用語集

黒木 玄

このページでは「微分極限」などの私の独特の用語法について説明する。

2008年10月5日微少に更新  (2008年9月20日作成)

LaTeX文書 (新しい文書はこちら) / TeX文書 (古い文書はこちら)


目次


微分極限

「微分極限」という用語を理解するためには「微分版」「差分版」「q差分版」という用語について説明する必要がある。「微分極限」とは「差分版」もしくは「q差分版」から「微分版」への極限のことである。

最初にもっとも簡単な「差分」および「q差分」から「微分」への極限について説明する。函数 f(x) に対して、 (f(x+h)-f(x))/h を f(x) の差分と呼び、 (f(qx) - f(x))/(qx-x) をq差分と呼ぶ。 h→0、q→1 の極限で f(x) の差分、q差分はともに f(x) の微分に収束する。これが「微分極限」の最も基本的な場合である。

他にも、q超幾何函数、q超幾何差分方程式の q→1 での通常の超幾何函数、超幾何微分方程式への極限も「微分極限」と呼ぶ。

数学的対象や公式には通常の微分版だけではなく、それらにパラメータ (上の h や q) を入れて変形した差分版q差分版が存在する場合がある。そのような場合には差分版、q差分版の微分版への極限のことを微分極限と呼ぶ。

たとえば symmetrizable GCM に付随する Kac-Moody Lie 代数の普遍展開環の q 差分版として Jimbo-Drinfeld の量子展開環が存在する。この場合には量子展開環から普遍展開環への極限のことを微分極限と呼ぶ。他にも通常の微分版の L-operator とその q 差分版の L-operator が存在するとき、 q 差分版の L-operator から微分版の L-operator への極限を微分極限と呼ぶ。量子版でかつ q 差分版の L-operator から量子版でかつ微分版の L-operator への微分極限の例がノート「n×n の L-operator の q 差分版」にある。

微分版、q差分版のそれぞれが古典、量子に対応しているとは限らないことに注意せよ。 Lie 群 G の Lie 代数 g の普遍展開環 U(g) や量子展開環 Uq(g) はともに 量子の対象すなわち「量子版」である。それぞれの古典極限として対称代数 S(g) と Poisson Lie 群 G が得られる。対称代数 S(g) と Poisson Lie 群 G は古典の対象すなわち「古典版」である。対称代数 S(g) の量子化が普遍展開環 U(g) であり、 Poisson Lie 群 G の量子化が量子展開環 Uq(g) になる。そして、対称代数 S(g) と普遍展開環 U(g) はともに「微分版」の数学的対象であり、Poisson Lie 群 G と量子展開環 Uq(g) はともに「q差分版」の数学的対象になる。


古典と量子

私は「古典系」という言葉を「Poisson 構造と Hamiltonian の組で記述された Hamilton 系」という意味で使うことが多い。可換代数 A の Poisson 構造とは双線形写像 A×A→A, (f,g)→{f,g} で {f,f}=0 と {f,gh}={f,g}h+g{f,h} を満たすもののことである。 Poisson 構造を持つ可換代数 A を Poisson 代数と呼ぶ。 Poisson 代数 (A, {,}) と Hamiltonian と呼ばれる A の任意の元 H∈A の組を Hamilton 系と呼ぶ。可換代数 A における Poisson 構造 {,} と H∈A の組を A の Hamilton 構造 (Hamiltonian structureHamiltonian 構造) と呼ぶ。Hamilton 構造 {,}, H が与えられた可換代数には f → {f,H} によって derivation が定義される。この derivation が定めるフローを正準方程式もしくはHamilton方程式と呼ぶ。

可換代数における derivation は古典系に属する対象なのでそれを「古典版の数学的対象」と呼んで良いが、完全な古典系は Hamilton 構造で表示された derivation のことである。

「量子系」の定義はより単純である。非可換代数 A と Hamiltonian と呼ばれる A の任意の元 H∈A の組を量子系と呼ぶ。 非可換代数 A において A×A→A, (f,g)→[f,g]=fg-gf を交換子と呼ぶ。Hamiltonian H∈A との交換子 f → [f,H] によって A に derivation を定める。この derivation が定めるフローが量子系の運動方程式になる(Heisenberg表示)。このような量子系の定式化については Dirac の教科書が詳しい。実際にはフローを交換子そのものを使って定めるのではなく、Planck 定数や i=√-1 で割ったもので定める方が物理としては正しい。

非可換代数における derivation は量子系に属する対象なのでそれを「量子版の数学的対象」と呼んで良いが、完全な量子系は Hamiltonian との交換子で表示された derivation のことである。

