と自信をもって答えることができる子どもがどれくらい
いるか。学年が上がるごとにどのように認識を変えているか(もしくは変えていないか)
などがわかればうれしいです。さらに「3×5」は正しく「5×3」は正しくないと
答えた理由に関する情報もあればありがたいし、「他の文章題の正答率」もしくは
「公式にあてはめずに自分で考えて答を出す能力との相関がどうなっているか」にも
興味があります。
| 用語の適切な使用と誤解のない表現を望みたいです。
これもまたまずい言い方ですね。
まるで kikulog において適切でない用語を使って誤解されるような表現で
議論が進められているかのような言い方になっています。
具体的に誰のどの発言がそのような表現をしているかを指摘せずに
このようなことを言うのは止めて欲しいと思います。
批判対象をあいまいにしたままネガティブなことを繰り返し述べる人を
ときどき見かけるのですが、どういうつもりなのか理解に苦しみます。
もしかして具体的に批判対象を明確にしてしまうと
手強く反撃されてしまうことを恐れているのでしょうか?
誰かを批判すれば逆に強く批判される可能性だ出て来ることは
当然なので、受け入れるべきことだと思います。
| では、またROMに戻ります。
何度もROMに戻るという見苦しいことをせずに、
正々堂々と議論に参加する方が良いと思いました。
一般に大量の引用を含む長文を書くには他人のブログのコメント欄は適しません。
ドラゴンさんの場合には他の場所に自分のまとまった意見を発表する方が
良いと思います。
追記2011年2月9日:ドラゴンさんによる回答が kikulog の次の場所にあります。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297071483
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297071757
以下の部分だけを引用しておきます。残りの部分についてはリンク先を見て下さい。
|まず,私の属性についてはご容赦ください。黒木さんの主張は存じ上げております。
|匿名性により信頼できないのであれば無視いただいて結構です。同様に、他の場所で
|まとめて発表することもできませんのでご理解ください。
匿名発言の信頼性の問題にしてしまっているところを見ると、
実名で堂々と語れないことをネット上に書いてしまうことが
かなりの危険行為であることをまだわかっていないのではないかと思われます。
追記2011年2月15日:ドラゴンさんが匿名にする理由を
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1182740906#CID1183023733
|私は、TOSSを批判しますので、実名ですとTOSSの雑誌等で攻撃され、私のまわり
|の方や所属する研究会などの団体にも迷惑をかけてしまうので、HNで失礼させて
|いただいておりました。実名での書きこみは、責任が伴う分、信頼が高いものだ
|と思っております。
と述べているのを発見しました。これ以前には次のように述べています。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1238636202#CID1238753225
|
|私のまわりには、研究者から実践かまで教育の専門家がたくさんおりますので、折
|りをみて七田等を話題にしますが、笑い話として終わっております。こんな怪しげ
|なところとは正面からかかわりたくはない、という感じもあります。
|TOSSのときもそうでしたが、私のよく知っている方が、TOSSの雑誌で批判
|されたり、産経新聞の向山氏の記事で批判されたりしました。具体的な名前を出し
|ておりませんので名誉毀損で対抗できません。読む人が読めば分かるという感じで
|す。そういうこともありますので、一般論として反論したり、論じたりはしますが、
|具体的には批判したくないと思う方が多いようです。
|「教育は発達段階に応じることが大切だ」と主張できても「○○式はダメだ」なん
|て主張はしたくない、という感じでしょうか。
TOSSウォッチングの掲示板が次の場所にあります。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/bbs02/list.php
TOSS批判に関して私はドラゴンさんたちの活動を強く支持します。
◆Q50. kikulog における2010年2月8日の技術開発者さんのコメント
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297136226
についてはどのように思いますか?
◇A50. すぐに積分定数さんが指摘していますが、「皆さん」が具体的に誰なのかが
よくわからないので結果的に何を言いたいのかわからない発言になってしまっています。
具体的に誰を批判しているのかわからない発言は避けた方が良いと思います。
批判をするときには常に名指しで批判することを心がけ、問題の発言を引用してから
批判を加えるのが基本的な原則だと思います。
積分定数さんの指摘は次のコメント
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297139411
私も技術開発者さんが何を言いたいのか理解できないのですが、
少なくとも教師ひとりあたりの児童数が重要なファクターであるという意見は
間違っていると思います。技術開発者さんは次のように述べています。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297136226
|
|私は本質的なところで小学校の低学年程度の教育というのは、もっと教師あたりの
|児童数を少なくして、教師が「理解度」をもっと確かめながら進んでいっても良い
|と思っているのね。なんとなくかけ算の順序問題というのは、そのあたりの考え方
|が「沢山の児童を1人の教師が教えなくてはならないんだ。こみは決して変えては
|ならないんだ」みたいなところから起きている気がして仕方ないんですね。
1972年にはすでに掛け算の式の順序にこだわる教え方が朝日新聞で問題にされて
います。1970年代と比較して現在の方が少人数教育はずっと進んでいます。
だからもしも教師ひとりあたりの児童数が重要なファクターであるならば、
掛け算の式の順序にこだわる教え方の問題は現在の方が改善されていても
不思議ではありません。しかし実際には改善されているようには見えません。
むしろ状況は悪化しているように見えます。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10196970407.html
に1972年の朝日新聞の記事が引用されています。
その記事では、「6人のこどもに、1人4個ずつみかんをあたえたい。
みかんはいくつあればよいでしょうか」という問題に
「6×4」と式を立てた子どもの答案にバツを付けたことについて、
関係者や第三者がどのような意見を述べていたかも報道されています。
その部分を孫引きしましょう。
|西田芳雄・松原南小学校校長――こどもの発達段階、指導の段階を無視した教え方
|はできない。思考制限はしていないし、むしろ、いろんな考えを出してくれること
|を望んでいる。
|
|瀬戸川寛・大阪府教委指導主事――指導のあり方よりもテストの評価の仕方の問題
|だと思う。評価は、こどもにとって励み、刺激になるものでなくてはならない。そ
|の意味で、ペケにしたのには問題があるだろう。
|
|河原政則・大阪市教育研究会企画係長――こどもが期待通りの答えをしなかったか
|らといってペケをするのはどうか。別の答えをした場合、もしかしたらそこにこど
|も特有の思考があるかもしれず、その思考のプロセスをたどってやらなくてはなら
|ない。そのうえでもしその思考が指導の過程で発展しにくいものであれば、より合
|理的な思考へ導いてやればよい。
|
|最後に、解決への助言を含めて京都大学教育学部の鯵坂二夫教授は、こういう。
|――こどもはアッというような面白いことを考えるものだ。6×4と考えたとして
|も少しもおかしくない。思考の飛躍、冒険は大切なことで、どんどん生かす指導を
|してやらなくてはいけない。「こどもの思考はさまざまだ」という観点にたって、
|学校と父兄が前向きの姿勢で、お互いの立場を認めあってほしい。また、親が学校
|に対し、学習内容などについて発言するのは大いにけっこうなことで、むしろ、
|なさすぎるくらいだ。だが、その場合、まず担任の先生と率直に話合って解決を
|はかるのが望ましい。
このように校長を除いた教育委員会指導主事、教育研究会企画係長、教育学部教授の
3人がそろってバツ(ペケ)をつけることに否定的な意見を述べています。
(校長だけが「こどもの発達段階、指導の段階」を理由に見苦しい発言をしている。
「6×4」にバツをつけること自体が「思考制限」であることがわかっていないのは
かなりひどい。バツを付けてしまったあとであっても子どもたちが素直にいろんな
考え方を出してくれるだろうか?)
果たして現在でも同じように教育委員会、教育研究会、教育学部教授が
「6×4」にバツをつけることを擁護せずにしっかり否定してくれるでしょうか?
積分定数さんによる取材結果を読む限り、そのようには思えません。
(積分定数さんによる取材結果についてはひとまずkikulogのコメント欄を見て下さい。)
そして、メタメタさんの調査によれば教科書指導書だけではなく、
教科書そのものが悪化してきているようです(A36)。
さらに報道する側の算数に関する常識も悪化しているように見えます。
1972年の朝日新聞の報道は結果としてバツをつけることにかなり否定的なニュアンス
になっています。この件について報道するならば当然そうなるべきだと思います。
おそらく取材した人は普通に常識のある人だったのでしょう。
最近の花まる先生の件では取材した朝日新聞の記者側に常識が欠けていました。
なお、教師ひとりあたりの児童数は減っていても現在の教師の方が仕事は大変だとい
う意見はあるかもしれません。実は私もその通りだと思っています。
しかし、教師の負担が減らすことが、掛け算の式の順序にこだわる教え方に直結する
とは考えられません。なぜならば負担を減らすために別の教え方をマニュアル化する
ことだってできたはずだからです。
むしろ掛け算の式の順序にこだわっているせいで苦労しているように見えます。
「ウサギの耳が3本」やら「サンドイッチ」のような教え方が「工夫」されているのも
掛け算の式の順序を教え込むことに苦労しているからですよね。
技術開発者さんが何を言いたいのか理解できないので、結果的に私が述べたい意見を
勝手に述べる格好になってしまいましたが、これでよろしいでしょうか。
◆Q51. これは質問ではありません。楽しいブログを発見したので報告させて
下さい。それは
嫁と子供にまけるな! 算数で父親の威厳を示そう。
父親の威厳を算数で示すブログです。
http://tumakomo.blogspot.com/
残念ながら2010年5月以降更新されていません。
2010年5月7日の記事の後半を引用させて下さい。
前半には掛け算の式の順序にこだわる教育の話になっていますが、
その話はもうあきたので後半の「正方形と長方形の面積」の話だけを
紹介したいと思います。
http://tumakomo.blogspot.com/2010/05/abcac-httpdaiba-suuri.html
|
|去年、小4の娘のテストで、こんなのもありました。
|--------------------------------------------
|長方形の面積は( )
|正方形の面積は( )
|--------------------------------------------
|娘は両方(たて×よこ)と書きました。僕が娘にそう教えました。
|「斜めに描いてあっても、四隅が直角の四角形の面積は『たて×よこ』だよ」と。
|そしたら、正方形の方がバツでした。
|
|ここは、ちゃんと教えないとイケないと思い、
|「こうやって、わざわざ2つ並べているのだから、答えが両方共同じわけはないよ。
|正方形の面積は『対角線×対角線÷2』だよ」
|父親の威厳を保ちつつ、やさしく図を描いて説明しました。
|娘も「あ、ほんまや」と素直に納得してくれました。
|
|ところが、次の日娘に怒られました。
|テストで間違ったところを、直してもう一度提出するのですが、
|「正方形の面積は 『一辺×一辺』と書かないと、あかんて 先生に言われたやん!」と。
|「ええっ!!」
|ビックリして、椅子からズリおちました。
|
|「対角線×対角線÷2 は バツ」と娘。
|
|テスト用紙をみると、たしかに、赤い字で『一辺×一辺』と先生が書いていました。
|
|『たて×よこ』と『一辺×一辺』一緒やん!!
|『対角線×対角線÷2』おうてるがな・・・
|
|文部省認定の算数の教科書に、
|正方形の面積の公式は『一辺×一辺』しか書いていませんでした。
|
|『たて×よこ』と『一辺×一辺』
|確かに、文字で書くと違いますが、内容は同じです。
|「おむすび」 と 「おにぎり」 は違うんですか?
|「ごはんを炊く」と「お米を炊く」は違うんですか?
|
|こう言うのを、屁理屈といいますよね。
|6×5 と 5×6が違うというのも、屁理屈です。
|
|関西では、「お風呂に火ぃ つけてきて」と母親は子供に言います。
|だからと言って、火事が頻発しいるわけはありません。
|
|ま、最近はスイッチを押すだけですが・・・
|
|すべての日本中の小学校の先生のレベルがこんなに低いとは思いませんが
|(思いたくありませんが)、どっちでもいいコトと、そうでないコトの区別は、
|ちゃんとつけて欲しいと思います。
|
|こんなにアホな算数教育をされてる我が子を放ってはおけません!!
