算数の教科書とその指導書の問題点

このページの編集者:黒木玄

最終更新:2013年5月15日 (4月23日版と本文は同じ)

オリジナル: http://genkuroki.web.fc2.com/sansu/
ミラー: http://return0.info/repro/sansu/
PDF化: 算数の教科書とその指導書の問題点.pdf

このウェブサイト http://genkuroki.web.fc2.com/sansu の内容は誰でも勝手にミラーを作っても構いません。


ツイッターで現在進行中の議論

ツイッターで現在進行中の議論については以下を見て欲しい。


外部リンク

私が書いたもの。このページを作成した問題意識については以下のページを読めばわかる(上にあるものほど新しい)。

以下は算数の教科書と教師用指導書の問題を語るときには必読のサイトである。

新聞記事

すでに古典的になっている事例


目次


小学1年

以下のように算数の教科書では足算の順序にこだわる教え方が採用されている場合がある。


日本文教出版1年

日本文教出版『しょうがくさんすう 1ねん』より

これは教科書そのものに足算の順序が逆なら誤りになる問題が載っている稀有な例。

さらに詳しい解説が「「たしざんにも順序がある」!?」にある。


学校図書1年

学校図書『みんなとまなぶ しょうがっこう さんすう 1ねん』の指導書より

次のように書いてある:

ブロックを操作した結果が「あわせて」と同じになることから、「ふえる」の場合もたし算の式になることを理解し、「+」の前が初めにあった数、後が増えた数であることを確認する。

算数教育ワールドでは、合併の場面では足算の順序にこだわらないが、増加の場面では足算の順序にこだわることになっている。しかも、増加の場面であっても結果が合併の場面と同じになることを子どもに理解させた上で、合併と増加の場面の違いを強調し、増加の場面では足算の順序にこだわることになっている。


東京都教職員研修センターの平成17年度の報告集

東京都教職員研修センターの平成17年度の報告集のp.5より:

日本の算数教育ワールドでは、足算を「あわせていくつ」の合併と「ふえるといくつ」の増加に分類し、それらを区別し、増加の意味での足算では順序にこだわることになっている。

しかも、教えるときに合併の場面でも増加の場面であっても完全に同一の足算が利用できることを強調するのではなく、子どもたちに合併の足算と増加の足算を厳密に区別させるように教える傾向がある。

そして、ブロックを操作するときに、合併の場面では両手で寄せるように操作させ、増加の場面では右手で右側のブロックのかたまりを寄せるように操作させることになっており、子どもたちにブロックの操作でも細かい指示を出すことになっている。

算数教育ワールドでは、とにかく子どもに合併と増加を区別させたいらしい。ツイッターでは子どもたちに合併と増加を区別させる研究授業で大混乱という話が報告されている:

研究室卒業生が小学1年算数指導で苦労したのは,「あわせていくつ」「ふえるといくつ」を区別する文章題をつくらせる研究授業。どちらも同じ足し算だとふつうに理解できるのに,わざわざちがうものだと強いてしまうので子どもたち大混乱。無理に教えるのが無理

小学2年

まず、教科書およびその教師用指導書の事例を紹介する前に、算数における掛算とその交換法則について説明しておこう。


掛算の交換法則の意味

掛算が導入されるのは小学2年であり、九九の範囲内での交換法則も小学2年生で教えることになっている。

現在の算数の教科書では掛算は「一つ分×幾つ分=全部の数」のスタイルで導入される。一般に同じ個数 a 個を含むかたまり(集まり、グループ)が b 個あるとき、全体の個数は a×b または b×a で計算できる。これはたくさんある掛算の解釈のうちの一つである。そのとき、a を一つ分の数、b を幾つ分の数と呼ぶ。現在の算数の教科書ではこの解釈を使って掛算を「一つ分×幾つ分」の順序で導入している。(注意:掛算の順序固定にこだわる教え方の問題を批判している人達はこのような導入の仕方そのものを批判しているのではなく、掛算の順序固定にずっとこだわり続けることおよびその背景にある考え方を批判しているのである。実際、小学6年でしかも文字式を扱っているのに掛算の順序にこだわっている算数の教科書が存在することがわかっている。しかも掛算の順序にこだわる理屈を「x×8が8×xになっている場合は,「8 円のノートがx冊」という意味になってしまう」としていたりする。これは驚くべきことではないだろうか?)