以上は連続時間発展を扱ったので可換代数、非可換代数におけるある種の derivation を古典系、量子系と呼ぶことになった。離散時間発展の場合にはどのように考えればよいのだろうか。

離散時間発展の古典系は Poisson 代数 A の可換代数および Poisson 代数としての自己同型写像でなければいけない(必要条件)。特に離散時間発展の古典系は Poisson 構造を保たなければいけない。ただしこれは必要条件であり、必要十分条件をどのように述べたらよいかははっきりしない。

離散時間発展の量子系の定義は単純である。非可換代数 A における可逆元 U∈A で定義された代数としての内部自己同型 f → U f U-1 を離散時間発展の量子系と呼ぶ。可逆元 U は連続時間発展の場合の Hamiltonian H の類似物になっている。私のノートの中ではこのような U のことを量子離散 Hamiltonian と呼んでいる場合もある。

私は量子展開環における Chevalley generators の非整数ベキが定める内部自己同型が Weyl 群双有理作用の量子化を与えていることを発見した。詳しい内容については arXiv:0808.26042006年3月5日の講演原稿(Ver.1.2)を見よ。 Weyl 群は離散群なのでその作用を量子系としてとらえるためには f → U f U-1 の形で Weyl 群の元を作用させなければいけない。 Chevalley generators の非整数ベキが定める Weyl 群双有理作用の量子化はルート系に付随する Painlevé 系の量子 q 差分化を与えていると考えることができる。古典版でかつ微分版の場合については Noumi-Yamada arXiv:math/9804132 を参照せよ。

以上の立場から量子系の定義は数学的には単純である。非可換環における内部 derivation と内部自己同型をそれぞれ連続時間と離散時間の量子系と呼ぶ。

なんらかの極限 (たとえば Planck 定数 → 0 の極限) で量子版の数学的対象 Xq が古典版の数学的対象 Xc に移るとき、 Xq を Xc量子化と呼び、Xc を Xq古典極限と呼ぶ。

この意味で量子展開環は普遍展開環の量子化ではないことに注意せよ。なぜならばどちらも量子版の数学的対象だからである。量子展開環は普遍展開環のq差分化であるが、上の意味では決して量子化ではない。量子展開環は Poisson Lie 群の量子化である。私は常に量子化とq差分化を厳密に区別するようにしている。

補足:より正確には次のように言うべきかもしれない。量子展開環の代数構造は普遍展開環の代数構造のq差分化であり、量子展開環の余代数構造は Poisson Lie 群の Poisson 構造の量子化である。いずれにせよ大切なことは「量子、量子」と言われたときに「どのような意味で量子化なのか」を必ず確認することである。


量子 q 差分化

「古典版か量子版か?」「通常の微分版かそれともq差分版か?」を考えることによって数学的対象を分類することができる。たとえば Lie 代数 g の対称代数 S(g) は古典版でかつ微分版の数学的対象である。普遍展開環 U(g) は量子版でかつ微分版の数学的対象である。さらに量子展開環 U_q(g) は量子版でかつq差分版の数学的対象である。それらに対応する Poisson Lie 群 G は古典版でかつ q 差分版の数学的対象である。

以上の分類は「q差分版」の他に通常「差分版」を付け加えることによって拡張される。他にも「楕円差分版」を付け加える拡張も考えられる。重要なのは、それぞれについて古典と量子、両方の数学的対象を考えるべきだということと、量子化とq差分化を厳密に区別するべきだということである。

分類から別の分類に移ることを「○○極限」や「○○化」と呼ぶ。「○○極限」はなんらかのパラメーターを特殊化することによって別の分類に移ることであり、「○○化」はその逆である。たとえば量子版でかつq差分版の数学的対象から q → 1 の極限で量子版でかつ微分版の数学的対象に移るのは微分極限であり、さらに Planck 定数 → 0 の極限を取って古典版でかつ微分版の数学的対象に移るのは古典極限である。この二つの極限の逆を同時に取ることを量子 q 差分化と呼ぶ。


ソリトン系

あたかも粒子のごとく壊れずに進む波の山のことをソリトンと呼ぶ。KdV方程式に代表されるある種の非線形偏微分方程式たちをソリトン方程式と呼ぶ。ソリトン方程式たちは複数のソリトンが互いにすりぬけながら壊れずに進む n ソリトン解を持つ。ソリトン方程式たちは、無限個の保存量を持ち、Lax表示を持つなど多くの共通の性質を持っている。

ソリトン方程式の代表的例:

