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統計学における「母数」は"parameter"の訳語だってみんな知ってた?―訳語選択の失敗例

統計学にいて「母数」は"parameter"の訳語である。例えば正規分布は平均μと分散σ^2という二つのパラメーターを持っている。その意味でのパラメーターを統計学では「母数」と呼ぶ。しかし、訳語の選択がまずかったせいで、「母数」を「母集団サイズ」もしくはより一般的に「分母に来る数」の意味で使う人達が普通に見付かるようになってしまっている。その他、雑多な話も色々している。
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統計学用語の「母数」が「parameter」の訳語だと知ったときは驚いたよな。日本語的に「母数」には「母集団の構成要素の個数」のような響きがあり、実際そのような意味で使う人が容易に見つかる。すでにそういう人を無くすことが不可能な感じになっていると思う。続く

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続き。典型的な「母数」の誤用例 【・「母数」と比べてどうかある部品の不良品が1000個あったと言われると一瞬、大きな印象を受けてしまいますが、母数が100万個であれば、それは0・1%の不良です。】

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母集団の平均や分散が「母数」の典型例であり、「母集団サイズ」=「母数」ではないんですね。この話題を私は「統計学に無知な人達の問題」だとは思わない。私は「母数」=「parameter」という翻訳が失敗だったことが証明されているのだと思っています。

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我々の社会は日常用語に関しては同じ言葉の意味やニュアンスをかなり柔軟に変えることに対応していると思う。そういう柔軟に対応が難しいのが専門用語の訳語の問題です。社会的な試行錯誤によって多くの人にとって易しく感じられる訳語にするのがよいはずなのですが、〜

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続き〜、学術的な専門用語については、一度教科書に採用されて広まってしまうと訂正はほとんど不可能になってしまう感じ。これは非常に不幸なことなのですが、適切な訳語に訂正する方が「高く付く」感じになってしまっているのでどうにもならない。続く

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「母数」=「parameter」にもこまるのですが、大学新入生に数学を教えるときに「行列」≠「行列式」であるという事実にも悩まされる。「行列」=「matrix」、「行列式」=「determinant」なんですね。続く

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続く。直訳的に「determinant」を「決定子」や「決定式」のように訳してくれていれば、期末試験で行列の計算と行列式の計算を混同して悲しい思いをする学生が減るかもしれません。でも、いまさら、そういう訳語を広めるのは滅茶苦茶高く付く感じ。

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続き。話をさらに脱線させる。数学用語の選択の仕方によって雰囲気は大幅に変わる。雰囲気は次の世代に知識を伝えるときには相当に重要だと思う。雰囲気作りに成功している場合の典型例としてsheaf theoryの用語があると思う。続く

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続き。germ (芽)、stalk (茎)、sheaf (層、元の意味は植物などを束ねたもの)のような植物的で柔らかい癒し系の言葉をそのまま専門用語として使用したことは、大成功だったと思う。それらの用語による雰囲気のおかげで勉強し易くなっている。

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統計学用語達が作っている雰囲気は正直あんまりよろしくないと思う。英語で読んでもアレな感じで、そのアレな感じが日本語ではさらに増幅される感じ。単純な話を権威的で小難しく感じさせる用語の体系が出来上がってしまっていると思う。面白い分野なのにもったいない。

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すでに社会的に広まったしまっている「分かり難い」専門用語については「そう呼ぶことは合理的でも何でもないのだが、歴史的な経緯でそう呼ぶことになっている」と教えざるを得ない。ヒトは言葉を操ることに秀でているので慣れれば何とかなる感じ。

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色々な分野を学ぶことに付随する楽しみの一つとして、様々な用語の体系について学び、今私がしているように感想を述べるというようなことはあると思う。専門家集団がまとめた用語の体系には(不適切に感じられる用語が採用されていることも含めて)独特の面白さがある。

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用語の体系の面白さに着目することのメリットの一つは、どのような用語を選択するかと数学的な内容は無関係であることを再認識できることだと思う。「どうしてそう呼ぶか」という質問は数学の内容を理解するための質問ではないことを初学者は早く気付くべきだと思う。

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数学の内容的にはどうでもよい「どうしてそう呼ぶのか?」にこだわってしまうせいで数学の内容の理解に集中できない人達は、様々な分野の用語の体系が歴史的な偶然で決まって来ているという類のことへの教養も欠けているのだと思う。

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「数学教育にもっと数学史を導入するべきだ」という安易な意見にも似たような無教養を感じる。本物の噓偽りのない数学史の話を数学教育の中ですることに私は賛成してよいと思っているのですが、多くの場合に「噓偽りを教えろ」とほぼ同義のことを言われるから困る。続く

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安易な人達(安易でない人達は除く)は数学史も教えれば数学的アイデアがどのように出て来たかがわかりやすくなって教育効果が上がると信じているようだ。しかし、各種文献に残されている歴史の中身は複雑怪奇。現代の我々の視点から再構成した偽物の「歴史」なら〜続く

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続き〜、数学的アイデアについて説明するときに役に立つかもしれないが、それを真の歴史であるかのように誤解させてしまうと、新しいアイデアが出て来る現場がどれだけ混沌としているかを伝えないことになってしまい社会に有害な影響を与えると思う。続く

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エレガントなアイデアが混沌の中から出て来るという真実を伝えるために数学史を数学教育で利用できるならば素晴らしいことだと思うのですが、安易な(偽物の歴史の)導入は(数学にも数学史にも)よくないと思う。

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もしかしたら(個人的には強く確信しているのだが)、教わる側が欲しているのは「人間的な物語」なのかもしれない。現代では高度な数学を使った仕事をしている人達の雑談を誰でも自由に閲覧できるようになっている。社会的によい効果があるとよいと思う。

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数学における人間的な物語について知りたければ、19世紀のヨーロッパにおける数学者達について調べてみると楽しめると思います。19世紀のヨーロッパでは現代の我々が社会的常識だと思っている制度が生まれたのですが、現代的な大数学者も大量に出て来た!

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たとえば、決闘で死んだガロアさんの話は普通に面白いよね。そしてガロアさんが残してくれた遺産(対称性を使って数学的対象を制御するというアイデア)がその後関連分野にどのように巨大な影響を与え続けたかは相当にわかりやすい話だと思います。

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⚡️ "統計学における「母数」は"parameter"の訳語だってみんな知ってた?―訳語選択の失敗例"

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大学1年生教育でいつも悩まされるのはdeterminantを「行列式」と訳されてしまったこと。行列自体が式なのに、determinantを「行列式」と呼ぶせいで、「行列式」と「行列」の区別が曖昧になってしまう人が出て来てしまう。

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個人的な感覚では、統計学用語の体系は権威的な響きのある語が選択されているように見えて感じが悪い。純粋に合理的であるために使われる道具のはずなのに、権威的な響きが強いのはよろしくない。権威的に響く用語の体系は統計学の誤用の原因の一つになっていると思う。

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