この「一つ分×幾つ分」のスタイルの下で掛算の交換法則は以下の図のような意味を持つ。

すなわち、「一つ分×幾つ分=全部の数」のスタイルでの掛算の解釈において、一つ分の数(group size)と幾つ分の数(number of groups)は自由に引っくり返せる。東京書籍の算数教科書『新しい算数2下』p.20にも以下のような問題と図がある:

この図は一つ分が4で幾つ分が3の場面であっても、見方を変えれば一つ分が3で幾つ分が4だとみなせることを示している。しかし、この教科書の次のページには掛算の順序にこだわらせるための問題が書いてある。

一つ分と幾つ分の立場は自由に交換できるのだから、たとえ「掛算の式は一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールのもとであっても、「皿が6枚あります。各々の皿にりんごが5個ずつ載っています。りんごは全部で何個がありますか。」という問題で「6×5」と式を書いても当然正解だということになる。

しかし、算数教育ワールドでは掛算の交換法則の意味をしっかり教えようとはしない。むしろ逆に上の段落の問題に対して「6×5は不正解もしくは理解不足の証拠」だとみなすことになっている。

一つ分と幾つ分を自由に引っくり返せるという事実は、日常生活における「トランプのように配る」という考え方の一般化であるとみなせる。たとえば、3人に4個ずつおかしを配るとき、各々の人に配られる4個をかたまりとみなせば、一つ分は4になり、幾つ分は3になる。しかし、おかしをトランプのように3個ずつ4回配る様子を想像しながら、各々の回に配られる3個をかたまりとみなせば、一つ分は3になり、幾つ分は4になる。(トランプ配りについては5人に飴を4個ずつ配ると飴はいくつ必要か(掛け算の順序問題)に図による分かり易い説明がある。)

この事実は1972年の朝日新聞紙上でも紹介されている:

「6人のこどもに、1人4個ずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか」

中略

 ところが、答案を見た父兄の一人、Kさん(三八)は疑問を提起して、この問題では6を被乗数にして6×4と式をたてても正しいと指摘する。つまり、6人のこどもに1個ずつみかんを配れば6個いる。それを4回配ればいいのだから、この場合、6×4という式が成立つというわけだ。

 この点について、担任の先生と教頭先生の話を総合すると――「Kさんのような考え方は認めるが、現実に授業のなかでそういう考え方をするこどもはいなかった。6×4と式をたてた子に聞いてみると、文章題のなかで6という数字が先に出ているから、というにすぎなかった。式は思考の過程を表すもので、答えさえあえばどちらでもいいというわけにはいかない。こどもの発達段階からみて、この場合、4×6と指導するのが最適の方法だ」

(朝日新聞1972年1月26日より)

低学年の子どもは自分のイメージを上手に説明できるとは限らない。さらに教えている教師の側にはトランプ配りのようなイメージで被乗数と乗数の概念を理解する方向に進んでいる子どもは存在しないという強い思い込みがある可能性がある。このような場合には教師の「存在しない」という発言は必ずしも信用できない。家庭内でおやつをトランプのように配っていた家庭の子どもが実際にそのようなイメージで乗数と被乗数を理解している場合が存在することもわかっている。「発言小町:小学2年生、掛け算の文章題で悩んでいます。」におけるトピ主の発言を参照されたい。そこを読むだけで「どのような問題があるか」がかなりわかるので長々と抜粋しておこう。(たとえば相談したトピ主に回答者たちが単位サンドイッチ論法について教えてしまっていることがわかる。)赤字による強調は抜粋者による。

皆さん、ありがとうございます!(2) 2011年12月12日 11:23

私自身、単純に「ウチの子はこんな問題もできない!」という一点を心配しているのではなく、先生がそのように指導し、他の子たちが感覚的に掴めている「こっちの数字が前に来る」ということが、娘にはわかっていない。
もしかしたら、理解力や読解力が足りないのかな? という点を案じています。

例えば、市井無頼の通りすがり様のレスを引用させていただくとして、

>5(人に)×2(個ずつ配ったら)=10(個必要)
>全く設問どおりなのに、これで不正解というなら教師がおかしいです。

>2(個ずつ)×5(人に配ったら)=10(個必要)
>の方がオカシイというのなら分かりますが、それでも不正解ではありません。

娘がここまで深く考えているとしたら、思わず「ウ~ン、なかなかやるな」と言ってしまうと思うのですが、娘は多分、何も考えずに先に文章に出てきた数字を先に書いているだけだと思うのです