これらのソリトン方程式は時間発展の Lax 表示が無限個の時間変数を持つ階層 (hierarchy) に拡張されるという共通の性質を持っている。しかも階層の構成の仕組みは「ソリトン系の基本パターン Part 1」で解説されているように極めて単純である。私はその「ソリトン系の基本パターン」が適当可能な任意の系をソリトン系と呼ぶことが多い。

ソリトン方程式からある種の簡約で Painlevé 方程式が得られることが知られており、より一般のソリトン階層に string equation の形で一般化されている。その仕組みも「ソリトン系」の立場から見ると極めて単純であり、「パンルヴェ系とソリトン系 Part 2」で解説されている。

ソリトン系の基本パターンは Weyl 群双有理作用がある場合にも拡張される。その仕組みも極めて単純であり、「ソリトン系の基本パターン Part 9Part 10Part 11」で解説されている。ソリトン系や Painlevé 系は連続時間発展だけではなく、離散的な対称性も含めて扱った方が良い。

結局のところソリトン系の基本パターンはGauss分解を通して群作用を見るということで尽きている。

ソリトン系の基本パターンがそのように極めて単純になってしまったのはそれらの Hamilton 構造の記述を無視したからである。しかし、量子化を考えたい人にとっては Hamilton 構造を無視することは許されない。ソリトン系の基本パターンで理解できる系の中で重要なものがすべて量子化されて量子化の解のようすも完全にわかるようになればどんなに素晴らしいことかと思う。

注意:ソリトン階層の Poisson 構造はひとつだけではない。空間変数の方向を決めるごとに別の Poisson 構造が定まる。階層の無限個の時間変数のどれを空間変数とみなしても構わないし、それらの一次結合を空間変数とみなしても構わない。


トロイダルソリトン系

KdV階層とCBS階層を例に説明しよう。前者のKdV階層が通常のソリトン系であり、後者のCBS階層はトロイダルソリトン系である。トロイダルソリトン系は通常のソリトン系の拡張になっている。ソリトン階層をトロイダル拡張する方法については「曲線族の変形と Calogero-Bogoyavlensky-Schiff (CBS) 階層」「n-CBS階層と曲線族の変形」を参照せよ。 (アイデアについては「n-KdV-Bogoyavlensky 系の佐藤理論」の方が分かり易いかもしれない。「n-KdV-Bogoyavlensky系 = n-CBS階層」であることに注意せよ。) KdV階層に限らず、他の多くのソリトン系のトロイダル拡張をまったく同様の手続きで構成可能である。たとえば非線形 Schrödinger (NLS) 階層のトロイダル化は自己双対 Yang-Mills (SYM) 階層になっている。

KdV 階層 (より簡単で分かり易いのは mKdV 階層や非線形 Schrödinger 階層) のような通常のソリトン方系はループ Lie 代数 (もしくはアフィン Lie 代数) の言葉で定式化可能であることが知られている。それに対して CBS 階層や自己双対 Yang-Mills 階層のようなトロイダルソリトン系はトロイダル Lie 代数の言葉で定式化可能であることが知られている。

複素有限次元 Lie 代数 g を一変数 Laurent 多項式環で係数拡大して得られる Lie 代数 g[w,w-1] をループ Lie 代数と呼ぶ。トロイダル Lie 代数とはそれを多変数化したもの g[w,w-1,y1,y1-1,...,ym,ym-1,] のことである。トロイダルソリトン系において変数 z は通常のソリトン系と同じ役目 (スペクトル曲線の上の座標、スペクトルパラメーター) を果たすが、w 以外の変数 yi は異なる役割を果たす。 w とそれ以外の変数 yi たちの役割は対称ではない。

たとえばCBS階層の場合は m = 1 であり、 CBS階層の記述に必要な変数はスペクトルパラメーター w とトロイダル化のために付け加えられた y = y1 の二つだけになる。 (自己双対 Yang-Mills 階層の場合は m = 2 になる。) 上で紹介したノートではCBS階層の特殊解 (テータ函数解) を曲線族のある種の変形から構成可能であることが示されている。しかも面倒な計算に頼らずに、代数幾何的仕組みが明らかになるような定式化になっている。 (そのような定式化は私個人によるものであるが、論文として未発表なままである。) そのような代数幾何的設定において、 w は曲線上の与えられた点の近傍の座標 (スペクトルパラメーター) であり、 y は曲線の変形パラメーターになっている。 (曲線 X, その点 P, 点 P 近傍の座標 w) たちの変形パラメーター y でパラメトライズされた曲線族を与え、その曲線族を初期条件としてある種の方法で変形してやると、 CBS階層の解が自然に得られる。実際にはラインバンドルのデータも与え、その変形も考える。詳しくは上で紹介したノートを参照して欲しい。