|(そんなに、熱くもないですが)
|
|僕としては、子供と算数を楽しみたいのです。
|お父さんも、少しはエライんだ、ってとこを子供に見せつけ、
|算数が苦手な嫁にほんの少しだけ尊敬させようでは、ありませんか。
|
|
|算数は発想です。問題を見た時、全くわからなくても、考えているうちに、
|「あっ!」という瞬間が出てきます。その気持ちよさは、決して他では味わえません。
|また、例え間違っていても、分からなくても、
|「なるほど!」という解法を見せられた時のスッキリ感。
|コレこそが算数、数学の醍醐味です。
このブログはとても面白かったのにあっというまに更新されなくなってしまい
とても残念です。
◇A51. 楽しいブログを紹介して下さってどうもありがとうございます。
娘に「対角線×対角線÷2」と教えている場面には爆笑させてもらいました。
このお父さんは本当に楽しい方ですね!
http://tumakomo.blogspot.com/2010/04/blog-post_27.html
http://tumakomo.blogspot.com/2010/04/blog-post_30.html
を読めば算数を得意になるためには「図を描く能力」が非常に重要なことが
わかります。
◆Q52. 前野[いろもの物理学者]昌弘さんによれば、全国一斉にやったらしい学力検査
の算数に次のような問題が出されたことがあったようです。
http://homepage3.nifty.com/iromono/diary/200212B.html#17
|
|娘の学力検査(全国一斉にやったらしい)の結果というのを見せてもらう。
|算数にこんな問題がある。
|
|九九を使って●の数を求めました。左の図の考え方とあうかけ算の式を線で結びましょう。
|
| ┌────┐
| │●●●●│
| │●●●●│
|ひろみさんの考え ├────┤ 4×4
| │●●●●│
| │●●●●│
| └────┘
| ┌──┬──┐
| │●●│●●│
| │●●│●●│
|りえこさんの考え ├──┼──┤ 2×8
| │●●│●●│
| │●●│●●│
| └──┴──┘
| ┌─┬─┬─┬─┐
| │●│●│●│●│
| │●│●│●│●│
|やすじ君の考え ├─┼─┼─┼─┤ 8×2
| │●│●│●│●│
| │●│●│●│●│
| └─┴─┴─┴─┘
これについてはどう思いますか?
◇A52. なるほど。これは知りませんでした。
掛け算の式の順序に関するローカルルールを覚えているかどうかを
問うだけのひどい問題ですね。
この全国一斉にやったらしい学力検査はどこが主宰したんでしょうかね?
もしもこれが文部科学省主宰の全国一斉学力検査であり、
かつ教育委員会の関係者がこのような問題が過去に出されたことを知ったならば、
教師が掛け算の式の順序を児童に徹底させるように動いても不思議ではありません。
教科書会社も自信を持って掛け算の式の順序にこだわる記述を教科書指導書や
教科書そのものに入れることでしょう。
私はA6の回答で「現在の学習指導要領は無実」ということを強調しました。
しかし、もしも上のような問題が文部科学省の管轄の全国一斉学力検査で出されたと
すれば、文部科学省もまたこの件に関して「有罪」だということになると思います。
しかし、私も「全国一斉にやったらしい学力検査」についてよく知らないので詳しい
情報があれば教えて欲しいです。これは文部科学省主宰だったのでしょうか?
補足:Wikipedia: 全国学力・学習状況調査によれば学力検査を
「全国の小中学生の一部を対象に再開」したのが1982年で
全員調査が始まったのは2007年からです。だから、2002年頃の学力検査が
文部科学省主宰であれば「一部を対象」にしたものであったはずです。
一方、現行の学習指導要領が告示されたのは平成10年(1998年)12月であり、
学習指導要領にもその解説にも掛け算の式の順序へのこだわりはありません。
むしろ順序にこだわりたい派にとって不都合な記述があるくらいです(A19)。
もしも2002年頃も学力検査の問題が学習指導要領(解説)と似た人脈で作られたもの
ならば掛け算の式の順序に関するローカルルールの徹底を前提にしたひどい問題が
出されることはなかったと推測されます。
この不整合をどのように理解すれば良いのか?
◆Q53. A49へのドラゴンさんの回答についてどのように思いましたか?
◇A53. 以下にドラゴンさんの回答を引用しながら逐次コメントを付けて行きます。
例によって | から始まる行は引用で他の行は私によるコメントです。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297071483
|
| ROMにした理由は、ここでは議論ができないと感じたからです。自分なりに真摯に
|文献を紹介しながら書いたつもりでしたが、別のところで順序派とレッテル貼りされ
|て、揶揄されていたので、そういう方々とは議論できないと思いました。どのような
|批判(レッテル貼りでも)であっても私に向けて直接言われたものにたいしては、受
|け入れたいと思っております。ですから、きちんと議論していただけるのであれば、
|対応したいと思います。
まだわかっていないようなので再度言います。
どうして、具体的に誰を批判しているのかを明らかにせずに、
kikulog に集っている人たちに対するネガティブな発言を繰り返すのですか?
この点に関して私はA49で明確に不快感を明らかにしています。
不特定多数の人が集まる場所には自分とは合わない人が必ずいるものです。
そういう人の存在を理由に「ここでは議論できないと感じた」などと言うの
はおかしいし、kikulog コミュニティに対して失礼だと思います。
そもそもドラゴンさんもまた「順序派」であるという指摘は決して「レッテル貼り」
ではないでしょう。私がA37で批判したドラゴンさんによる授業展開案を読むと、
ドラゴンさんはその授業展開案の中で掛け算の式の順序を利用することが
不適切な場面で順序を利用することにこだわっています。
どうしてそこまで掛け算の式の順序の利用にこだわるのか?
「3つのかたまり5つ分で考えました」と日本語でしっかり答えたCさんに
さらに「3×5」の順序で式を書かせることに何の意味があるのか?
| さて、私は、この問題を次のようにアプローチをしたいと考えております。
| 繰り返しますが、掛け算の順序に基づいた指導は、日本では明治期からあり、海外
|の国々でも同様に(逆順の場合もふくめて)あると感じました。それには、海外も含
|めて多くの数学者、数学教育学者などが関わっています。したがって、順序に基づい
|た指導には何らかの意味があると考えます。その意味を明らかにして、その意味が正
|当であるか無いかを議論するのが、筋だと考えました。
この問題の本質とは関係ありませんが、
ドラゴンさんのような言い方は数学者(数学研究の専門家)の立場から
少々迷惑に感じられるので指摘しておきます。
多くの数学教育学者が関わっているのは本当かもしれませんが、
多くの数学者が関わっているという認識は誤りでしょう。
少なくとも私の知り合いの数学者で掛け算の順序に基づいた指導法の
推進に関わっている人は皆無です。
そもそも教育に関わっている人自体がほとんどいません。
Q24で引用されている森毅さんの発言は最低だと思うし、
Q31では銀林浩さんが偏著者のひとりになっている本に
「(c)1あたり量×いくつ分=全体量(内包量×土台量=全体量)」の意味での掛け算
では交換法則が成立しないと書いてあるのも相当にひどい話だと思っています。
遠山啓さんはトランプ配りの考え方に基づいてバツを付けることには反対しているが、
「1あたり量×いくつ分」という順に掛け算の式を書くことにこだわることが
有害であるとは明言していないように見えます。
これ以外に「数学者」が関わっているケースはあるのでしょうか?
「掛け算の式の順序にこだわった教え方をしても良い」と主張している
数学者の名前を複数挙げてもらいたいものです。
| そのために、文献等を紹介して、そうした研究を基に考えていただきたいと思いま
|した。
ドラゴンさんは多くの文献を引用によって紹介する傾向があるのですが、
それらのほとんどは的を外しているものや不適切なものであり、
結果的にドラゴンさんは掛け算の式の順序に基づいた指導が好ましい場合
(メリットがデメリットを上まわる場合)もあるという証拠をひとつも示せていません。
あれだけ文献をたくさん引用して全滅というのはどういうことなのでしょうかね。
| 以下、「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである」
|の指摘箇所について話を進めます。
|
|>ドラゴンさん自身の意見は何なのか?
| 現時点では、はっきりと言えませんが、指導場面では有効な場合もあるように思っ
|ております。
具体的にどのような場面で?
| 私は、基本的には計算の意味理解を重視いたしますので、サンドイッチの法則や
|「はじき」などの形式的な理解は反対いたします。ただ、「はじき」は多くの研究者
|も反対されていますが、どうしてもそれを応用しないと解けない子どももいます。そ
|うした子どもには必要だと考えます。
試験を上手に乗り越えるための裏ワザとして教えるのはありでしょうが、
「はじき」方式で普通に算数の授業をされてしまうのは困りますよね。
| また、例えば帯分数は小学校算数でしか扱いません。これについては反対されてい
|る数学者も多くいます。これにより分数の掛け算でつまずく子どももいます。でも、
|量としての分数の理解には必要とされていて、指導要領でも位置付いています。
| このように中学以降の数学では扱われない算数独自のものもあります。そこで重視
|されているのは「子どもの理解」だと考えております。
ドラゴンさんが重視しているのは過去の習慣の方なのでは?
教育に関する議論で「子どもの理解を重視するためには云々」という議論の仕方
は相当に注意して行なうべきだと思います。そもそも教育の話をしているなら
誰もが子どもの理解を重視するのは当然でしょう。
極端な話として、子どもに理解してもらう事柄がクズ同然であるとすれば、
理解してもらうことは害にしかなりません。
たとえば掛け算の式の順序に関するローカルルールの徹底はクズ同然の考え方を
子どもに押し付けることに他なりません。
初歩的もしくは中間的な理解のポイントとして最終的にあるべき姿とは
異なる考え方を教える途中で導入することはありえます。
しかし、初歩的・中間的な段階で導入した中途半端な考え方を
繰り返し徹底することによって、子どもたちの心に有害なこだわりを
植え付けてしまうようでは困ります。
仮に掛け算の式を「一つ分の数×いくつ分」の順序で導入したとします。
しかしこの順序は仮のものに過ぎないことを教える側は十分に了解しておく必要が
あります。
最終的に子どもたちが「どちらの順序で書いても正解なんだよ」と自信を持って
答えられるようにしてあげなければいけない。
そのためには細心の注意を払う必要があります。
たとえば、子どもたちの理解度の変化を調べるために、繰り返し掛け算の式の
順序を問うテストを実施したりするのはひどい教え方だということになります。
ドラゴンさんの授業展開案もわざわざ無駄に特定の順序で掛け算の式を書かせて
いる部分があるのでひどい教え方だということになります(A37)。
繰り返します。「3つのかたまり5つ分で考えました」と日本語でしっかり答えた
Cさんにさらに「3×5」の順序で式を書かせることに何の意味があるのか?