(引用者註:この時点では母親のトピ主でさえ、自分の娘は「多分、何も考えずに先に文章に出てきた数字を先に書いているだけ」だと思っていた。しかし、3日後には実際にはそうではなさそうなことに気付いている。そしてさらにその3日後には家庭内でのおやつの配り方が関係しているのではないかということに気付いている。)

ありがとうございます。トピ主です。 2011年12月15日 14:40

娘にどのように問題の解き方を教えるか、の次元を超え、算数ってこんなに奥深かったのかと、びっくりしております。
既に私が出てくる場ではないような気がしておりますが、数々のアドバイスをいただいておりますので、これまでの報告をさせていただきます。

まず、前回のレスを書いた後、娘に「これはお菓子の数を聞いているでしょ? この場合、お菓子の数を先に書くんだよ」と説明した所(最初は単位で説明しましたが、問題文によって混乱する場合があるようでした)、すぐに順序は覚えました。
でも、あくまでも形式上そう書くことを覚えただけであって、「なぜ、お菓子の数を聞いたら、お菓子の数を先に書くのか」という理由までは、当然わかっていません。

他にも書かれている方がいますが、私自身「個数を聞いているから、個数を先に書かなければならない」理由が正直わかりません。

トピ主です。(続き) 2011年12月15日 14:42

それを教える前に、まずは娘に一人で10問ほどの文章題を解かせてみましたら、娘は自信満々で、全問、数字を逆に書いていました。
もし、これが学校のテストだったら衝撃の0点です
(以前は、問題文に先に出ていた数字を先に書いているだけでしたので、必ず数問は正解もあったわけです)。

ついでに自分で絵も描かせてみましたが、お菓子を持った人を5人描いて、その5人をひとまとめに丸で囲い、その5人の手元(お菓子)もひとまとめに丸で囲っていました。
私のイメージでは、手元にある2個のお菓子を囲って、それから、5人の子を囲って、2個のお菓子を持った子が5人いる…という感じでしたが、娘の中では、子供が5人いて、5人がそれぞれお菓子を2個持っている、というイメージだったみたいです。
ついでに、この問題を足し算の式に直してみて、と言ったら、迷わず【5+5=10】と書きました。
娘の頭の中では、完全に図式が逆に成り立っていたようです。

トピ主です。(さらに続き) 2011年12月15日 14:42

その後、先に書いたような説明をしましたら、それはすぐに理解できたようでした。
一応、あなたが書いた式でも間違いではない、でも、今は学校でそう習っているから、これで解いてねと話はしましたが、本人は「ふ~ん」くらいで…。

実は今日、学校で懇談会があり、担任の先生から開口一番、「算数が全然出来てないんですよね…」と言われました。
先生は、「みんな、目が2つあるでしょう? ○君と×さんと△さんの3人で、目はいくつになる? 目が2つある人が3人だから、2×6=12ですね」というように実際身近にあるもので説明していたようです。
「絵を描いてみたりもしたんですが、なんかよくわかってないみたいで…」
と、おっしゃっていました。数式が逆ではいけない理由までは、説明していないようです。

実は、この掛け算の文章題はみなさんのアドバイスのおかげでなんとか形式上はクリアできたのですが、その次の「掛け算と足し算」の文章題で、再びつまづいております……。

トピ主です。(続き) 2011年12月18日 10:55

身の回りのもの、日常の中で教えてみたら…というアドバイスがいくつかあったので、ふと家でのおやつの時間を思い返してみました。

家には、この娘の下にまだ2人の子供がいます。
今日のおやつは袋入りの小さなドーナツです。袋の中にドーナツが何個入っているのかはわかりません。
こういう時、私は3人分のお皿に1個ずつ、順番にお菓子を入れていきます。3人に1個ずつ行きわたったら、また最初の皿から1個ずつ…。
そうするとドーナツは、1人に4個ずつ行きわたりました。


