tosa-bash氏の発言へのコメント

小学校のかけ算の問題について(小学校のQ&A)にあったtosa-bash氏による発言(赤字や太字による強調は引用者による)を以下に転載してコメントを付けておく。

tosa-bash氏は算数教育に熱心な校長先生であり(厳密には自称)、掛算の順序へのこだわりに関しては一見して穏健な意見を述べているように見える。しかし、最終的には小学校のあいだはずっと掛算の順序にこだわり続ける必要があると主張している。教育関係者が一見して穏健に見える反応を示すことは珍しくはない。しかし本音では小学校のあいだずっと子どもたちに掛算の順序にこだわらせ続けなければいけないと思っているかもしれないのである。この件について議論する場合にはこのような点に気を付けなければいけない。

ANo.6 tosa-bash

小学校に30年ほど勤めています。

>子供が5人います。お菓子を2個ずつ配ると、お菓子は全部で何個になりますか?

のような問題では、日本では「2×5=10」と表すのが一般的ですが、例えば英語圏では「5×2=10」と表すのが普通のはずです。
理由は、言葉での表現の順番に合っているからです。この問題のケースでは「お菓子2個が5セット必要→2個が5つ(2の5倍)」と言葉では表現できます。だから、その順番通り「2×5=10」なのです。
英語では「five times two is ten」ですから「5×2=10」になります。オリンピックなどの国際競技会の400mリレーも「4×100」ですね。日本語的には「100×4」なのですが…。

ただ、文科省には「理数教育の国際的な通用性」という視点もあります。もしかしたら、何年か後には英語圏に合わせて「5×2」になるかもしれません。私的には「そうならないこと」を祈っています。

投稿日時 - 2011-12-18 12:47:32

このANo.6はその全体が誤解と事実誤認で満ちている。

まず、「2×5=2+2+2+2+2」と「2×5=5+5」のどちらのスタイルで導入するかの問題とそのどちらかのスタイルで掛算を導入した後にずっと掛算の順序にこだわり続ける問題は明確に区別しておかなければいけない。問題になっていることは、掛算を「2×5=2+2+2+2+2」のスタイルで導入すること自体ではなく、導入時の掛算の順序にこだわり続けることである。だから、もしも「2×5=5+5」のスタイルで掛算を導入することにしたとしても、その掛算の順序にこだわり続ける教え方をすれば同じ問題が発生することになる。

次に、事実として1841年の英語で書かれた教科書では「2×5=2+2+2+2+2」のスタイルで導入されている。だから、「英語圏だから2×5=5+5のスタイルで掛算を導入する」という主張は誤りである。言語だけではなく、歴史的な事情にもよっている。一般に自然言語だけから自然に掛算の順序が決まってしまうかのように考えるのは誤りである。

ANo.7 tosa-bash

ANo.6です。

書き抜かっていました。「5×2=10」を×にする理由は、式が「日本語を算数の言葉に翻訳したもの」だからです。
日本語の問題文を日本語として簡略化すると「2が5つ」「2の5倍」です。それを「日本の算数の言葉(式)」に翻訳して「2×5」になる、ということです。国語で文法を教えると同じように算数の言葉の文法を教えているのだと、私は思っています。

英語では「2の5倍は10」は「five times two is ten」ですから、英語の言葉の文法に合わせた英語の算数の文法を適用しています。ですから「5×2=10」とするのが正しいのですが、「2×5=10」で×にしているかどうかは知りません。ですが、問題の中の数字の意味をつかむということが大切というのは、国によって違わないはずですから、×にしないまでも指導は入ると思います。

投稿日時 - 2011-12-18 13:37:07

5×2 には「5 times of 2」と「5 multiplied by 2」の両方の意味があると考えることもできる。そして、「5人に2個ずつ配る」と「5個ずつ2人に配る」のどちらであっても日本語の語順に合わせて掛算の式を書けば 5×2 と書くことになる。自然言語の文法だけで掛算の順序が決まるという考え方は誤りである。