ひどい教え方が良い教え方だと思っている人が
どんなに「子どもの理解」の重視について語っても説得力がありません。
「子どもの理解」というキーワードを使うのは避けた方が良いでしょう。
「子どもの理解」重視と称して、クズ知識を子どもの心に植え付けることは
許されません。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297071757
|
|連投すみません。
| 文献についてのご意見もありがとうございました。メタメタさん以外スルーされて
|いましたので、うれしいです。
| 民族数学にかかわる2つの文献を紹介した意図は、小学校段階の子どもの学習では、
|文化的な背景の影響を受けるということを理解してもらいたいことです。
わざわざドラゴンさんが指摘しなくても当然の前提として誰もが理解していたこ
とでしょう。たとえば日本語との関連は多くの人が指摘していることです。
文化的背景の中には算数の観点から見て不合理な部分がたくさんあります。
文化的背景のそのような部分は算数教育が超えなければいけないハードルです。
文化的背景の側に合わせて算数の中身をねじまげてしまうのはまずいでしょう。
| この順序は学校教育だけで考えられたものではなく、こうしたいろいろな背景もあ
|るのだろうと思います。算数教育以外の人も、そのように考えている人がいます。算
|数教育とは関係の無い畑村洋太郎氏も「続 直感でわかる数学」で掛け算の順序があ
|るように書かれています。矢野健太郎氏や森毅氏も掛け算の順序があると考えた理由
|には、こうした文化的や言語的に「掛け算の順序」があったのではないかと思います。
| ただ、日常語として掛け算の順序があることと算数・数学教育の指導法とは問題が
|違うと考えます。同様な言語的な背景からのハードルとしては、ひき算も「ひく」と
|いう言葉から「求残」しかイメージできない子どももいることやわり算の「わる」と
|いう言葉から「等分除」しかイメージできない子どもなどの例もあります。
これもまた超えなければいけないハードルですね。
| その次の2つ文献では、具体的に掛け算の立式で課題になっている部分についての
|研究を紹介したいと思いました。
| 図で説明することと立式の関係など、ここでの議論で参考になる知見があると思います。
| 特に、作用素については、ここではあまり議論になっていなかったように思います。
|そのポインタを示したということでもあります。ご参考までに次のような考えもあり
|ます。
| http://www.shinko-keirin.co.jp/sansu/WebHelp/html/page/32/32_03.htm
掛け算の式の順序にこだわる教え方の是非の議論とは無関係の話ですね。
| 以前読んだものの中に、演算の作用素としての役割を重視した報告がありました。
|3×0.3を0.3+0.3+0.3と見てしまうと、3に0.3にかけるというこ
|とがイメージできません。0.3をかけるということは何なのかをしっかり理解させ
|る必要があるとのものでした。それをネットでも読めるものを探していて、見つけた
|ものです。
| 黒木さんはそれぞれ独立した概念であり、順序を反対にしても意味が通ると言われ
|ますが、ここは子どもの理解としてはどうなのかを検討すべきだと思います。
また出ましたね。「子どもの理解」という信頼性の低いキーワードが。
| ここで言語によるハードルも出るのではないでしょうか。3を足すことを「プラス3」、
|引くことを「マイナス3」と自然に言われているように思います。演算の数の後者
|を作用素と見るほうが一般的ではないでしょうか(印象論ですが)。
はい、それは印象論に過ぎません。少なくとも、作用素を右に書くのが普通だ
という固定観念を子どもの心に植え付けるのは止めた方が良いと思います。
言語などから来るハードルを超える工夫をするのが算数教育でしょう。
ハードルの側に教える内容を合わせてクズ知識を子どもに与えてどうするんですか?
|>どちらかと言えば、本当は正解なのにバツを付けてしまうことによって、
|>無用なこだわりを子どもに押し付けてしまうことが批判されているのだと思います。
|>無用なこだわりを心に植え付けることは算数を苦手にするために非常に効果的です。
|>だから私は掛け算の式の順序にこだわる教え方は止めて欲しいと強く主張しています。
|
| 私は、黒木さんのこの主張の「動機」の部分には同意しますし、多くの数学教育研
|究者も同じでしょう。誰もが、子どもに算数好きになってほしいと考えています。
| ただ、本当に「順序にこだわること」が子どもの算数嫌いを助長しているのかは、
|検証が必要だと考えます。ネットで個人的体験が語られている場合もありますが、本
|当にそうなのでしょうか。 三浦朱門氏は、審議会で「妻は二次方程式を使わない。
|だから(一般人に)二次方程式の解を教えてなくてよい。」と言われたそうですが、
|こうした個人的体験をもとに考えるのは疑問です。
ちなみに私は「算数嫌い」が増えるとは言っていません。
もしかしたら「ウサギの耳が3本」の話で喜んで
算数の授業が好きになる子どももいるかもしれませんよね。
しかし、間違った考え方がそのまま固定されてしまうのは困ります。
次の滅茶苦茶な発言を読んで下さい。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm
>
>取引先の会社から請求書が送られてきました。
>1部50円のパンフレット750部のものです。
>計算式が750×50=37500円
>となっていたのでおかしくなり、思わず上司(50代女)に
>「こいつ馬鹿ですね。計算式間違ってます」
>と見せたら、ヒステリックに
>「そんなのどっちだっていいでしょう!。出る答えはおんなじなんだから。!」
>
>そういう問題ではないような。
>小学生の頃先生に計算式は間違わないようにと繰り返し教えられました。
>50円×750部だから37500円になるので
>750×50では37500という数字は出ますが、金額ではありません。
>小学校5年の時に繰り返し教えられました。
>
>「仕事に算数の勉強関係ないじゃない。自慢のつもり?」
>悪意で指摘したのではなく、普通におかしいと思ったから説明したんだけど。
>人にも聞こえないようにいいました。
>いってはいけなかったんでしょうか。
掛け算の式の順序をどのように書くかは
仕事の都合などに合わせて自由に決めて良いことです。
このような常識を身に付けずに大人になってしまう人がいるのは迷惑でしょう。
しかも算数の理解に自信を持ったままで。
さらに怖いのは上の発言を擁護するコメントもついていることです。
擁護していなくても「算数ではトピ主さん(上の発言をした人)が正しい」
のようなコメントを付けた人もいます。
私は算数であろうが何であろうがトピ主さんは
色々な意味で間違っていると思うのですが。
| いろいろな学力調査等では、算数嫌いは2年生ではなく4年生から高くなるとなっ
|ています。掛け算の順序が算数嫌いの原因であるならば、2年生からになりそうです
|が、どうでしょうか。
|http://benesse.jp/berd/center/open/syo/view21/2008/01/s06berd_03.html
「算数嫌い」の話はしていません。
たとえ「算数好き」や「算数に自信がある」子どもがが増えたとしても
「掛け算の式には正しい順序がある」と信じている子ども(さらには大人)が
増えるのは困るという話をしています。
| しかし、中国では、実際に課題に感じて順序を止めました。
|http://www.nier.go.jp/seika_kaihatsu_2/risu-2-310_s-china.pdf
|p181
|-引用始め-
|乗法の学習は第 2 学年上半期に九九に伴って始まる。1つ前の教育課程から,「一部
|分の学習者が被乗数と乗数の区別に難儀を感じる」,「中学校に入ったら被乗数も乗
|数も因数として扱う」などの理由で,被乗数と乗数の区別をなくし,最初から因数と
|して扱うこととした(右の絵参照)。これについて現場の授業等を観察したことがあ
|る。この処理は数計算の場合大きな差支えがないかもしれないが,量の扱いではやは
|り不具合があって,教師たちの丁寧な対応によって乗り越えているところである。
|-引用終わり-
| この文献でも「量の扱いの不具合」が具体的にはよく分かりませんが、こうした研
|究を集めて議論をすべきと考えます。
被乗数と乗数の区別と掛け算の式の順序は別の問題ですよね。
掛け算では被乗数と乗数をどちらの順序で書いても構いません。
被乗数と乗数の区別を止めて因数にするとはこれもまた極端なことをしていますね。
掛け算には様々な解釈があることを理解しておかないと、
中学校以降の数学への適応は難しいと思います。
「被乗数×乗数」というのも正しい解釈だし、「乗数×被乗数」も正しい解釈です。
面倒なので区別を止めて「因数×因数」と考えた方が良い場合もあるでしょう。
どれもが正しい解釈なのです。
式にはたったひとつだけの正しい解釈があるという固定観念は
様々な事柄の理解を困難にしてしまいます。
算数は(当然数学も)頭を柔らかくしないと理解できません。
|>しかし、次のような問題を子どもたちに解かせた調査があれば是非とも引用してもらいたいと思います。
|
|こうしたことは大賛成です。いくつか探してみたいと思います。
|ご参考までに文部科学省の調査です。
|http://www.nier.go.jp/kaihatsu/tokutei/04002030200004000.pdf
|p48以降の問題「6年4 (1)(2)の式」では、子どもの解答を被乗数、乗数の順
|序別に累計していますが、ともに正解にしています。それ以降の問題でも同様です。
|テストでは、基本的にどちらでもOKです。
これは素晴らしいです。少なくとも国立教育政策研究所教育課程研究センター
では掛け算の式の順序がどちらであっても正解にするべきだと考えていることが
わかりました。
しかし、私が「引用してもらいたい」と言っている調査とはまったくの別物ですよね。
ドラゴンさんは無駄にたくさん引用する傾向があり、的を外してばかりだと思います。
私が紹介して欲しいと思ったのは「掛け算の式の順序にこだわった教え方をされて
いた子どもたちがその後も掛け算の式の順序へのこだわりを持っているかどうか」
に関する調査の方です。
「しかし~」の引用文の後に私がどう書いたかを読みなおしてみて下さい。
| あと、「算数科教科書に形成的な評価を取り入れた学習の有効性」で検索してみて
|ください。同名の論文(ドキュメントファイル)が出るかと思います。この論文の63
|ページあたりから順序を基にした学力の調査と授業改善についてまとめられています
| 評価については、形成的評価と総括的評価を混同されて議論されている方もいます
|ので、そこは切り離した方がよろしいと思います。
検索しました。これですね↓
「算数科教科書に形成的な評価を取り入れた学習の有効性」
これはひどいです。せっかく日本に留学に来てくれた台湾の方に対して
日本の算数教育の専門家たちはむごいことをしたものだと思います。
台湾でもそこで紹介されている掛け算の式の順序にこだわった教え方が
広まってしまったら誰が責任を取るのでしょうか?
ドラゴンさんもドラゴンさんで、このようなものを何のちゅうちょも無しに
肯定的に紹介しようとするとは!!! 大丈夫ですか?