こう考えてみると、我が家に限っては、3個が4回→3+3+3+3→3×4…この配り方をトピ本文の問題に当てはめると、5個が2回分→5+5→5×2、となります。

1人2個ずつね!と言って配ることもありますが、そういう配り方をするのは、ウチでは最初からお菓子の個数がわかっている場合のみです。

トピ主です。(さらに続き) 2011年12月18日 10:57

一番上である娘におやつを配ってもらうこともありますが、娘も私と同じやり方をします。
子供たちの友達が来ている時は、大皿にお菓子(スナック菓子など)を盛って出します。中に、おせんべいやクッキーなど明らかに個数の少ないお菓子が混じっていたりすると、自分でお菓子の数を数え、「9個あるから、1人2個ずつね!1個余るから、お母さんにあげるー」などとやっています。

つまり、何個あるかわからないのに2個ずつ配る、というシチュエーションが我が家にはないんだなーと。

もちろん、娘はそこまで意識していないかもしれませんが、ウチではそうなのだと思うと、やはり「5×2は間違いだよ!」と強くは指導できない気がします。
ただ、郷に入れば郷に従えという諺もあるように、先生がそう教えているのだから、やはり学校ではそのように計算できるようにしておくことは必要だと思っています。

娘にも、「5×2ではなぜいけないのか、わからなかったら先生に聞いてみなさい」と言うのですが、ちょっと引っ込み思案な所のある子ですので、あまり気が進まないようです。

このような事例を見ると、上の方で引用した1972年頃の「担任の先生と教頭先生」による「現実に授業のなかでそういう考え方をするこどもはいなかった」という主張には疑う価値が十分にあることがわかる。少なくとも、トランプ配りのような発想で掛算を理解する子どもはいないと考えて構わないという考え方が誤りであることは明白である。

そして、「個数を聞いているから、個数を先に書かなければならない」理由がわからないのは当然である。そのように書かなければいけない合理的な理由は存在しない。実際、世間一般ではそのようなルールは存在しない。たとえば次のレシートの見本を見てもらいたい。

このレシートの見本では「単価×数量」の順序ではなく、「数量×単価」の順序が採用されている。しかも、掛算の順序に頼ると誤解が生じる確率が高くなるので、「4個×単450」や「3ヶ×@120」のように印刷することによって誤解を防ぐ工夫がされている。これが世間一般の知恵というものである。


算数の教科書における交換法則の扱い方

小2の算数教科書にも掛算の交換法則に関する説明がある(学習指導要領の縛りがあるので当然そうでなければいけない)。下の方に抜粋してある実際の教科書にある説明の仕方を見ればわかるように、九九表から帰納的に交換法則に気付かせるだけではなく、同じ状況で全体の個数を異なる数え方をすることによって交換法則が一般的に成立する仕組みにも気付いてもらうように構成されている。すなわち、算数の教科書における掛算の交換法則の実質的な内容は

同じ場面であっても、かけ算のかけられる数とかける数を自由に入れかえられること

であると考えられる。しかし、実際の教科書において掛算の交換法則は

かけ算では、かける数とかけられる数を入れかえて(計算して)も、答えは同じです

のようにまとめられている。実はこの微妙な違いは重大である

なぜならば、算数教育ワールドでは、文章題の解答欄は「式」と「答」に分かれており(「考え方」の欄はない)、「式の解答欄に書く式」=「(文章題で示された)具体的場面を忠実に表現した式」=「立式の式」と「計算の式」を区別することになっている。そして「かけ算では、かける数とかけられる数を入れかえて(計算して)も、答えは同じ」という交換法則のまとめは「掛算の交換法則は計算では自由に用いてよいが、立式では勝手に用いてはいけない」ことを意味しているのだ。

たとえば、「3人に4個ずつあめを配る。このときあめは全部で何個配られるか」という問題に関する算数教育ワールドにおける式の解答欄の模範解答は「式:4×3=12」であり、「立式」で掛算の交換法則を勝手に使うことは禁止されているので「式:3×4=12」は誤答とみなされる。しかし、「式:4×3=3×4=12」と書いてあれば交換法則を「計算」で使ったことになり、正解とみなされるのである。算数教育ワールドのスタイルに忠実な算数教育を受けてしまった子どもはこのような特殊なルールに縛られ続けることになる。