ANo.9 tosa-bash

ANo.7です。

>5人に対して2個ずつですから、5人という基本の固まりに対して2個ずつ配る。であるから5×2となるという考え方もありではないかと思うのです。

小学校低学年(1年生も)では、かけ算に入る前に「まとめて数える」という考え方を学習します。「2ずつ」とか「5ずつ」とか「10ずつ」とかに対象物をまとめて、見やすく数えやすくする考え方です。「2ずつ」というのは「2を1セット」と見ます。今回のお菓子の問題も「ばらばらの2個」のイメージではなく「セットになった2個」「ビニル袋に入りの2個」のような状態が、小学校現場での「2個ずつ配る」です。
ですから、「A~Eさんにまず1個配り、もう一度A~Eさんに1個配る」というイメージにはなりません。(余談ですが、このイメージはわり算の中の等分除の指導の時に使います。)

>2×5の順番でないとダメというのは指導要綱?に明記されているのでしょうか?

ANo.8様がおっしゃるとおり、書かれていません。ですが、小学校算数の教科書を出版している会社6社全てが「これ」です。確かにANo.8様のお説の通り「ローカルルール」かもしれませんが、編集方針の異なる教科書6社が「国内統一」なのです。私がここで述べた以上の明らかな根拠があるのかもしれませんね。

あと、

○○○○○
○○○○○

の件ですが、「両方あり」です。これは「2が5つ」とも「5が2つ」とも見えます。
式は「答えを出すため」に大切なだけではなく「状態を表すため」にも大切なものです。「2個のセットが5つあるし、見方を変えたら5個のセットが2つある」と見て式を2つ作るといった学習活動は、数の感覚を豊かにするとされています。
最後に使うエピソードとしては適切でないかもしれませんがお許し下さい。トイレットペーパーの包装に「110mm×60m」のような標記がありました。私は「言葉としての式・状態を表す式」を考える上で、とても参考になるなあと思ったことでした。

投稿日時 - 2011-12-19 19:23:24

5人に2個ずつ配る場面であっても、5個ずつにまとまっていると考えることができる。たとえば、トランプのように「まず5個配って、再度5個配る」様子を想像すれば、自然に5個ずつまとまってるとみなすことができる。問題文に「2個ずつ」と書いてあっても、全部の数を求めるときには必ずしも2個ずつまとまっていると考える必要はない。そして現実にそのようなイメージで考える子どもが存在することがわかっている。

ANo.11 tosa-bash

ANo.9です。
ANo10様のお答え、勉強になりました。
.
>「いち単位あたりの量」×「いくつ分」にこだわって指導するようになったのは数教協の影響が強いというのが定説

確かに「かけ算が新しい量を生み出す」として「内包量(単位あたり量・1あたり量)×いくつ分の量」というかけ算の見方を提唱したのは数教協で、教科書各社は時期の差はあれ、その見方を取り入れてきました。ただ、

>遠山先生でさえ掛け算の数値の順序にはこだわっていませんでした。

は不勉強のため、コメントできませんが、

>「いち単位あたりの量」×「いくつ分」という順序で指導することにして,でも何をいち単位の量とみるかについてはいろいろな考え方があってもよいとしていました。

は、数教協には内包量・単位あたり量・1あたり量の違いを含め、基本的な確固たる考え方があります。いろいろな考え方でよいにせよ、基本的に譲れない部分があります。だから、(場面にもよりますが)「2×5」と「5×2」は相容れる状態ではありません。だからこそ、

>それが指導書を作る人の間では,かける数値の順序を固定する方法に

なったのではないでしょうか。

>掛け算の導入時には順序を固定していました
>すぐに交換法則について言及し順序を固定するのは単に指導上の便法にすぎないことは明確でした。

お説の通りだと思います。所詮かけ算も基本演算の一つ、答えを求める道具です。九九は歴史的には「5×2」のように被乗数が大きい場合は「2×5」になおして唱える「順九九」が多く用いられていて、その指導方法については「順九九か総九九か」の論争が明治から昭和初期まで続いていたとのこと、「被乗数先唱か乗数先唱か」という問題まで議論されていたそうですから、「どっちが先でも同じ」という感覚は私たちのDNAにすり込まれているのかもしれません。だから、

