著者:黒木玄
更新:2013年1月12日
中日新聞2012年11月5日朝刊に掲載された栗山真寛氏による記事(画像、テキストと画像)には私の名前が出ている。以下は取材の依頼への承諾の返事に書いた「簡単なまとめ」の部分である。そのまとめは個人的に優先順位が高いと考えた順に並べてある。
取材のときに私が最も強調したことは教科書会社の問題である。だからまとめのトップもその話になっている。実際に中日新聞に掲載された記事でも教科書会社がどうして掛算の順序にこだわる教え方に賛成なのかをしっかり取材して下さっており、とてもうれしく思いました。
タイポなどは一部修正してあります。
Date: Wed, 17 Oct 2012 16:26:23 +0900 Message-ID:Subject: =?ISO-2022-JP?B?UmU6IBskQkNmRnw/N0o5JGgkajxoOmAkTiQ0QWpDTBsoQg==?= From: Gen Kuroki <******@**********> 栗山真寛様 取材の件、了解しました。 〜〜〜〜〜〜中略〜〜〜〜〜〜 以下は掛算の順序にこだわる教育に関する簡単なまとめです。 正直なところわかっていないことが多く、 ジャーナリストによる取材が必要な部分があるように思っています。 そもそも私の専門は一般人には完全に無縁の純粋数学であり、 まだ小さい子どもがいるので「算数教育は一体どうなっているのだろうか?」 と思ったので色々調べてみて、びっくりしているだけなのです。 どうして、こんな状況が放置されているのか、私には理解できません。 1. 事実:算数の教科書を出している全6社の算数の教科書指導書に 掛算の順序が逆ならば誤りとする教え方が書いてある。 しかもずっと昔から現在までずっとそのように書いてある。 この事実は高橋誠著『かけ算には順序があるのか』の24-26頁付近で 指摘されています。高橋さんのブログの http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461348378.html http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461350178.html http://ameblo.jp/metameta7/entry-10742669809.html にはもっと詳しい情報があります。 さらに東京書籍の算数教科書2年下の指導書の内容については http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089 に現場の先生による非常に詳しい批判があります。 驚くべきことに単に掛算の順序にこだわるだけではなく、 「子どもが6人います。1人にあめを7こずつくばります。 あめは何こいりますか」 という教科書の問題について、6×7と答えた小学二年生に対して、 「6×7では、6人が7つ分になり、 答えは子どもの人数となってしまうことをおさえる」 という教え方をせよ、という指示が書いてあります。 https://twitter.com/genkuroki/status/251259994606034944 これを読んですぐに理解できる一般人は少ないと思います。 私が個人的に啓林館の小6の算数教科書指導書を借りて見てみたら、 驚くべきことに、文字式を扱っているのに掛算の順序が逆ならば誤りになる と書いてありました。しかも 「1冊x円のノートを8冊買います」 という状況で代金をy円とするとき、正解は「x×8=y」になっているのですが、 「x×8 が 8×x になっている場合は、 「8円のノートがx冊」という意味になってしまう」 と書いてあります。 https://twitter.com/genkuroki/status/251259369541480449 2. 事実: 教科書指導書は一般人は購入できないの(購入できたとしても高価)。 この事実より、教科書指導書は一般人の厳しい批判の目にさらされることなく、 大きな影響を日本の教育に与えることに成功して来たと考えられます。 教科書指導書がどのように作成されているかについてはよくわからないのですが、 教科書会社の編集者(教科教育について非常に詳しい)が、 現場教師の助けを借りながら作成しているようです。 私が借りた啓林館の教科書指導書では著者名のクレジットがどこを探しても 見付かりませんでした。編集者が作成しているのであれば納得できます。 3. 事実:1960年代の文部省は掛算の順序にこだわる教え方をすすめていた。 この事実は『かけ算には順序があるのか』の20-23頁で指摘されています。 4. 事実:現在の学習指導要領およびその解説には 掛算の順序が逆ならば誤りになるという説明はない。 (これは実際にインターネット上でそれらを読んでみれば誰にでも確認できる。) 