しかし、算数の教科書における、文ではなく、図による交換法則の説明に注目すれば、同じ場面であってもかけられる数とかける数を自由に交換できることを子どもたちに気付かせることによって、掛算の交換法則の一般的な成立の仕組みに気付かせようとしていることがわかる。すなわち、「具体的場面を忠実に表現した式」のレベルで、かけられる数とかける数を自由に入れかえることができることを子どもたちに気付かせようとしていることになるわけだ。それにもかかわらず、算数の教科書では交換法則の使用は計算だけに限定されるということになっているのだ。

どうして、ここまで考え方をねじまげてまで、掛算の順序固定にこだわるのか? 算数教育ワールドにおける文章題の解答欄に関する流儀を前提にしても(本当はそれ自体が大問題なのだが)、算数の教科書における交換法則の扱い(計算のみで使用できるとする扱い)はかなりおかしい。

学校図書『みんなと学ぶ 算数 2年下』p.44:同じ子どもたちの人数を二通りの方法でとらえることによって掛算の交換法則について説明している。(しかし、この図の描き方は非常にまずいと思う。左右の2つの図が同じ子ども達を描いた図であることはよく見ないとわからない。ひと目で同じ子ども達を別々の方法で数えていることがわかるように図を描くべきである。)

教育出版『小学 算数 2下』p.29、p.41:同じ子どもたちの人数を二通りの方法でとらえることによって掛算の交換法則について説明している。長方形型にモノを並べることによる説明も書いてある。

啓林館『わくわく 算数 2下』p.55:モノを長方形型に並べることで交換法則について説明するための図がある。

大日本図書『たのしい算数 2下』p.85:モノを長方形型に並べることで交換法則について説明するための図がある。

東京書籍『楽しい算数 2下』p.20、p.39:モノを長方形型に並べることで交換法則について説明するための図がある。

日本文教出版『小学算数 2年下 』p.49:モノを長方形型に並べることで交換法則について説明するための図がある。

以上を見ればわかるように、一つ分と幾つ分のイメージで掛算を解釈することのみに異様にこだわっている。長方形型に並んでいれば一つ分と幾つ分のイメージを経由せずに縦×横もしくは横×縦で全体の個数を計算できるという考え方は扱われていない。一つ分と幾つ分のイメージのみにこだわるのはおかしいと思う。


誤解し易い点

1. 算数教育ワールドでは標準の「一つ分×幾つ分の順序に書く」というルールは日本語の構造から自然に出て来ない。

たとえば「8個ずつ6人に配る」と「6人に8個ずつ配る」は同じ意味である。

英語圏においても6×8は「6個の8の和」(被乗数は8)を意味するとは限らない。英語圏では1×1も 1 times 1 と読む。だから 6 times of 8 の times と 6×8 の×の意味での times は完全に同じものではない。そして multiply 6 times 8 は multiply 6 by 8 (被乗数は6)と同じ意味である。この場合の times は by と同じ働きをする前置詞になる。さらに、昔の英語の算数の本に4×3の被乗数(multiplicand)は4だとするもの (1841年出版の Arithmetic: Designed for Academies and Schools という本のp.44) があることも、英語の文法的構造だけで掛算の順序が決まらないことの証拠になっている:

Arithmetic: Designed for Academies and Schools (1841) p.44

算数教育ワールドでは自然言語の構造から自然に掛算の順序に関するルールが出て来るかのように語られることが多いようだが、それは誤りである。「掛け算の順序と自然言語の対応についてちょっとだけ」も参照されたい。

さらに Math SolitionsQ&A: Commutative Property of Multiplication には次のような質問が書いてある:

Q. I've noticed that the authors of general mathematics textbooks most often explain a multiplication problem when presented horizontally, like 20 x 5 = 100, as multiplier x multiplicand = product. But in business mathematics textbooks, the authors explain the same multiplication problem as multiplicand x multiplier = product. For example, the problem 20 x 5 is thought to be 20 5s in general math texts, while in business math texts, it's thought of as five 20s. Why is there this inconsistency?

この質問は general mathematics textbooks では「乗数×被乗数」、business mathematics textbooks では「被乗数×乗数」と異なる流儀を採用している理由を尋ねている。この質問だけでも、英語圏における教科書であっても「被乗数×乗数」の順序を採用している場合があることがわかる。この質問に対する Marilyn Burns さんの回答は以下の通り(色付けによる強調は引用者による)。

A. To my knowledge, there is no definitive consensus in the mathematical community about whether a multiplication expression such as 20 x 5 represents multiplier x multiplicand or multiplicand x multiplier.