まず用語について。「形成的評価」とは学習途中の理解度の推移を調べることで、
「総括的評価」は学期末などに学習結果の理解度を調べることです。
さて、リンク先の論文によれば掛け算の理解の「形成的評価」(学習途中の理解
度の確認)のためには何度も掛け算の式の順序を理解しているかどうかを問う問題
を子どもたちに解かせなければいけないらしい。さらに、理解度の変化の確認の
ためだけではなく、「治療学習」と称して掛け算の式の順序に関するローカルルール
を徹底するための問題を子どもたちに解かせることも推奨されています。
これらすべてが論文の中では何の批判も無しに優れた教え方であるかのように
扱われています。
読者の便のために、「治療学習」のプリントの問題を以下に引用しておきます。
治療学習のプリント(付録16、p.202)より
>
>(1) 全部でいくつでしょうか。正しい式を囲みましょう。
> _ _ _ _ _
> /|\\ /|\\ /|\\ /|\\ /|\\
> ●●●● ●●●● ●●●● ●●●● ●●●●
>
> (あ) 5×4=20 (い) 4×5=20
>
>(2) チューリップは全部で何本でしょうか。正しい式を囲みましょう。
>
> チ チ チ チ チ チ チ チ チ チ チ チ チ チ チ
> \│/ \│/ \│/ \│/ \│/
> ~~ ~~ ~~ ~~ ~~
> (あ) 5×3=15 (い) 3×5=15
>
>(3) 4×2の式になる絵をかいてください。
>
>(4) 2×6の式になる絵をかいてください。
>
>(5) 6×4の式になる問題はどれでしょうか。
>
> (あ) 4まいのお皿に、いちごが6個ずつあります。いちごは全部で何個ありますか。
> (い) 6まいのお皿に、いちごが4個ずつあります。いちごは全部で何個ありますか。
>
>(^_^) (1)~(5)の問題を自分で考えてから、班ごとに、答え合わせをしましょう。
>
>(^_^) 答えが違ったら、自分のやり方を班のみんなに説明して、違った原因をさがし
> ましょう。
図の部分は適当に文字絵で置換してしまいました。
図の詳細がわからなくても何が問題かは明らかだと思いますが、
オリジナルの図を見たければ上のリンク先の論文を見て下さい。
引用は省略しますが、付録15の「かけ算の授業設計」は、繰り返し繰り返し
掛け算の式の順序のローカルルールを徹底する内容になっています。
上の「治療学習」のプリントの内容もその方針で一貫しているわけです。
さらに、付録18の事後試験の(1)、付録19の第一回追跡試験の(1)と(2)、
付録20の第二回追跡試験の(1)と(2)は掛け算の式の順序を問う問題になっています。
いやはやこれには本当にびっくりしてしまいました。
たとえ授業設計が掛け算の式の順序のローカルルールを
子どもたちに徹底するスタイルでなかったとしても、
形成的評価(理解度の推移を調べるための評価)と称して、
繰り返し掛け算の式の順序に関するルールを覚えているかを問う問題を
児童に解かせることには問題があるでしょう。
掛け算の式の順序のローカルルールを子どもたちに徹底するスタイルの授業案で
ある付録15の「かけ算の授業設計」と上に引用された治療学習のためのプリント
などは「実験群一般小ES2」で実際に使われたようです。引用しましょう。
算数科教科書に形成的な評価を取り入れた学習の有効性のp.58より
>
> ES2は研究者の8時間の授業設計案(p.194の付録15:かけ算の授業設計参照)
>で授業を進める制約がある。ES2は最初8時間の授業を受けた。担任教師は第一
>回のテストにつまずいた子どもに対して、治療学習を行わないままに、九九の習
>熟に全力を入れた。形成的評価の考えのもとで、1回目の追跡試験が終わってか
>ら直後、研究者からES2担任教師へのお願いで、担任教師は研究者が作った治療
>のためのプリント(p.201の付録16 参照)を使って1時間の治療学習が行なわれ
>た。このほかに、子どもは休み時間を利用して、ほかの子どもが作った問題を解
>いて、自分で答え合わせをすることを行なった 。その一ヶ月後に、二回目の追
>跡試験を行った。
上で引用した「治療学習」のプリントのような
掛け算の式の順序に関するローカルルールを子どもたちに徹底する方針の
授業をすることが日本の算数教育の世界では許されているらしい。
しかも「治療学習」のプリントは実質的に子どもたちに班ごとの活動で
自発的に掛け算の式の順序を徹底することを求めています。
これは本当に驚くべき事実だと思います。
このような教え方をされてしまった児童に対しては
それこそ追跡調査が必要になると思いました。
掛け算の式の順序に関する無駄なこだわりを
後でしっかり解消できたかどうかについて。
これじゃあ、「サンドイッチ」方式や「ウサギの耳が3本」にように教え方が
「工夫」されてしまうのも仕方がないですね。
まとめ:長く書き過ぎたので最も重要なポイントをまとめておきます。
・教える都合のために導入した中途半端な考え方の理解を
子どもたちに徹底するのは危険である。
・そのような教え方は無駄なこだわり(クズ知識)を子どもの心に植え付ける
ことになってしまうことになるだろう。
・「子どもの理解」重視と称してクズ知識を子どもに押し付けることを
看過するのは非常にまずい。
歩み寄りポイント:別の言い方でもまとめておきましょう。
A28でも述べたように掛け算の式を「一つ分の数×いくつ分」の順序で
導入したとしても、「3×5は正しいが、5×3は誤り」のような馬鹿げた意見
に対して、子どもたちが自信を持って「デタラメを言うのは止めて下さい。
当然どちらも正しい!」と言えるようになるように教えてくれるのであれば、
この件で争う必要は無くなります。
しかし、繰り返し繰り返し子どもたちに掛け算の式の順序のローカルルールを
徹底してしまった後で、「じつはどちらの順序でも正解なんだよ」と教えて
子どもたちは納得してくれるでしょうか? 班ごとに話し合ってまで徹底した
ルールは実は不必要なこだわりであることを納得してくれるでしょうか?
私は後者のまとめ(およびA28)で歩み寄りのポイントを明確に設定しました。
この歩み寄りポイントは十分に適切だと思います。掛け算の式の順序にこだわる
教え方を擁護しようとしているドラゴンさんのような方はこの歩み寄りにしたがう
かどうかを明確に述べる必要があると思います。そしてもしも歩み寄るつもりが
あるならば、掛け算の式の順序に関するローカルルールを利用したにもかかわらず、
最終的に子どもたちが自信を持って「3×5は正しいけど、5×3は誤りなどと、
デタラメを言うのは止めて下さい。当然どちらも正しいです!」と言えるように
なるような授業案の概略を示す必要があると思います。
「算数科教科書に形成的な評価を取り入れた学習の有効性」の「授業設計」が
まともだという立場のドラゴンさんが歩み寄ることは不可能でしょうが。
しかし立場を変えて歩み寄ってくれるならば喜ばしいことだと思います。
◆Q54. 掛け算の式の順序を利用した教え方にかなり強く反対しているようですが、
教師の側が常に「一つ分の数×いくつ分」の順に式を書いて教えるように
気を付けることにまで反対しているのですか? 児童の側には掛け算の式の順序に
関するルールを強制せずに、単に教師の側が式を書くときに形式を揃えておくこと
には問題がないと思います。
◇A54. その通りです。私もそのような教え方には反対していません。
すぐ上でも説明したように、子どもたちが自信を持って
「3×5は正しいけど5×3は誤りだなんて、デタラメを言うのは止めて下さい!」
と言えるようになるように教えて頂けるのであれば問題ありません。
◆Q55. 上の質問の続きです。それではどのような教え方に反対しているかを
指導案の例を具体的に挙げて説明してくれませんか?
◇A55. はい、わかりました。
まず、A53の後の方に反対したい指導案の例があります。
特に「治療学習のプリント」の内容を見て下さい。
掛け算の式の順序に関するローカルルールを徹底する内容になっています。
そのもとになった指導案もやはりローカルルールの徹底になっています。
さらに、Google で「site:ed.jp 指導案 かけ算 filetype:pdf」で検索して見付けた
指導案も例に挙げて反対したくなる教え方について説明しておきましょう。
検索結果で上位に現われたものを適当にピックアップしました。
他の指導案でも似たようなアイデアで私が反対したくなるような
教え方を提案しているものがありました。
例に挙がっていない事例については
・その教え方のせいで「掛け算の式はどちらの順序で書いてもよい」という真実を
教えることが困難にならないか。
・「一つ分の数」と「いくつ分」の考え方について教えるつもりなのに
実際には掛け算の式の順序に関するローカルルールを徹底する指導案になって
いないか。
・掛け算の式の順序という表現能力が極めて低い道具を
多様な考え方を表現するために使わせるという無理なことをしていないか。
などを判断基準にすれば私が反対したくなるような教え方を判別できると思います。
(事例1) 2年1組 - 第2学年1組 算数科学習指導案
「学習の流れ」より
>
> (1) 問題を読む。
>
> [ ドラやきのはこが 4はこあります。 ]
> [ 1つのはこには ドラやきが 5こずつはいっています。 ]
> [ みんなで なんこになりますか。 ]
>
>中略
>
>3 5×4になることを確かめる。
>
>中略
>
>(3) 5×4=20が正しいわけについて説明する。
>
> ・5個の4箱分だから5×4の式が正しい。
> ・4×5は、4箱の5つ分になっておかしい。
「教師の働きかけ・留意点・評価」より
>
>○ 5個の4箱分から、5×4の式がたち、20こ
> という答えが出ることをおさえる。
>
> [ 5×4の式が正しいわけを説明することが ]
> [ できたか。 (観察・発表) ]
>
>○ 4×5の式は、みんなで考える機会を与えて
> くれた大切な式だったことを児童に話す。
「なんのいくつ分」の考え方をマスターしてもらうことが重要なはずなのに
「掛け算の式ではどの順番に書くか」を教え込む指導案になってしまっている。
重要なのは「なんのいくつ分」の考え方の方であり、
掛け算の式の順序に関するローカルルールではない。
このような教え方をした後で
「本当は5個の4箱分を4×5と式を書いてもいいんだよ」
と教えるのは相当に苦しいだろう。
教師「4×5の式は、みんなで考える機会を与えてくれた大切な式でした」
教師「4×5の式に、みんなでありがとうを言おう!」
児童「ありがとう!」
教師「でもね、本当は5個の4箱分を4×5と書いてもいいんだよ」
児童「……?」
教師「びっくりしたでしょ。わかりましたか?」
児童「???」
さすがにこれは無理。
(事例2) 第2学年○組 算数科学習指導案
最終ページの内容より
>
>課題 3×5か5×3になるもんだいをつくろう。
>
>多様な考え
>
> (1) 1まいのおさらに、ケーキが3こずつのっています。
> 5さらぶんでは、なんこでしょう。
>
> (2) いちごを子どもに3こずつ5人にあげます。
> いちごはなんこいるでしょう。
>
> (3) クッキーを5まいずつ3ふくろにいれます。
> クッキーは、ぜんぶでなんこになるでしょう。
>
> (4) 水そうが3こあります。
> 1つの水そうには、金魚が5ひきいます。
> 金魚はぜんぶでなんびきいるでしょう。
>
> (5) あめが5こずつ入ったふくろが3ふくろあります。
> あめはぜんぶでなんこでしょう。
>
>妥当性の検討
>
> ○かけ算に合う問題になっているだろうか。
>
> (1),(2) → 1つ分が3で、その5つ分だから、かけ算の問題になる。
> (3),(4),(5) → 1つ分が5で、その3つ分だから、かけ算の問題になる。
> どれも、1つ分が同じ数ずつになっているから、かけ算の問題になる。
>
>関連性・有効性
>
> ○式に表すとどうなるかな。その理由も説明しよう。
>
> (1),(2) の問題は3×5 (3),(4),(5) の問題は5×3
> 3+3+3+3+3だから。 5+5+5だから。
> 1つ分が3個で5つ分だから 1つ分が5個で3つ分だから。
>
> どの問題も式に表すと (1つ分の数)×(いくつ分) になっている。
>
>自己選択
>
> かけ算の問題は、1つ分といくつ分をはっきりさせてつくる。
どうして児童に取り組ませる課題を、掛け算の式の順序に頼らずに、
「1つ分が3個で5つ分の問題と1つ分が5個で3つ分の問題を作ろう」
にしてはいけないのだろうか?
上のような指導案で教わる児童は掛け算の式の順序に関するローカルルール
(あとで忘れてしまった方が好ましい余計なルール)をまじめに暗記しなければ
いけなくなります。
さらに教師の側が児童の理解度を掛け算の式の順序に頼った方法で測ることを
繰り返せば、普遍的には通用しない掛け算の式に関するローカルルールが
児童たちにさらに徹底されることになってしまいます。
実際にそうなってしまえば、
「本当は1つ分が3個で5つ分であっても5×3と式を書いて良いんだよ」
と教えることは困難になってしまうでしょう。
実際には、「1つ分が同じ数ずつになっているから、かけ算の問題になる」という
ことがわかってしまえば、あとは出て来た数を機械的に順番に掛ければよいわけです
(もちろん順序を自由に変えてもよい)。そのように考えた児童は論理的にも
正しい考え方をしているし、掛け算の式の順番というくだらないことに
こだわっていないという点でも正しい考え方をしていることになります。
掛け算の式には正しい順序が存在するという間違った考え方
(もしくは俺様が導入した俺様規則だからおまえらは全員それに
したがわなければいけないという考え方)を大前提とすることによって、
「出て来た数を機械的に順番に掛ければよい」という考え方は論理的におかしい
(もしくは理解していないことになる)などと言う人がいるようですが、
大前提がひどいのでお話になりません。
さらに細かいことを言えば「トランプ配り」のような考え方も考慮されていません。
一つ分の数といくつ分の数は問題文や状況だけでは決まりません。
この段落の内容を理解できない教師がこのような指導案を使うと、
実際には正しい考え方をしている児童の答えにバツを付けてしまうことでしょう。
(この段落の意味がわからない人はこの文書をくまなく読むべし!)