>掛け算には正しい順序があるとするものであって常識に従っている大人には到底受け入れるいれることはできません。

と、感じる方が多いのも当然だと思います。
ですが、小学校の現場では、「日本語で表された日常的な状況を、算数国の言葉に翻訳する」という見方も伝えるということで、かけ算の導入段階では「正しい順序」にこだわっているのです。ですが、同じ小学校でも6年生の比例の学習あたりになると「1あたり×いくつ分」の順番には、必ずしもこだわれませんが…。

ここまで書いていながら言うのも変ですが、これは質問者様への回答とは思えませんから、削除されるかもしれませんね。

投稿日時 - 2011-12-19 23:46:56

注意!高学年では必ずしも掛算の順序にこだわることができないと述べているので、一見して「穏健派」のように見えるが、以下のANo.20を読めば必ずしもそうではないことがわかる。

ANo.15 tosa-bash

何回か回答したtosa-bashです。

困りましたね。ここは議論する場ではありませんし、私もそんなつもりもありません。ですが、私が回答した内容が私の意図した理解を得ていませんので、もう少しだけ伝える努力をさせてください。
これで力が及ばなくても最後にします。

私は「乗法ではずっと被乗数・乗数の順番は決まっている」と言っているのではないのですが…。これは「逆に書いたら誤答にすべきか否か」が関係しているので、一般的にこの議論は感情的に難しくなっていますが、私は基本的には「Y=aX」のaとXを逆に書いたことを「どう扱うか」と、最終的にはそんなに差はないと思っています。
私は「新たに学ぶかけ算は、どんな知恵で成り立っているか、どう子どもたちに伝えていくか」という乗法指導初期の段階、導入段階をもとにして回答してきたつもりで、算数・数学の学習が進み抽象的になったときの乗法の「乗数・被乗数の順番」まで固定的に語ったわけではありません。
算数の中にある人間の知恵・見方・考え方を、どう子どもたちに伝えていくかが多くの小学校教員の課題で、特に私にとっては、子どもたちの中にある感覚や自然に発している言葉が私の関心事・研究テーマになっています。

言語表現の件ですが、確かにsekibunnteisuu様がご指摘のように、日本語での表現も一つではなく、様々な表現があります。しかし、長年子ども相手に仕事をし、数多くの子どもたちに接していると、その成長段階にある子どもにとって、どのような表現が自然に多く出てくることで、一般的かを感じてきます。それを基本にしているのです。少し極端な例になりますが、例えば50程度まで物の数を数えることのできる幼児の例をみてみましょう。おはじきを数えていて、自分の数えることのできる範囲を超えた時、あきらめる子どももいますが、中には3個とか、自分でパッと把握できる数でまとまりを作っていく子どもがいます。そんな子どもに「おはじきはいくつある?」と問うと、「分からない」という子どもたちの中に「3つが○つある」と答える子どもがいます。それが自然な表現だと思います。「調査」というほど多数ではありませんが、そういう表現との出会いの経験が私の基本です。
もう一つの側面です。例えば8個のおはじきは、大人でも「一目で見て8個と分かる」ことは困難で、数えて確かめることになります。でも、2個ずつのまとまりが4つあったら、2年生の子どもたちでも大多数がパッと見るだけで絵に描いたりして再現でき、九九を知らなくても総数まで数えて分かります。それは「2が4つ」と覚えることができるからです。だから、そんな覚え方をもとに「2が4つ、これは便利な見方だね。それを算数の世界では2×4と書くのですよ。」と位置づけます。そして「2が4つ、2×4と同じように表せるものを探してみよう」と進めるというのが私の中にある「かけ算導入」の流れです。
そんな見方が「かけ算にかかわる人間の知恵」だと思います。そういう知恵・見方・考え方を伝えるために、導入段階では「基本文型として順番にこだわる」のだと、私は思っています。