要するに現時点での教科書指導書にあるびっくりするような教え方の指示は 現在の学習指導要領とは無関係であるということです。 5. 事実: 指導的な教師の中に掛算の順序にこだわり教え方の 強力な推進者が存在する。 どのような割合でどれだけいるかについては何もわかっていません。 たとえば、筑波大学附属小学校算数研究部 田中博史教諭は 小学校の先生のあいだでもかなりの人気のある掛順こだわり教育推進者です。 http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t16/l50 他にもわが宮城県の伊藤宏教諭(のちの校長先生)もかなり強力な 掛順こだわり教育の推進者です。 https://twitter.com/genkuroki/status/252998419860299777 この二人に共通していることは、子どもが 「文章題の内容を絵で描けるほど理解していて」かつ 「掛算を使って正しい答を出すことができて」も 「掛算の順序を逆に書くこと」は許さないとしていることです。 私にはどうしてそこまで掛算の順序にこだわるのか理解できません。 たとえ不合理であってもそれなりに理解可能な説明があれば良いのですが、 残念ながらそのような説明さえ一つも見たことがありません。 さらに次の事例の ANo.20 の自称校長先生(tosa-bash氏)の事例もあります。 http://okwave.jp/qa/q7196103_3.html#answer この先生も算数教育にかなり熱心な掛順こだわり教育推進派です。 【転載時の補足:現在では上の場所でtosa-bash氏の発言を読めなくなっているので、 tosa-bash氏の発言へのコメントのページを代わりに見て欲しい。】 6. 事実:算数のほとんどの教材の文章題の解答欄は「しき」と「こたえ」の 二つの欄に分かれており、「かんがえかた」を詳しく書く欄は存在しない。 (「けいさん」の欄があることもあるが、「かんがえかた」の欄はない。) これは本屋に行けば誰でも確認できます。 7. 推測: 算数教育の世界では、 「文章や図などで示された具体的状況や考え方を式(だけ)で忠実に表現させること」 が当然だということになっている。 この推測については http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html に詳しく書いておきました。 「2×8」のようなこれ以上ないくらい簡潔な式による表現だけで、 具体的な状況や考え方を表現させるのは明らかに不合理な行為です。 式だけで済むなら、言葉による説明も図やグラフも必要ありません。 実際には式だけを書かれても意味不明になることが多いので、 言葉による説明や図やグラフも使って説明することが常識になっているのです。 この推測が正しいなら、様々な事実を整合的によく理解できます。 たとえば「2×8ならタコ2本足」という教え方があるのですが、 「掛算の式だけから具体的場面が一意に決まってしまうべきだ」 ということになっていれば、そのような非常識な教え方が出て来る理由も よく理解できます。常識的にはタコの足の総数を扱っている状況で 「2×8」という式を見たら「8はタコの足の本数を意味する」と解釈します。 そういう常識的な解釈も許してしまうと、「2×8だけで具体的場面が決まる」 という考え方が否定されてしまうことになります。 必然的に掛順こだわり教育になってしまうわけです。 8. 悪影響の推測:多くの子どもは文章題を解けなくなってしまうだろう。 この推測のより詳しい内容は以下の通りです。 (1) 掛算の順序にこだわる教え方の背後に 「式だけから具体的場面を一意的に読み取れる」 という発想が隠れているものと推測される。 (2) 実際にその推測が正しいならば、 算数の教材の文章題の解答欄(「式」と「答」に分かれている)の 「式」の欄に書いて正解になる式は極めて制限されたものになるだろう。 たとえば「4枚の皿の各々にミカンが3個ずつ」という問題に「式:4×3=12」 と答えると誤りになったりすることになる。 掛算の順序に限らず、正解になる式には様々な制限が課されることになるだろう。 その制限は合理的なものではないので、要領の悪い子どもは覚えることが 困難である。 (3) したがってそのような子どもは各文章題のパターンごとに ほぼ唯一の「正しい式の書き方」を暗記しなければいけなくなってしまう。 そのような子どもはパターン通りの問題ならばなんとか解けるかもしれないが、 パターンから少しでも外れた問題はまったく解けなくなる。 実際にはものすごくたくさんある文章題のパターンごとに 正しい式の書き方を暗記して忘れないままにしておくことは不可能なので、 パターン通りの問題での成績も悪くなってしまうだろう。 