もしかしたら上のような指導案であっても掛け算の式の順序にあまりこだわらない
よう注意するなどの微修正をほどこすことによって害のない授業をする教師も
いると思います。しかし、それだけの実力のある教師ならばこのような指導案に
頼らずに素晴らしい授業をできるでしょう。
補足:繰り返しになってしまいますが、読者の便のために「トランプ配り」
(もしくは「カード配り」)の考え方についてここでも説明しておきましょう。
3個が5つ分の問題を作る課題を児童に課して、児童が次のような問題を
作ったとしましょう。「3人にカードを5枚ずつ配ります。全部で何枚のカードが
配られるでしょうか。」この問題はひとりあたり5枚が3人分なので5枚が3つ分
の問題だとみなせます。しかし正しい解釈はそれだけではありません。
トランプを配るように3人に一枚ずつ順番に配る様子を想像し、1周ごとに3枚の
カードが配られ、それを5回繰り返すと考えれば、3枚の5つ分の問題とみなすこと
もできます。これが算数教育の世界では有名な「トランプ配り」もしくは「カード配り」
の考え方です。問題文だけでは一つ分の数といくつ分の数は決まりません。
カードを配る問題以外の任意の問題であっても決まらない理由については
A44を見て下さい。全体の数を数える方法を指定しなければ一つ分の数と
いくつ分の数は決まりません。
◆Q56. Q50の質問の続きです。技術開発者さんという方が以前
足し算についても5+3が正解でも3+5は不正解になる場合がある
と主張していた方のブログにもコメントを書いています。
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
技術開発者さんのここでの発言についてはどう思いますか?
◇A56. 率直に言って困った人だと思いました。まず、その理由を説明する前に、
ブログ主のせとさんは2010年12月中旬に自分の誤りを認め、
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
にもその旨を追記していることを述べておきたいと思います。
以下に引用するせとさんの当時の主張を現在のせとさんは誤りだと思っているはずです。
(もしもそうでなければ私は非常に落胆してしまいます。)
(せとさんからのメールで誤りだと思っていることがはっきりしたので上の行は削除)
# 繰り返します。
# 以下で私が批判しているせとさんの主張をせとさん自身がすでに否定しています。
# 以下にはせとさんの過去の発言に対して厳しい批判が含まれていますが、
# 文脈を崩したくないのでそのままにしておきました。
# 技術開発者さんはせとさんにはしごを外された格好になっています。
上のリンク先にあるコメントの量があまりにも多いので、
「添加」に関する発言のみを簡単にひろってみましょう。
せとさんの当時の主張
>次に添加。
>「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありますか。」
>などの問題です。
>これは、5+3ですが、3+5、とはなりません。
>この考えは理科の実験で試薬を作るときも同様です。
>試薬を添加する順番があるからです。
>添加を教えるときは「順番」は大切なのです。
>どちらでもいい、という教え方をすると子どもは混乱するのです。
これが教条主義的でかつデタラメな主張であることは言うまでもないと思います
(せとさんは同じ主張を2010年1月14日にもしています)。
積分定数さんは上のせとさんの主張は誤りだという意味のコメントを付けました。
その後色々あったのですが、技術開発者さんは次のような話を始めてしまいます。
技術開発者さんのコメント 2009.08.05 18:20 より
>((中略)) 私は分析の初心者(もちろん大人)に分析手順を教えることがありま
>す。「試料Aに試薬Bと試薬Cを加える」という手順において「どういう順番」
>と聞く人もいます。
>本来、こう書いてある手順の時はどっちが先でもかまいません。順番に大きい意
>味があるときは「試料Aに試薬Bを加え、その後試薬Cを加える」と書くべきだ
>からです。でも私は「書いてある順番に入れてください」と答えます。そういう
>癖をつけると、順番に意味がある手順を斜め読みした時でも間違えなくて済むか
>らです。もちろん、そう教えて「どっちでも良いはずだ」という人がいたら、
>「癖をつけた方が順番がある時に間違えにくいから」という説明をします。なん
>ていうか、薬品を加える事で起こる反応を良く知れば、当然順番に対して意味の
>無い場合と意味がある場合は自ずと分かるのですが、少なくとも私の教え方は
>「書いて有るとおりに入れれば良い」です。
>なんていうかな、実利みたいな部分が私には強いのですよ。数学は素敵だけど、
>算数は便利です。化学反応は面白いしそれをきちんと理解して欲しいけど、仕事
>で分析する人を相手にするなら、そこまで理解が行かない場合でも間違えずに分
>析してくれれば良いわけです。そういう意味で「形を作る」という事を必ずしも
>否定しない立場にいます。教条的という部分をきちんと切り離しての上ですけど
>ね。
せとさんの試薬の添加云々の発言がデタラメであることには何に触れずに、
技術開発者さんも試薬の添加の話を始めてしまったわけです!
なんたるうかつさ! 技術開発者さんは、間違いなく、せとさんの発言が
教条的でかつデタラメであることをまったく認識できていません。
せとさんの当時の主張と技術開発者さんの発言を並べて読むと
そのことがよくわかります。
御自分がどれだけうかつな発言をしてしまったかに気付かない技術開発者さんは
かさにかかって積分整数さんに襲い掛かります!
技術開発者さんのコメント 2009.08.06 15:14 より
>厳しい言い方になりますが、表現出来ないのは表現の問題では無く自己解析の不
>足だと思います。上の文にしても、「順序の強要」を問題にされていますが、そ
>れは順序があるのが問題なのか、それとも強要されることが問題なのか、両方が
>問題だとすると、どの程度比率で問題の力点はどちらにあるのか、まずご自身が
>自分の持つ問題意識を明確化されるべきだろうと思うわけです。
これは積分定数さんの
積分定数さんのコメント 2009.08.06 00:09 より
>うまくこちらの考えを表現することが出来ないので、もどかしいのですが、現実
>に小6までかけ算の順序を強要する教え方がなされていて、あたかも順序がある
>ことが当然のこととなってしまっていることへの疑問というのがあるのです。
という発言に対するコメントです。積分定数さんは困っているわけです。
このような話の流れに自らを巻き込んでしまった積分定数さんには同情の念を
禁じえません。同じような目に会えば、私も困ってしまったと思います。
技術開発者さんはまずせとさんによる試薬云々の発言が大変困った発言であること
を認識しなければいけません。それさえできないのであれば、積分定数さんに限らず、
他の多くのまともな意見を理解することができなくなってしまうでしょう。
「自己解析」(とやら)が不足しているのは果たしてどちらなのでしょうかね?
私は言うまでもないと思いますが。
kikulog のコメント欄でも何を言いたいのかわからない発言を繰り返しています。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297136226
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297652638
これらの発言は見苦しく、本当に困った人だと思いました。
以前に限らず、現在も「自己解析」(とやら)が欠けているのでしょう。
せとさんはすでに誤りを認めています(すばらしい!)。
技術開発者さんも御自分の足元を見るべき時期が来ているのではないかと思います。
追記2011年2月15日:技術開発者さんが kikulog に初登場したのは
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1182740906#CID1183061927
のようです。
◆Q57. ドラゴンさんの次の質問にはどのように答えますか?
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297676935
|
|Q1 例えば森毅氏が、かけ算には順序があるとお考えになったのは、どのような
|理由からと推測されますか。また、歴代の東京書籍の算数教科書の著者がこの教
|科書を認められている理由をどのようにお考えになりますか。森毅氏を「最低」
|と評されるだけでは、問題が明らかにならないと思います。
|
|Q2 式を計算の道具ではなく、表現の手段であることを子どもに理解させるのは
|必要なこととお考えになりますか。
|
|Q3 指導法の判断基準に「子どもの理解」を用いることの是非と、用いるべきで
|ないというならば、何を規準とすればよろしいですか。
|
|Q4 かけ算の立式の順序はないとされる根拠は何でしょうか。
| 海外でもそれぞれの文化や言語に依存した形でのかけ算の順序はあるように思
| います。
◇A57. はい、わかりました。質問に答えます。
例によって | から始まる行はドラゴンさんの発言です。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1297676935
|>「掛け算の式の順序にこだわった教え方をしても良い」
|>と主張している数学者の名前を複数挙げてもらいたいものです。
|
|東京書籍の教科書の過去の執筆者には、小平邦彦氏、広中平祐氏、彌永昌吉氏が
|います。直接該当箇所を書かれてはいないと思いますが、少なくとも目は通され
|ているでしょう。
教科書指導書には掛け算の式の順序によってはバツにするという説明が
あることがメタメタさんの調査(A36)でわかっていますが、
教科書ではそのようなものは見つかっていないと思います。
いずれにせよ、現実に掛け算の式の順序を徹底するためにどのような教え方が
されているかについて小平邦彦さん、広中平祐さん、彌永昌吉さんが知っていれば、
相当に注意を払ったことは間違いないと思います。しかし、知らなければ見逃して
しまう可能性があります。来年度の東京書籍の教科書には
|5> [ ] に数を入れて4×3のしきになるもんだいを
つくりましょう。また、3×4でもつくりましょう。
みかんが [ ] こずつ入っている
ふくろが、[ ] ふくろあります。
みかんは、ぜんぶで何こ
ありますか。
という問題が登場するようです。このような問題が教科書に載ることによって
どのような問題が発生する可能性があるかについては、それなりに事情がわかって
いないとなかなか想像できないと思います。私も事情をよく知らない事柄に関して
悪しき記述があっても見逃してしまうと思います。もちろん教科書に
「掛け算の式の順序が違っていたら誤りである」とはっきり書いてあればすぐに
気付くと思いますが、そのようにはっきり書いてある教科書は発見されていません。
|メタメタさんが書かれていましたが矢野健太郎氏も同じように考えられているようです。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10440125463.html
ですか?