今回のお菓子の問題で、数字の出た順番通りに立式したことを「○にするか×にするか」は私も問題だと思っていますが、「是か非か、一言問うか放置するか」に関して私の考えていることの根本は以上のようなことです。

投稿日時 - 2011-12-20 23:12:38

tosa-bash氏はどこまでどのように掛算の順序にこだわった教え方をしなければいけないと主張しているのが非常に曖昧で分かり難い。一見、穏健派のように見えなくもない。しかし、次に引用するtemmusu_nagoya氏の質問への回答で決して穏健派ではないことが明らかになる。

ANo.16 temmusu_nagoya

tosa-bashさん(15番)は少なくとも導入段階では掛け算の順序をローカルルールとして適用する先生のようですね。
<引用>私は「新たに学ぶかけ算は、どんな知恵で成り立っているか、どう子どもたちに伝えていくか」という乗法指導初期の段階、導入段階をもとにして回答してきたつもりで、算数・数学の学習が進み抽象的になったときの乗法の「乗数・被乗数の順番」まで固定的に語ったわけではありません。</引用>

それでは、tosa-bashさんは、いつ「乗数・被乗数の順番」は方便だった、君たちはもう掛け算をマスターしたのだからこれからは好きな順番で式を書いてもよいのだと教えるのでしょうか。それまでは正しいと教え、順番どおりに書かない答案は不正解にしたり再指導で介入するのでしょうから、いつかはそれは正しくない(すくなくとも普遍的に妥当しない)ものだと教える必要があるはずですけれど。

わたくし自身が小学校で掛け算の順序を教え込まされたときは、担任教師独自のやり方かと思ったものですが、この場所で回答を書くにあたり色々調べると、日本全国で掛け算に順序が必要だと唱える先生が多いことにビックリしました。tosa-bashさんは順序を必ずしも固定的とみなしていない旨お書きですから、いつから順序を流動化させておられるのかご教示くだされば幸いです。

投稿日時 - 2011-12-21 00:55:28

この質問にtosa-bash氏は次のように答えている。

ANo.20 tosa-bash

もう終わりにしたかったtosa-bashです。sekibunnteisuu様からの問いがありますので、前言を覆してもう一度登場することにします。明日からしばらく自宅を離れますので、本当に「この件は最後」です。

>いつ…(中略)…これからは好きな順番で式を書いてよいのだと教えるのでしょうか。

文章問題での立式に限ってお答えします。(ドットが矩形に並んでいるような場面は除きます)
基本的に、小学校の間は「この順序での立式」で通します。立式の順番が「どうでもいい」と言うことはありません。
理由を述べます。

上級生になっても立式の根拠に「1あたりの量、いくつ分の量、全体の量」の判別を使うからです。
例えば、5年生では「1Lの重さが1.2kgのハチミツがある。2.4Lの重さは何kgか」というような問題に出会います。この場合、かけ算になる根拠は「1あたりといくつ分が分かっていて、全体の量を求めるのだからかけ算」ということになります。同じ状況で6年生では1.2kg、2.4Lが分数になりますが、「かけ算になる」という根拠は全く同じです。
数の意味を小数・分数にまで拡張しても整数と同じように乗除が成り立つという理解で小学校の乗除計算は完成です。ですから、6年生まで「1あたり×いくつ分=全体」という基本線が続くことになり、教科書には5年生にも6年生にも「1あたり×いくつ分=全体」に類する記載があります。これは「必ず」あります。
もう一つ、小学校で出てくる公式、例えば速度に関する公式や割合に関する公式の第二用法「道のり=速さ×時間」も「比べられる量=もとにする量×割合」も、基本的に「1あたり量(基準量)×いくつ分(割合・倍)=全体の量(比較量)」のように、「等分除で求められる商×包含除で求められる商」の順番になっています。

かけ算の順番にこだわることは「日本語の順番に従ってのこと」と述べました。イメージしやすい普通に使う言葉と関連付けるのが子どもたちの感覚に沿った道筋だと思うからです。問題文に出た順番で立式する子どもに指導を入れるのは、場面を考えずに機械的に式を立てる子どもがいるからです。先の学習を考えれば、問題中の数値が1あたりか、いくつ分か、全体量かを見分けて立式してほしいということです。小数同士分数同士の計算になっても演算決定に活かすことができるからです。