算数が得意な子どもの特徴は 「問題の解き方がものすごくたくさんあって、 そのどれかを見つけさえすれば正しい答を出せること」をよく知っており、 実際に試行錯誤によって解き方のどれかを見付けてしまうことができることである。 各文章題ごとに「正しい式」がほぼ唯一に決まっていると信じている子どもとは まったく別の考え方をしている。しかも、算数が得意な子どもの考え方の方が 効率的でかつ楽しいので差は急激に広がることになる。 インターネット上ではある季節(もうすぐやってきます)になると、 掛算の順序にこだわる教え方でバツを食らった子どもの親が騒ぎ出します。 事情がわかっていない親がびっくりするのは当然だと思います。 そして運が悪いと 「答が○○個(人、冊、…)の形なら掛算では 個(人、冊、…)のついた数を先に書くとマルをもらえますよ」 のようなことを教わって、そのような考え方を親が子どもに教えることになる。 たとえば次の事例を見て下さい。 http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?o=0&p=1 これは「単位のサンドイッチ」などと呼ばれているようです。 上で引用した東京書籍と啓林館の教科書指導書の説明も 実質的に「単位のサンドイッチ」に基いたものになっています。 http://www18.atwiki.jp/kakezan/pages/15.html しかし、これはまさに「これをやってしまうと確実に算数が苦手になる考え方」です。 なぜならば、その考え方は、文章題の内容を一切理解しないまま、 キーワードだけをひろって「正しい式」を書く方法になっているからです。 距離と速さと時間の関係を与える「きはじ」(「はじき」)の簡便法もまた 内容を理解せずに正しい答を出す方法なのですが、 求まる答は実生活でも役に立つ事柄です。 しかし、「単位のサンドイッチ」で得られるのは「正しい掛算の順序」のみ。 まったく役に立たない。 9. 事実:全国36校の調査では小2での掛順立式問題の正答率は半分程度で 小3では4分の1程度に下がる。 http://ameblo.jp/metameta7/entry-11126783021.html 子どもは掛算の「正しい」順序を覚えるのが苦手なようです。 掛算の順序の決め方には必然性がなく、 必然性がないことの暗記は大人でも難しいものです。 大学の理論物理学教授でも行列の縦と横のどちらが行でどちらが列なのかが はっきりしない人がいます。そういう非本質的なことにこだわらないのが、 科学者の基本的なスタイルだと思います。 専門の科学者がこだわることがくだらないということでかつ子どもが苦手なことを 子どもの押し付けているのが掛順こだわり教育だと考えられます。 10. 事実:とある学校での私的アンケート調査では、 掛算の順序が逆だと誤りになると考えている学校関係者は2/3程度で 残りの1/3程度はどちらでも良いと考えている。 ただし、担任・算数指導にかかわっている先生に限定すると 掛算の順序が逆だと誤りになると考える人の割合は9割に上昇する。 http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/769 一応、掛順こだわり教育派の方が多数派ですが、 常識的な考え方をしている学校関係者も結構いるようです。 しかし、このアンケート結果は一つの学校の結果に過ぎないので、 他の小学校でどうなっているかについてはよくわかりません。 ぼくの印象では、算数教育に特別に熱心な先生ほど、 掛算の順序へのこだわりは強いように思えます。 この辺も本当のことはよくわかりません。 以上です。 簡単に書くつもりが長くなってしまいました。 -- 黒木玄
実際の取材インタビューへの回答も以上の資料の順番で行なった。最も強く強調したことは教科書とその教師用指導書の問題である。
算数の教科書自体にびっくりするような記述がある場合もあるが、教師用指導書(赤字で答えが書いてある教科書の解説書など)と比較すれば相対的にかなり稀である。教科書だけを見ても真意が分からない部分が実はたくさんあり、そのような部分に関する詳しい説明は教師用指導書を見ないと分からない仕組みになっている。
ところが、その教師用指導書にびっくりするような記述がたくさん見付かるのだ。しかも、教師用指導書は一般人には購入不可ということになっており、教師以外の一般人はそれを閲覧する機会がほとんどない。そのような文書が現場の教育に大きな影響を与えており、しかもその中にびっくりするようなことがたくさん書いてあるのである。掛算の順序固定にこだわる教え方の問題はそのような問題の氷山の一角に過ぎない。
中日新聞2012年11月5日朝刊に掲載された記事では、算数の教科書最大手の東京書籍に取材して掛算の順序にこだわる理由について「文科省が発行する指導要領の解説に『10×4は、10が四つあることから、40になる』といった記述があること」と回答をもらっている。