When you see 20 x 5 without a contextual reference, one interpretation, as you point out, is that 20 is the multiplier, so 20 x 5 would represent “20 groups of 5” or “twenty 5s.” Another interpretation, equally valid, is that 5 is the multiplier, so 20 x 5 would represent “20 five times.” Since multiplication is commutative, and both interpretations produce the same answer, arguing for one way over the other is an argument only of mathematical semantics, not correctness. When you think about 20 x 5 abstractly, out of any context, preferring one convention over the other is an arbitrary choice. Instructional programs for elementary mathematics generally choose one interpretation over the other when presenting multiplication to children.

However, if a multiplication expression represents a particular situation, then it's important to be clear about its numerical representation. For example, if the expression referred to twenty $5 bills, then your observation is that a general math text would represent it as 20 x 5 while a business math text would represent it as 5 x 20. Neither is more precise or accurate than the other.

When teaching children, I prefer to use the interpretation of multiplier x multiplicand and refer to the “x” sign as “groups of.” My goal is to help emphasize the important idea that combining equal groups is essential to multiplication. However, what's important is that children can represent situations that call for multiplication symbolically and, no matter which way they order the factors, explain how the symbolism relates to the situation at hand.

Marilyn Burns

英語圏においても「乗数×被乗数」(general mathematics textbooks)と「被乗数×乗数」(business mathematics textbooks)の両方の解釈があり、どちらの解釈も等しく正しい。

Marilyn Burns さんは、同じ大きさのグループの合併が掛算の本質であることを教えるために、子どもに教えるときには、乗数×被乗数の順序を使って、×の記号を "groups of" と読むことを好むという。しかし、重要なのは、子どもたちが掛算を使える状況を表現でき、掛算の式の順序をどのように書いたかとは無関係に掛算の式が掛算を使える状況とどのように繋がっているかを説明できるようになることだと述べている。

要するに、掛算の順序は掛算の考え方を教えるための便宜として利用するだけだということである。目標は、掛算の考え方を教えることであり、掛算の順序を教え込むことではない。

2. 自然言語に限らずに、日常生活との関連を考えれば、なおさら「日本では4×3の4が被乗数という約束になっている」という主張も誤りであるということになる。たとえば上で紹介したレシートの見本を参照して欲しい。日本では数量×単価のスタイルはかなり一般的である。さらにツイッターでは以下のように発言した方もいた:

https://twitter.com/SatsumaAki/status/265820420891107329
失礼致します。もし私が経理部時代に「掛算には順番がある」などと言おうものなら、「あの人は頭がおかしい」とされ以後は相手にされず終わりだと思います。「学校の常識は世間の非常識」という(悪意の誤解も含む)言葉も聞きますので、学校の中の本当の所を学ばせて頂きたいと思います。

https://twitter.com/SatsumaAki/status/265839496275296259
伝票を書くのは経理の人間ばかりではありませんので、内輪のルールを徹底させようとしても実際問題としては不可能/非効率ですので、むしろ順番がマチマチ(時には間違った書き方)でも内容を短時間で理解できる能力が必要だったと思います。

これらの発言を読んで私も非常に勉強になった。

3. 「掛算を3×4=3+3+3+3のスタイルで導入すること」と「3人に4個ずつ配る場面で3×4という式を書くと誤りになるとすること」を厳密に区別しなければいけない。前者には問題がないが、後者には問題がある。

4. 「掛算を3×4=3+3+3+3のスタイルではなく、3×4=4+4+4のスタイルで導入すること」と「掛算の順序固定にこだわり続ける教え方を止めること」は全く異なる。掛算導入のスタイルを変えても、導入時のスタイルに無用にこだわり続けるのは不合理な考え方である。

5. 掛算の交換法則は小2で習う。算数教育ワールドでは子どもたちが交換法則を習った後であっても掛算の順序にこだわらせ続けようとすることになっている。だから、掛算の順序(固定)にこだわる教育の問題の争点は掛算の交換法則にあるのではない。