矢野健太郎さんと遠山啓さんが指摘した事実は「カード配り」の考え方に基づけば
たとえ「一つ分の数×いくつ分」という掛け算の式の順序にしたがったと
しても「4×6」だけではなく「6×4」も正解になるということです。
「一つ分の数×いくつ分」の順序に書いていなければバツを付けてもよいと
思っていたかどうかはわかりません。
この二人が「一つ分の数×いくつ分」の順序で式を書いていなければバツを
付けても構わないと明言しているならば、是非とも引用してもらいたいと思います。
この二人がそのような無茶を言っていたとは思えません。
|また桜井進氏は、大学で数学の講座の講師もされています。
http://www.sakura.cc.tsukuba.ac.jp/~komaba/ssh5/report/3_1a1.html
ですか? (できれば次から特定できるようにリンクをお願いします。)
おそらく桜井進さんは自分自身を数学者だとは思っていないと思います。
「サイエンスナビゲーター」や「数学エンターテイメント」の方が桜井さんに
ついて語る場合には適切なキーワードだと思います。
個人的に科学好きや数学好きが桜井さんのおかげで増えることは大歓迎です。
しかし掛け算の式の順序に関する無用なこだわりを広められてしまうのは困ります。
どこかでこの点について訂正があればうれしいです。
(ドラゴンさんについても同様です。歩み寄ってくれればうれしいです。)
|「多くの」の表現に気に障れば訂正もいたしますが、少なくとも数学を理解され
|ているはずの森毅氏が、なぜそのように考えたのかを、検討することも意味があ
|ると思います。
私が知る限りにおいて、掛け算の式の順序が違っていれば減点しても良いと
明言している数学者は森毅さんひとりだけです。
ただし、私の同僚の中には森毅さんを数学の研究者という意味での
数学者とはみなしていない人もいると思います。
私は森毅さんの発言をすべて本気で受け取らない方が良いと思っています。
面白いことを色々言ってくれた愉快な人だが、
ときどき羽目を外すこともあったとまとめて問題ないと思います。
|東北大学には、数学、数学教育の両面に精通された森田康夫氏もいらっしゃるか
|と思いますが、森田氏はどのようにお考えでしょうか。お尋ね頂き、ご報告頂け
|れば、大きな進歩になるかと思いますがいかがでしょうか。
機会があれば聞いてみましょう。
(しかし期待しないで下さい。会う機会がまったくありません。)
私はこの問題に「数学者云々」は無関係だと思っています。
たとえ数学者の誰かが何を言っていても
一般人は素朴な常識に基づいて堂々と立ち向かえばよろしい。
私もそういう立場で発言しているつもりです。
このレベルの話で数学者が何か特権的に重要な知識を持っている
などという考え方は間違っていると思います。
私はこの件で数学者の「権威」を利用して議論を進めるのは誤りだし、
困りものだと考えています。
|>ひどい教え方が良い教え方だと思っている人がどんなに「子どもの理解」の重視
|>について語っても説得力がありません。
|
| いえ、ここでの議論の一つには「順序にこだわる教え方がひどい教え方かどう
|か」でしょう。その判断の「基準」や「尺度」に「子どもの理解」があることを
|提案しています。そのために、学力調査等のデータも探したいと思っております。
私がひどいと言ったのは「順序にこだわる教え方」すべてではありません。
ドラゴンさんが提案した授業案を私はひどいと言っています。
(あと「治療学習」のような教え方もひどいと形容しました。
その教え方を肯定的に紹介しようとしたのはドラゴンさんです。
だから「治療学習」をひどいと言うことは
ドラゴンさんの考え方をも間接的にひどいと言っていることになります。
ここでの批判のターゲットは明確にドラゴンさんになっています。
私がドラゴンさんの立場ならばこの二つの件で自説を守り切ることは
不可能だと考えます。)
繰り返しましょう。
ドラゴンさんの授業展開案もわざわざ無駄に特定の順序で掛け算の式を書かせて
いる部分があるのでひどい教え方だということになります(A37)。
3つのかたまり5つ分で考えました」と日本語でしっかり答えたCさんに
さらに「3×5」の順序で式を書かせることに何の意味があるのか?
そのような教え方では「3つのかたまり5つ分」のような考え方を理解するだけ
ではなく、「3×5」の順に式を書くことにまで特別に重要な意味がある
というメッセージを子どもたちに送ることになってしまいます。
このようなひどい教え方が良い教え方だと思っている人が
どんなに「子どもの理解」の重視について語っても説得力がありません。
「子どもの理解」というキーワードを使うのは避けた方が良いでしょう。
「子どもの理解」重視と称して、クズ知識を子どもの心に植え付けることは
許されません。
もしかしてドラゴンさんは「3つのかたまり5つ分」のような考え方を理解する
だけではなく、「3×5」の順に式を書くことにまで特別に重要な意味があると
思っているのか?
もしもそうならばまさしくドラゴンさんは掛け算の順序こだわり派だということ
なりますね。
否定するならば早めに否定した方が良いと思います。
|>しかし、繰り返し繰り返し子どもたちに掛け算の式の順序のローカルルールを
|>徹底してしまった後で、「じつはどちらの順序でも正解なんだよ」と教えて子ど
|>もたちは納得してくれるでしょうか? 班ごとに話し合ってまで徹底したルール
|>は実は不必要なこだわりであることを納得してくれるでしょうか?
|
| それは可能だと思います。実際に、子どもたちは交換法則を理解していますし、
|不自然なことと思っておりません。
ドラゴンさんが以前示したのは「6×7=□×6」の□を埋めるような問題の
正解率に関するる資料です。学習指導要領で九九のレベルでの交換法則は
必ず教えなければいけないことになっているの、このような問題の正解率が
高くなるのは当然だと思います。
しかし、そのような問題が解けるようになることと、
掛け算の式の順序にこだわりを持たないようになることはまったく異なります。
その違いを無視いして「可能だ」と言ってしまうのはまずいです。
ドラゴンさんの「可能だ」という主張の根拠はまったくありません。
| かけ算の意味も、同数累加から拡張していきます。数や演算について拡張して
|いくように学習していきますから、最初に同数累加で導入して、直積へと拡張し
|て、そうすると順序が意味をなさなくなるということを理解するとなれば、子ど
|もも十分納得できると思います。
ドラゴンさんは例の「治療学習」を含む授業設計をまともなものだとみなして
紹介しました。その授業設計では掛け算の式を「一つ分の数×いくつ分」の
順に書くことを繰り返し徹底しています。その徹底ぶりは「治療学習のプリントを
見ればよくわかると思います。
繰り返し繰り返し掛け算の式の順序を徹底する授業を行ない、
掛け算の式の順序をおぼえていない子どものために治療学習を実施する。
治療学習には班ごとの活動も含まれており、子どもたちに自主的に掛け算の式の順序
を徹底することを求めています。
実際にそのような授業をやってしまうと掛け算の式の順序へのこだわりが
子どもたちの心の中に強く浸透してしまっていることになります。
そうなったあとに、掛け算の交換法則について習って
「6×7=□×6」の□を埋めるような問題を解けるようになっても、
「掛け算の式の順序に関するこだわり」はなくならないでしょう。
もしも件の「治療学習」のような徹底した教え方をせずに、
掛け算の式の順序についてこだわりの薄い授業にとどめていたのであれば、
大した困難は発生しないと予想できますが、
ドラゴンさんが紹介した授業設計の場合にはあまりにも徹底し過ぎています。
それにもかかわらず「可能だ」と主張するならば、
ドラゴンさんは強い根拠を示す必要があるでしょう。
私はこの点に議論をしぼりたいと思っています。
Q. 「治療学習」のあとで、どのようにして掛け算の式の順序に関する
子どもたちのこだわりを払拭するつもりなのですか?
何時間も掛け算の式の順序を子どもたちに徹底した後でそれでも「正しい順序」を
覚えていない子どもたちには「治療学習」をほどこす。
そのあとにどのようにして「逆の順に書いても正しいんですよ」と教えるのでしょうか?
そもそもあとで払拭しなければいけないこだわりを繰り返し教え込むことのメリット
がさっぱりわかりません。本質的でないことにはこだわらずに教えた方が良いと
思います。
|二乗して負になる数は無いと教えられても、
|虚数へ意味を拡張すれば理解できるようなことではないかと思います。
こういう話と掛け算の式の順序の話は次元が異なります。
「中学校までに教わる数の中には二乗して負になるものは存在しない」と
いう主張は文句無しに正しいです。
それに対して「3×5は正しいけど、5×3は誤りである」という主張は
算数の範囲内でも間違っています。もちろん教師が指定した順序に書かないと
誤りであるというルールを前提にすれば誤りにできますが、それは算数として
誤りであることとはまったく違います。
不合理な考え方を強制した後で「実はあれは嘘でした」と教える話と
「今まで習っていない新しい数を導入します」というようなまともな話を
似たような話だとみなすのは非常にまずいです。
中学校の授業で何の前提も無しに「二乗して負になる数は無い」と教えるのは
止めてもらいたいです。「今まで習った数の中には」という前提条件も強調
しておかなければ嘘を教えたことになります。
|いくつか黒木さんに質問したいと思います。
はい、今回はすべての質問に答えましょう。
|Q1 例えば森毅氏が、かけ算には順序があるとお考えになったのは、どのような
|理由からと推測されますか。
森毅さんも「かけ算(の式)には(正しい)順序がある」とは考えていなかったと思い
ます。引用しましょう。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10439284094.html
>4×6とか6×4とかいった順序は、日本とヨーロッパでは違う。日本は「4の
>6倍」式に4×6と書くが、ヨーロッパでは「6倍の4」式に6×4と書く。こ
>れは左側通行か右側通行みたいなもので、言語習慣から来ている。ただし、日本
>式の方が合理的というのが世界の相場だが、一方ではヨーロッパ式の方がすでに
>流通しまっている。まあ、これはヤクソクには違いない。
(森毅著『数の現象学』より、「ヤケクソ」ではないことに注意!)
森毅さんは「言語習慣からのヤクソク」だと言っているわけです。
どちらをヤクソクにすることも可能だということは、
普遍的に通用する正しい式の順序など存在しないことを意味しています。
そのことを森毅さんは理解していたはずです。
(「日本式の方が合理的というのが世界の相場」という主張は実際には
極めて疑わしいのですが、ここでは無視することにします。)
要するに単なるヤクソクに過ぎないわけです。ヤクソクしておきたい場合であっても
どちらに決めても構わないという類のヤクソクに過ぎません。
(このような意味でのヤクソクをよく convention と呼ぶと思う。)
そのようなヤクソクにしたがっているかどうかを正誤の基準に使うのは誤りです。
それにもかかわらず、森毅さんは「大学入試などだと、たとえば次のようにでも
書かないと大減点されるのだが」と述べて、自分好みのヤクソクを他人に強制
しようとしたわけです(上のリンク先を参照)。
そのような行為は非難されてしかるべきでしょう。
|また、歴代の東京書籍の算数教科書の著者がこの教科書を認められている理由を
|どのようにお考えになりますか。
歴代の(教科書指導書ではなく)教科書で
「掛け算の式の順序が逆ならばバツにするべきだ」
とはっきり書いてあるものがあるのですか?
そのようにはっきり書いていなければ少々問題があっても見逃してしまう可能性が
高いと思います。この点については上で詳しく説明しました。
|森毅氏を「最低」と評されるだけでは、問題が明らかにならないと思います。
私は「最低」と評しただけではありません。A24を読みなおして下さい。
京都大学教授の立場でしてはいけない発言というものがあると思います。
|Q2 式を計算の道具ではなく、表現の手段であることを子どもに理解させるのは
|必要なこととお考えになりますか。
これは愚問です。式に限らず、言葉や図も含めたあらゆる手段が算数における
表現の手段になりえます。式だけをそこから排除するのはおかしいです。
しかし、どの表現手段にも利点と欠点があることを忘れてはいけません。
たとえば、式の使用には表現の簡潔さと操作の容易さにおいてかなりの利点が
ありますが、式は複雑な考え方を表現するためには適切な道具ではありません。
教師はこのようなことを十分に理解しておかなければいけません。
ドラゴンさんはこの点を理解していなかったので注意した方が良いと思います(A37)。
|Q3 指導法の判断基準に「子どもの理解」を用いることの是非と、用いるべきで
|ないというならば、何を規準とすればよろしいですか。
これも愚問です。
誰が「子どもの理解」という基準を用いてはいけないなどと言ったのでしょうか?