例を示したほうがいいでしょうね。「1Lの重さが1.2kgのハチミツがある。2.4Lの重さは何kgか。」「1Lの重さが1.2kgのハチミツが2.88kgがある。何Lあるか。」「2.4Lの重さが2.88kgのハチミツがある。このハチミツの1Lは何kgか。」、この3問は同じ状態を未知数を変えて作っています。子どもたちが「何算か」を何で判断するか。数値の意味の理解です。それが分かったら、言葉の式や既習の学習で立てた式に当てはめて立式させます。
直感的に「何算か」を判断できる子どもにとっては不要な道筋だろうと思います。でも、「これは割るの?かけるの?」と問う子どもたちには、2年生のかけ算導入からの道筋に沿って判断材料を示していくのが教師の役割です。

「順番は固定ではない」ということの例ですが、3年生以上になればかけ算も九九表の範囲から出ます。問題文を読んで1位数×2位数で立式して筆算しようとした場合、「逆でも答えは同じ」と2位数×1位数にさせることとか、比例の式の学習で「いくつ分が定数」になった時まで「一あたり×いくつ分」の順番にこだわったりしないことを意識して述べました。学習が進めば文字式で×や÷を使わないとか、定数が先だとか、帯分数を使わないだとか、新たな約束事で学習が進むことは当然です。数学の世界では普遍的な形だからと言って円の面積を「円周率×半径×半径」とはしません。これまで作り上げてきた研究・実践、それから常識のように受け継いできたことを文化として伝えていくのが小学校の使命だと思っています。

これまで私が言ってきたことは、私が独善的に持っている理論ではありません。先人の知恵に基づき、小学校教科書6社の記述に沿った内容です。世界的にはローカルルールでしょうが、日本の中では典型であり一類型といえます。算数教育については幾つかの研究団体が毎年全国大会・支部大会を開いています。私も何回か参加してきました。今は校長ですが、校長になってからも全国大会・支部大会に参加(毎年ではありませんが)してきました。研究団体が違っていても、「問題文に出た順番に立式すればよい」という研究発表・実践発表に私は出会ったことはありませんし、どこかにあったとしても非常に少数だと思います。それは「教育現場がおかしい」と思われる方もいるかもしれませんが、実情は「こう」です。

sekibunnteisuu様のような異論があるのは当然です。提案ですが、毎年どこかで何回か開かれる研究大会で議論してはいかがでしょうか。「かけ算の導入はどうあるべきか」「整数から小数・分数の乗除への拡張はどうあるべきか」を見通した意見を提案していけば、「系統性のある意見」として研究協議の対象になります。それをもとに理論を高めていけば、更に良いアイデアにつながると思います。

学期末の開放感から、宴会後の、やや酩酊状態から送信をお許しください。
本当は、議論は嫌いですが、「おかしい」という人に考えを工夫して伝えることは嫌いではありません。その人から思いもかけないようなアイデアをもらえるからです。
ということで、参加しました。乱文をご容赦ください。

投稿日時 - 2011-12-22 22:00:47

算数教育ワールドでは「具体的場面を忠実に表現した式」(←本当はこれは無茶な考え方)を意味する「立式の意味での式」と「計算の式」を区別する。この校長先生はそのスタイルのもとで「1あたり(1つ分)×幾つ分」の順序による「立式」を小学校のあいだずっと守らせることを宣言している。それだけではなく、そのような教え方が日本の算数教育では標準的だと主張しているわけである。実際にはそのようなこだわりをおかしいと思っている小学校の先生もいる。このtosa-bash校長の主張が現実の小学校においてどれだけ通用しているかに関するはっきりしたデータは見付かっていない(2013年1月)。しかし、小学校6年生でしかも文字式を扱っていても掛算の順序にこだわる教え方を推進している教科書会社が存在することはわかっている。