算数教育ワールドでは「具体的場面を式だけで忠実に表現させ、式だけから具体的場面を一意に読み取れるようにする」という教え方が基本になっている。式は極めて簡潔な表現なので具体的場面を忠実に表わす用途には向いていない。それにもかかわらず、「この場面で式はどうなりますか?」と子どもたちに問うことが算数教育ワールドでは標準的になっている。「この場面ではどのように考えますか」ではなく、「式はどうなりますか」といきなり問うわけである。

実際、算数の教材の基本スタイルでは、文章題の解答欄は式と答に分かれており、式の欄には具体的場面を忠実に表現する式を書くことになっている。考え方ではなく、具体的場面を忠実に表現する式を書かせることになっているのだ。そもそも「具体的な場面を忠実に表現する式」という考え方自体が不合理であり、式だけを見て子どもの考え方がわかるはずがないので、このスタイルは何重にもおかしい。

授業の例に関してはパワフル算数の事例が参考になる。「まさお君の縄跳びは、2m13cmです。秋子さんの縄跳びは、2m34cmです。どちらが何cm長いですか。」という問題にBちゃん、Cちゃん、Dちゃんがいきなり式で答えます。Cちゃんは「34cm-13cm=21cm」と答えました。共通の2mは無駄なので最初から省略して書いたのである。しかし、おそらく子どもたちは「文章題での式は具体的場面を忠実に表現した式でなければいけない」というスタイルのもとで算数を教わっているので、「Cちゃんのは変だ」という声が子どもたちのあいだから出ることになる。担任も何とか「2mも書かなければだめ」という方向に持って行きたい。しかし、Cちゃんは最後までがんばり続けて勝利をおさめることになります。しかし、もしも他の子どもであったならば、Cちゃんのように、周囲の子どもたちだけではなく、担任の先生まで敵にまわして、最後まで自説の正当性を主張し続けることができたでしょうか。正しい考え方をしていたのに、最終的に悔し涙を流す結果になっていた可能性もあったと思う。

掛順こだわり教育の問題はこのような問題の氷山の一角に過ぎない。

実際には6×8や8×6のような掛算の式だけで具体的場面を忠実に表現することは不可能なのだが、それを可能にするために「2×8ならタコ2本足」だとか、「x円のノートが8冊の場面で8×xという式を書くと、8円のノートがx冊の意味になってしまう」だとか、「6人に8個ずつ配る場面で、6×8と書くと、6人の8つ分で答えが人の人数になってしまう」のようなことを算数教育ワールドの住人は言い出すのである。詳しくはこのページの下の方を見てもらいたい。

6. 具体的場面を式で忠実に表現できることにするために設けられたルールは「掛算の式は一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールとは異なる。

算数教育ワールドでは「掛算の式は一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールをずっと維持し続けることになっている。しかし、そのルールのもとであっても、トランプ配りの考え方によって、6人にみかんを8個ずつ配るときのみかんの総数を求める場面であっても6×8という式を書いても構わない。

もちろん、算数教育ワールド標準の8×6でも正解である。ただし、子どもがどのような理由でそのように掛算の式を書いたかには注意が必要である。なぜならば、算数教育ワールドが大事にしている一つ分と幾つ分の考え方ではなく、問題文の内容を理解しなくてすむ方法で掛算の順序を決定しているかもしれないからだ。

たとえば、「何個であるかを求める問題では個のついた数を掛算では先に書く」とか「みかんの個数を求める問題ではみかんの個数を掛算では最初に書く」のように考えている子どもは一つ分と幾つ分の考え方をしていない。だから、一つ分と幾つ分の考え方が本当に重要だと考えているならば、そのような子どもたちを発見して文の内容をしっかり理解してから式を書くように指導しなければいけないはずだ。

しかし、実際には上で述べたように、そのような駄目な考え方を算数教育ワールド自身が教えてしまっている場合が多い。

その結果、8×6と式を書けた子どもはそのまま理解しているとみなされ、6×8と式を書いた子どもだけが教師に特別に尋問を受けることになってしまっている。実際には、8×6と書いた子どもであっても一つ分と幾つ分の考え方をしていない可能性が極めて高いのだが、その原因を算数教育ワールド自身が作っているので、その点は問わないということになっているようだ。

具体的場面だけでは決してどの数が一つ分と幾つ分であるかは決まらない。それがあたかも決まってしまうかのような間違った考え方を教えることが算数教育ワールドでは横行している。