「子どもの理解」のためであれば教える内容をねじまげても構わない
という考え方には反対しましたが。
|Q4 かけ算の立式の順序はないとされる根拠は何でしょうか。
| 海外でもそれぞれの文化や言語に依存した形でのかけ算の順序はあるように思います。
これも愚問ですね。
文化や言語に依存したヤクソクとしての順序ならば当然あるでしょう。
しかしそのような順序は単なるヤクソクごとに過ぎません。
私が反対しているのは、文化や言語に依存したヤクソクごとを正誤の基準と
して使い続けることによって、児童に不合理な考え方を押し付けることです。
算数教育において文化的なハードルを越える工夫をすることは必要ですが、
文化的なハードルの側に算数の内容を合わせてしまうようではまずいです。
現実に大人になって仕事をするときには「掛け算の式には正しい順序などない」
という常識は必要です。どちらの順序でも構わないおかげで、仕事の都合に
合わせて掛け算の式の順序のヤクソクを自由に決めることができるわけです。
片方の順序だけが正しいなどと考える馬鹿な大人が増えるのは困ります(馬鹿な大人の例)。
| この質問はあくまでも私からのお願いですが、お答え頂ければ、何か見えるよ
|うに思っております。
かなりの時間をかけて答えてみました。
| 歩み寄りのポイントについては、現時点では保留です。
なるほど、仮にドラゴンさんに掛け算を教えてもらうことになったとすると、
「3×5は正しいが、5×3は誤り」のような馬鹿げた意見に対して、子どもたちが
自信を持って「デタラメを言うのは止めて下さい。当然どちらも正しい!」と
言えるようになるように教えてくれる保証が現時点ではないわけですね。
たとえ「治療学習」のあとでも「可能だ」と言えるのであれば歩み寄りは容易だ
と思うのですがね。ドラゴンさんは矛盾していますよね。
| 私は、黒木さんと争っているつもりもありません。もちろん私が歩み寄ること
|で日本の算数が変わることもありません。むしろ、違う意見を出し合うことで、
|問題の諸相が明らかになることもあると思います。
実はこのやりとりによって「問題の諸相」の一部はすでに明らかになっていると思い
ます。十分な理由の説明無しにドラゴンさんが歩み寄りを保留したことによって。
追記2011年2月17日: ドラゴンさん関係のQ&Aのリスト
2010年12月15日頃 Q37 ドラゴンさんの「指導法で順序にこだわってもよい」という主張について
2011年01月31日頃 Q49 「学校数学と民族数学」などについて
2011年02月09日 匿名での発言の危険性について
2011年02月07日頃 Q53 「治療学習のプリント」がここで登場、歩み寄りポイントの設定
2011年02月15日頃 Q57 ドラゴンさんの4つの質問について
2011年02月15日 ドラゴンさんが匿名にする理由
誤解があるといけないので明言しておきますが、
TOSS批判に関してドラゴンさんたちの活動を私は強く支持しています。
しかし、ドラゴンさんのような人が教育関係者ではないことを祈っています。
「治療学習のプリント」の件が出たおかげで、ドラゴンさんが
どうしようもない考え方をしていることがはっきりしたと思います。
掛け算の式の順序に関するルールを授業で使っても最終的に子どもたちが自信を持って
「3×5は正しいけど、5×3は誤りなどと、デタラメを言うのは止めて下さい。
当然どちらも正しいです!」と言えるようになるように教えてくれれば問題ない
という歩み寄り提案もすぐには受け入れることができないらしい。
ドラゴンさんは、巧妙にも(悪質にも)明言を避けていますが、
子どもたちが「3×5は正しいけど、5×3は誤りである」と信じ続けるような
授業をしても大して害がないと考えているのは間違いありません。
TOSS批判の側で味方の足を引っ張るような議論をしていないか精査した方が良い
かもしれませんね。TOSS批判を私は強く支持するので心配になりました。
追記2011年2月18日:残念。ドラゴンさんは算数教育に関わっている方のようです。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1149106.html
|3. Posted by ドラゴン 2008年07月19日 18:06
| TOSSということでつい条件反射してしまいました。
| 算数教育に関わっておりますが、まわりの熱心な先生達が、
| TOSSの雑誌などで攻撃されて、いろいろと問題も起きております。
| 自分でブログをもっておりませんので、TOSSウォッチングというところでも
| 書かせていただいておりますが、そこでは内容論中心です。
| 先生のご指摘を受けて、教育論として少々書かせてください。
| 私は、TOSSの授業の問題は、そのまま社会一般での授業観、教育観、
| 子ども観の問題でもあると思っております。
http://shibuken.seesaa.net/article/77349656.html
|すみません。私は現役の教師ではありません。
|何というか、教育現場にいて、研究者や教師の教育研究のお手伝いをしていると
|いうか、そのような仕事をしております。詳しく書いてTOSSの方々などに素性
|がばれるとお世話になっている先生方にご迷惑がかかるので、曖昧な表現にして
|おります。
|というわけで、授業をしませんが、授業をみたり、学校や大学を訪問することは
|よくあり、大体が耳学問です。
|...
| Posted by ドラゴン at 2008年01月09日 11:15
太字にしたのは私です。ショックです。
残念ですが本人自身が算数教育に関わっている人だったんですね。
匿名での議論への参加の危険性に関する警告は正しかったようです。
kikulog 七田式幼児教育は、やっぱりまずいので (2007年7月頃~)
を読んでもドラゴンさんが算数教育に関わっていることがわかります。
kurita さんによるドラゴンさんへの突っ込みなどを前もって読んでおくべきでした。
おそらく kikulog などの熱心な読者は上の私の「祈り発言」を見て笑っていたで
しょうね。私はあまりにも「いいひと」過ぎたようです。(そして過去ログのチェック
を十分にしていなかったという点でうかつでもあった。)
さらに検索してみると kikulog 今夜の視点・論点 (2007年1月~)
で学習指導要領における円周率の取り扱いの話が出ていました。
そこでドラゴンさんは「今回の学習指導要領を作成した協力者に知り合いもいて、
よく聞く話ですが」と述べています。学習指導要領の作成の内部事情について
かなり詳しいらしい。そういうポジションにいる方だったんですね!
なるほど私が学習指導要領は無実だと書いたことを喜んだのはこういう理由でしたか。
さらにそこでの発言を読んで、ドラゴンさんは3と3.14が円周率の近似値として
よく使われる理由をまったく理解していないこともわかりました。いやはや。
(3と3.14の次の桁は1で小さいので3と3.14は近似値として効率が良いのです。
そして多くの応用場面において有効桁は高々3ケタあれば足りることが多い。)
「電卓を活用すればよい」ということで納得しちゃダメだということもわかっていない。
ドラゴンさんは今回の掛け算の式の順序にこだわる教え方の是非の議論と同様に
そのときもクズ同然のウェブページを紹介して悦に入っています。
案の定 kurita さんによるつっこみが入っているようですが。
(学習指導要領における円周率の扱いについて私が2001年頃に書いたもの)
ドラゴンさんの周囲にいる算数教育の専門家たちは一体誰なんでしょうかね?
学習指導要領を作成した協力者およびその周囲の算数教育専門家たちには
日本の算数教育に関して最も重い責任があると考えられます。
是非とも実名を明らかにしてオープンな批判をできるようにしてもらいたいです。
ショックでしたが、これでモヤモヤがかなりすっきりしました。
個人的には「問題の諸相」がさらに明らかになったように感じられました。
やりたい仕事の方に戻ります。
◆Q58. メタメタさんが
柴田義松監修、銀林浩・篠田幹男編著
『算数の本質がわかる授業(2)かけ算とわり算』
日本標準,2008年5月30日発行
から次の一節を引用しています。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10801933645.html
>
>数学者フォン・ノイマン(John von Neumann、1903~1957)は次のように説明しています。
>
>「人間はいきなり現実をそっくりとらえることはできない。あるレヴェルの物を
>かっこでくくって素子と見なし、それが構成する集合の構造を分析し研究する。
>そしてそれがわかったら、次はその素子をさらに解剖して、さらに小さい素子か
>ら成る構造として扱い、また一方、さきの解明された構造をかっこにくるんで素
>子と見なして、より大きな構造にアタックする。以下同様にして、小から大へも
>伸びていくというわけである」(略)
>
> このフォン・ノイマンの指摘から(c)のかけ算についてすぐ思いつくことは、
>前半の「大から小へ」はまず「いくつ分」が与えられ、それらの個物をめくると
>素子が現れてくるという「下降(top- down)型」ですが、後半の「小から大へ」
>はまず「1あたり量」が与えられ、それを積算するという「上昇(bottom-up)
>型」です。
>
> サイコロキャラメルの場合は「下降型」ですから、認識の順序に式を書くこと
>にすると、
>
> 3箱×2個/箱=6個
>
>となるでしょうが、本書では「1あたり量×いくつ分」で統一しています。
この一節についてはどのように思いますか?
◇A58. メタメタさんはこの一節を
銀林さんは、「1あたり量×いくつ分」を絶対的なものとして主張されていない
ということの根拠として引用しています。確かにそのような根拠になると思います。
しかし、銀林さんたちが「いくつ分×1あたり量」の順でも構わないことを正当化
するために用いた理由には問題があります。
まず、引用されているフォン・ノイマンの一節は人間の認識の仕方のひとつのパタ
ーンについて述べているだけであり、掛け算の式の順序とは何も関係ありません。
フォン・ノイマンの言葉は「認識の順序に式を書くことにする」という仮定によっ
て掛け算の式の順序と結び付けられています。しかも「順序は左から右」という
暗黙の仮定も必須です。
箱にキャラメルが入っている場合には、まず箱の個数を認識し、その後に箱ひとつ
あたりのキャラメルの個数を認識すると考えられ、認識順に数値を左から右に書けば
「3箱×2個/箱」となるわけです。
たったこれだけのことを述べるために、フォン・ノイマンの言葉を無駄に引用し、
top-down と bottom-up を「下降」「上昇」と日本語で書き、全体として難しげで
知的な雰囲気を醸し出しながら、「3箱×2個/箱」と書いても構わないことの
正当性を説いているわけです。
「認識の順序に式を書くことにする」と「順序は左から右」のどちらかの仮定を除
いてしまえば式の立て方は「3箱×2個/箱」でも「2個/箱×3箱」のどちらで
も良いことになります。認識の順序に式を書かないことにすればどちらの順序でも
良いことになるのは当然だし、認識の順序に式を書くことにしても「順序は右から
左」ということにすれば式は「2個/箱×3箱」の順になります。 (実際には
認識の順序が果たしてその順になるかどうかについても不定性が残っている。)
日本でも西洋でも横書きは通常左から右に書く習慣になっているので、左から右へ
の順序は暗に仮定されているのでしょう。しかし、横書きであっても右から左に書く
習慣の文化圏(たとえばアラビア文字)も存在するので横書きの順序自体にも普遍的な
ルールは存在しません。そして、なによりも重要なことは、算数における式と書き方
と文化的な習慣を一致させる必要はまったくないということです。
銀林さんたちの考え方の裏には、
掛け算の式の書き方のルールは
人間の認識の仕方や言語・文化の習慣に合うように決めるべきである
という発想があります。しかし、現実には人間の認識の仕方や言語・文化の習慣に
合わせることが不合理になる場合はたくさんあります。だから、人間の認識の仕方
や言語・文化の習慣に合わせることをなにやら難しげで知的な表現を使って権威づける
のは非常にまずい。引用されている銀林さんたちの主張をまじめに受け取る教師が
増えることは算数教育にとって害になるでしょう。算数教育について語るときに
簡単なことを難しげな雰囲気で語る習慣が広まるのも有害だと思います。
式の書き方のルールは単なる道具に過ぎません。そこには普遍的な真理はひとかけ
らも入っていない。 (もちろんのことですが、フォン・ノイマンも関係ない。)
正しい合理的な考え方は次の通りです。
実際の応用場面では自分もしくは自分たちの都合によって
掛け算の式の順序に関する規則を自由に決めて構わないし、
必ずしも規則を決めておく必要もない。
誰でも勝手に自分もしくは自分たちの仕事の都合に合わせて掛け算の式の順序に関
するルールを自分の都合に合わせて決めても構わないのです。そしてもちろんの
ことですが、決めなくても構わない。
上の銀林さんたちの文章は、簡単なこと(実際にはくだらないこと)を必然性のない
フォン・ノイマンの言葉の引用によって権威付けながら説明した悪しき一節に過ぎ
ないという事実を、教師の方々が理解するようになれば算数教育にプラスになると
思います。
どんなに「権威ある人」が書いた「知的に見える文章」ものであってもダメなものは
ダメだと大声で言えるような習慣が広まることは教育を良くするためには必要なこと
だと思います。
補足1:実は上の質問で引用されている文章には続きがあります。その続きには
「1あたり量×いくつ分=全体量」の乗法では交換法則は成り立たないと
書いてあります! この主張についてはQ31を見て下さい。
◆Q59. もうこの文書は長過ぎて目を通すだけで大変過ぎます。
資料に関する情報をまとめてくれませんか?