正直、東京書籍によるこの回答は非常に意外だった。学習指導要領およびその解説は広く公開されており、実際に読んでみればそれを掛算の順序にこだわる根拠とするのは苦し過ぎることは明らかだからである。案の定、文科省の側は「深く考えすぎだと思う」と一蹴されてしまっている。
私は特に教科書およびその教師用指導書の問題が重用だと考えていたので、算数教科書最大手の東京書籍に取材し、掛算の順序にこだわる教え方に関する東京書籍側の根拠を文科省に否定させたことは、大変なファインプレーだと思った。
上記の中日新聞の記事には「黒木助教は『子どものやる気が下がってしまう』と、掛け算の順序など枝葉にこだわるあまり、子どもの算数嫌いを助長しないかと心配する。」と書いてあるが、実は取材インタビューでこのように言った記憶はない。
しかし、私がよく紹介している事柄の中には「小学校における掛算の順序にこだわる教え方のせいで子どもが意気消沈してしまった事例」が含まれている。それは東北大学大学院の院生による小学2年生に対するかけ算の学習支援の事例である。私は仙台在住なのでこの事例をかなり身近な問題だと感じている。おそらく取材インタビューのときにもこの事例について紹介したと思う。
この事例は、東北大学大学院教育学研究科の院生がスタッフを務める学習支援教室での,小学2年生Yくんの話である。
Y君は第3回学習支援教室(11月中旬)のときには文章問題から掛算の式を作って正しく答を求めることができた。問題が絵で示されていた場合も同様であった。ただし、Y君は掛算の順序へのこだわりは無かった。
しかし、このY君は第4回(12月初旬)のときには文章題の1問目で「わからない」と言うようになってしまったのである。関連部分を論文から引用しよう:
第4回目(12月)の支援教室では、スタッフが算数のプリントを作成し、かけ算の文章題の解法が定着したかを調べた。1問目を解こうとしたとき、Yは「わからない」と言った。スタッフが問題文を音読すると、Yは自信がなさそうに「4かける7?」と尋ねた。スタッフが「そうだね」と答えると、Yは式と答えを書いた。2問目の文章題では、スタッフに質問することなく式と答えを書いた。Yは、第3回目の支援教室ではかけ算の文章題解決が可能であったにも拘らず、この回では突然、文章題が解けないと言い出し、さらに、問題文を読んだ時点で式も答えも分かっていたようであったが式を書くのを躊躇した。このようなYの様子が、スタッフにとっては意外であった。
Yが立式を躊躇した理由を考えるうえで、Yからの保護者の見立てが参考になった。支援教室終了後に保護者からスタッフに、Yがかけ算の「かけられる数とかける数」についてよく分かっていないらしいとの話があった。かけ算の「かけられる数とかける数」とは、「一あたり量がいくつ分」というかけ算の意味を指す【引用者註:「一あたり量」は数教協ローカルな用語であり、教科書などでは「一つ分」に対応する】。これに関連して、小学校ではしばしば、かけ算の式を「一あたり量×いくつ分」のように、「一あたり量」を先に書くように指導する場合がある(e.g. 遠山、1978)。保護者の話を受けて、Yの取り組んだ問題を後日スタッフが確認すると、Yは問題文中に出てくる順に数値を並べて立式しており、必ずしも「一あたり量×いくつ分」の順で立式しているわけでないことがわかった。【以下略】
このような事例の文脈で「子どものやる気が下がってしまう」と述べるのであれば多くの人が賛成してくれるのではないだろうか。(東北大学大学院生スタッフが結果的に掛算の順序にこだわる教え方に対して批判的な視点を持つことがなく、「5×2だと耳が5本のウサギが2匹いることになる」という教え方をしてしまったことはとても残念なことである。)
もしかしたら、「掛算の順序にこだわる教え方だけで子どものやる気が下がってしまうのは稀である」と言いたい人がいるかもしれない。しかし、実際には掛算の順序にこだわる教え方の問題は氷山の一角に過ぎない。教科書やその教師用指導書には世間一般では通用しそうもない複雑なローカルルールがたくさん書いてある。掛算の順序に限らず、そのようなルールをいちいち押し付けられるというようなことになれば嫌になる子どもが無視できないくらい増えてしまう可能性があると思う。
教科書とその教師用指導書に(特にこの指導書の方には)びっくりするようなことが書いてあるのは事実である。それらの教育現場での影響がどの程度であるかについては、はっきりしたデータはない。しかし、悪影響がどれくらいであるかのデータが無くても、教科書とその教師用指導書にある問題のある記述はオープンな議論にさらされることによって改善されるべきではないだろうか。
算数の教科書とその指導書の問題点のページも参照してもらいたい。