◇A59. 了解しました。適当にまとめておきます。
1. まとまった情報がある場所
次も紹介しておきます(まだ紹介していなかったはず)。
mixiの数学コミュニティ「小学生算数問題で納得が行かない先生の対応」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38880369
(多くの議論がここで出尽くしている。)
>担任の先生が算数が苦手らしく答案の×の理由をうまく説明してくれないとのことです。
> 「シールを9枚買いました。シールは1枚8円です。全部でなん円になりますか?」
>この問いに、知人の息子は
> 9 x 8 =72 答え: 72円
>と書いて×(バツ)をもらったそうです。先生のコメントは、
>「8円のシールを9枚だから、8x9でなければダメ」
このような先生を「数学科の学生(2)」「教職課程に在籍している人(3)」
「個別塾で算数を教えている人(14)」「情報科学に進んだ人(18)」
「職業が公務員な人(40)」「アクチュアリー受験中の数学科卒業生(47)」
「大学での専攻は数理物理学だった人(68)」「職業が技術系の人(82)」
「世間で『先生』と呼ばれる職業に就いている人(84)」
「高校で数学の講師しながら塾で講師しながらという生活をしている人(104)」
「数学科出身で、今年から小学校で2年生の担任の人(149、このコメントが怖い)」
などなど(括弧内はコメントの番号)が擁護しています。いやはや、なんとも。
このリストを眺めると理系の人も全然信用できないことがわかりますね。
200番程度までのメタメタさんの活躍は素晴らしいし、
masaさんの大活躍も素晴らしいです。
個人的に残念だと思うのはmixiの会員しか読めないこと。
あと、順序にこだわる教え方ではよくできない方の子どもたちを救うことは
できないという点についてもっと強調して欲しかった。できる子ではなく、
できない子に方に合わせるために順序にこだわった教え方をしているという
言い訳は無意味です。
mixiの算数「かけ算の順序」を考えるコミュニティー→A25
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4341118
(ここに多くの事例が集約。)
算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える (積分定数さんのブログ)
積分定数さんによるエッセイが連載中。
メタメタの日 (メタメタさんのブログ)
文献調査が非常に詳しい。
kikulog 掛け算の順序問題について(山のように追記あり)
ここには膨大な量のコメントが集まっています。すべてを読むのは大変なので、
積分定数さんとメタメタさんが報告している事例をひろって読めば
現状がどういうことになっているかがわかると思います。
2. 学習指導要領とその解説、教科書とその指導書
現在の学習指導要領とその解説は無実→Q6
教科書会社のトップ「東京書籍」に言わせると、「5×3≠3×5」らしい→Q2
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
メタメタさんの調査を見ると、算数の教科書そのものではなく、
教科書の指導書の方に掛け算の式の順序にこだわった記述があるらしい。
(教科書には文部科学省による教科書検定があるが、
教師向けの教科書指導書の方にはないことにも注意せよ。)
メタメタさんの調査結果(の一部)→A36
かけ算の式の順序についての調査結果(2の1) 2010-02-17 19:39:33
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461348378.html
かけ算の式の順序についての調査結果(2の2) 2010-02-17 19:41:47
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461350178.html
来年度の教科書―掛け算には「正しい順序」がある!? 2010-12-20 20:06:12
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10742669809.html
ついに教科書そのものにも少々まずい記述が登場することになるらしい。
3. 現場での実際の教え方や試験問題の例
1972年の朝日新聞の記事「6×4=24だと間違い」→●1
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10196970407.html
【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか→◇事例4
http://appnote.info/2010/11/15/35or53/
東京書籍の教科書指導書の掛算の順序にこだわる教え方を信じている小学校教師。
2011年12月26日の追記が興味深いので引用しておく:
>確かに算数教育の弊害と言われればそうかも知れません。
>しかしながら、全教科書会社、および全ての業者テスト、学力テスト、進研ゼミなどなど、
>全部これで統一されているので、私だけ一人で反旗を翻してもどうなるもんでもなく、
>むしろ「お前が教えた児童はかけ算の順番も分かってないのか?あぁん?」
>となるのが目に見えています。
現場の教師は全教科書会社、全業者テスト、学力テスト、教材会社などなどに包囲されている。
しかし同じ教師であっても東京書籍の方針を厳しく批判している人もいるので
この先生はちょっとダメだと思う。
長方形の面積を横×縦で計算したら減点された→●1
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/1870
花まる先生曰く「2×8ならタコ2本足」→Q38
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html
「2×8ならタコ2本足」について→Q41
3×2ならウサギ1羽に耳が3本の黒板の写真
http://ultramarutti.blog26.fc2.com/?no=595
嫁と子供にまけるな! 算数で父親の威厳を示そう。→Q51
http://tumakomo.blogspot.com/2010/05/abcac-httpdaiba-suuri.html
で自分の息子(小2)のテストで以下の問題が出されたことが報告されています。
>かびんが 6つ あります。
>どの かびんにも 花が 7本 さして あります。
>花は ぜんぶで なん本 あるでしょう。
>
>・しきは どちらですか。 よい ほうに ○を つけましょう。
>ア 6×7 イ 7×6
>5人の 子どもに、 1人 6こずつ くりを くばります。
>くりは ぜんぶで なんこ いるでしょう。
>
>・しきは どちらでしょう。
>ア 6×5 イ 5×6
前野[いろもの物理学者]昌弘さんの報告→Q52
http://homepage3.nifty.com/iromono/diary/200212B.html#17
掛け算の式の順序を前提にした学力検査が実施されたらしい。
ドラゴンさん紹介の文献→A53の後半
「算数科教科書に形成的な評価を取り入れた学習の有効性」
この文献では日本のある小学校で実施された実験的授業の内容が詳しく書いてある。
その指導計画は掛け算の式の順序を徹底する内容になっている。
どれだけ徹底しているかについては「治療学習のプリント」を見よ。
この事例と上の「嫁と子供にまけるな!」のブログで紹介された事例は似ている。
次のブログも初紹介のはずです。
こどものちかく 小3娘の言葉と行動と発想の記録。「かけ算の順序」問題
http://kodomo.artet.net/?cid=56052
ここを読んでもやはり「正しく図を描けること」は
ほとんど「文章題を正しく解けること」と同じという感じがします。
site:ed.jp で検索して見付けた指導案の例→Q55
・2年1組 - 第2学年1組 算数科学習指導案
・第2学年○組 算数科学習指導案
さらに多くの事例を見付けたければ Google で以下の検索を試してみると良いです。
"算数" "指導案" "第2学年" "かけ算" を含むページを検索
かなりの確率で「一つ分の数×ひとつ分」の順に掛け算の式を
書くことを前提にしないと成立しない指導案にぶち当たります。
「一つ分の数×ひとつ分」の順に掛け算の式を書くというルールは
単なるローカルルールに過ぎず、世間一般では通用しないという真実を伝える
段階について書かれている指導案は私が調べた範囲内では皆無です。
4. 算数教育関係者や大学の先生などの発言
森毅さん曰く「大学入試などだと、たとえば次のようにでも書かないと大減点される」→Q24
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10439284094.html
銀林浩さんたち曰く「1あたり量×いくつ分の乗法では交換法則は成立しない」→Q31、Q58
守一雄さんが帰国子女に対して曰く「式の書き方は車線が右か左かと同じこと」
事故が起こったりするので帰国子女であっても強制的にしたがわなければいけない。→Q34
桜井進さん曰く「かけ算は順番が大切なのです」→A34の補足
村川猛彦さん「なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか」→Q48
率直に言って単なるトンデモ。算数教育に無関係な人なので良かった。
しかし、掛算の順序にこだわる教え方を擁護するために、
掛算の順序にこだわる教え方を擁護するために不都合な文献を発掘して
来てくれる奇特な人でもある。発掘して来た本人は
これこそが掛算の順序にこだわる教え方が正しいという証拠だ
と信じているようですが。
算数教育に関わっていると述べているドラゴンさん曰く
「考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです」
追記2011年02月18日、追記2011年02月20日、追記2011年02月21日、
まとめ2011年02月21日、追記2011年02月22日、追記2011年02月25日も参照せよ。
科学ライターの鹿野司さん曰く、
>この問題に×つけるのはおかしいと言う人は、
>成績の判定のためのテストだと思って文句言っている。
以上のように変なことを言っている人はたくさんいます。
5. 雑多な事例
中学受験算数掲示板「かける数とかけられる数」→Q33、A38
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,1051510
小学校関係者らしき人たちの発言を多数読めます。しかもクズ同然の発言を多数!
大手小町 発言小町 キャリア・職場「算数の掛け算」→滅茶苦茶な発言
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm
計算式が750×50=37500円だと「こいつ馬鹿ですね。計算式が間違ってます」
算数のテストで良い点数を取っていても間違った考え方のままで大人になると
どうなってしまうか。
三角形の面積の公式の順序について (初紹介)
http://okwave.jp/qa/q2610718.html
「底辺×高さ÷2-高さ×底辺÷2」と式を書いて減点されてしまった。
確率の計算の順番は変えてもいい? (初紹介)
http://okwave.jp/qa/q6544370.html
>事象A、B、Cの確率をP(A)、P(B)、P(C)とするとき、次の(1)、(2)は成り立ちますか。
>(1)P(A)P(B)P(C)=P(A)P(C)P(B)=P(B)P(A)P(C)=P(B)P(C)P(A)=P(C)P(A)P(B)=P(C)P(B)P(A)
>(2)P(A)P(B)P(C)=P(A)(P(B)P(C))=P(B)(P(A)P(C))=P(C)(P(A)P(B))
# 以上のQ&Aはすべて仮想的なQ&Aであることに注意。
# 筆者が実際に上に登場するような質問を受けたわけではない。
以上。
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2011年2月18日:しばらくこのファイルは更新されなくなる予定です。
その理由は自分がやりたい仕事に意識を集中したいからです。
たまには更新されることになるかもしれないので、
見捨てず見守って頂ければ幸いです。
2011年2月21日:算数マニアさんを発見してしまったので、追記してしまいました。
算数教育に関わっている人(たち)から実名での公開された反応があるととても
うれしく思います。
特に「治療学習のプリント」のような掛け算の式の順序にこだわった指導案について
算数教育に関わっている人たちがどのように考えているかについて。
私自身はすぐに反応はできないかもしれませんが、
他の多くの方々が対応してくれると思います。
まとめの索引リンク集A59
追記2011年02月17日 ドラゴンさん関係のQ&Aのリスト
追記2011年02月18日 ショックです (T-T)
追記2011年02月20日 【もはや最短理解でもなんでもない】が跡地に!素晴らしい!
追記2011年02月20日 ドラゴンさんと算数マニアさんの主張の酷似
追記2011年02月21日 算数マニアさんの考え方
まとめ2011年02月21日 ドラゴンさんの件に関する個人的まとめ
追記2011年02月22日 算数マニアさんの考え方2 ((7)がすごい)
追記2011年02月25日 「式としてはバツ」問題について
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