『かけ算には順序があるのか』の著者による調査

かけ算には順序があるのか』の著者の調査「2010-02-17 19:39:33 かけ算の式の順序についての調査結果(2の1)」によれば「現行の6社全部の小2算数の教科書の「教師用指導書」には、かけ算の式には順序があり、これをきちんと教えるようにという記述がある」らしい。この調査は掛算の順序にこだわる教え方の問題が実は全ての算数教科書会社の問題でもあることに多くの人が気付くきっかけになった。以下に関連部分を抜粋しておく。

現行版の平成17年検定教科書はコピー不可ということで、その前の平成13年検定のものですが、文言はほとんど変わっていません。いずれも「小2下」の教科書の指導書です。

東京書籍

18頁

「「4枚のお皿に柿が3個ずつのっています。柿は全部で何個ありますか。」といった問題では、十分な検討もなく、数字が出てくる順に「4×3=12」と書いてしまう場合がある。これは、場面を具体的に想像することなく、数字だけを見て式を書いたり、乗法の式の意味の理解が十分でなかったりすることから生じると考えられる。」

26頁

教科書14頁の問題、「②シートが 5枚 あります。1まいに 3人ずつ すわると、ぜんぶで なん人 すわれますか。」に対する注。

「②の問題で、5×3=15と書く誤りは、問題に書かれた順に数字を並べただけで、かけ算の意味を理解していないことに起因する。そこで、さし絵などで、「1つ分の大きさ」にあたるのは何か、「いくつ分」にあたるのはどれかを再確認させる。」

啓林館

22頁

教科書22頁

「1おかしの はこが 4つあります。1つの はこには、おかしが 5こずつ はいって います。みんなで なんこに なるでしょう。なんこの いくつぶんかを かんがえましょう。しきは 4×5かな、5×4かな……。5この 4つぶん だから、5×4=20。

②テープを 4本 つなぎます。テープ 1本の 長さは 3㎝です。ぜんぶで なん㎝に なるでしょう。

③あめを 3こ かいます。1こ 5円の あめを かうと なん円に なるでしょう」に対する注。

「1適用題で、基準量が後に示される場合があることを知る。

 ②③基準量が後に示された適用題を解く。

(略)

ここでは、いくつ分の量が先に、基準量が後に示され適用題を扱い、「基準量のいくつ分」というかけ算の意味についての理解を深めさせる。1のような問題では、児童は数値の与えられた順に立式してしまう(4×5とする)ことが多い。題意をしっかり捉え、基準量が何なのかを判断し、正しく立式できるようにするためには、数図ブロックによる操作か図をうまく活用させるとよい。また、これまでに取り組んだ適用題と比較させ、示された数値の順序のちがいを見つけさせることも、基準量を意識させるためには有効である。」

教育出版

16頁

教科書16頁の問題、「1ボートが 6そうあります。1そうに 4人ずつ のると、ぜんぶで 何人に なるでしょうか。」に対する注。

「6×4と立式する子供が見られる。その場合、1つ分の大きさはどれか、いくつ分はどれかを明確にとらえさせることが大切である。」

37頁

「乗法の交換法則の指導

これまでに、乗法の意味に基づき、被乗数は1つ分の数、乗数はそのいくつ分として立式することを指導してきている。しかし、交換法則では被乗数と乗数を入れ替えても答えは同じであることを指導するため、不用意に3×5=5×3のような式を導入した形式的な扱いを急ぐと、混乱する子供が出てくることが考えられる。したがって、例えば「3個の5つ分」と「5個の3つ分」では式の意味は違うが答えは同じであるということを、ドット図やアレイ図を用いて視覚的にも十分納得させてからまとめることが大切である。」

ここで抜粋を停止し、コメントしておこう。

以上のように教育出版もまた掛算の順序にこだわる教え方を推進している。興味深いのは実際の教科書に次のようなページがあることである。

おはじきを長方形状に並べた図(実質的にアレイ図)を示している。おはじきで考えた途端に「6このまとまりが3こぶん」と考える必然性は無くなるはずなのに、そのすぐ隣でけんじくんは「6このまとまりが3こぶんだから…。 6+6+6」と述べている。

長方形型に並べたおはじきとの対応を考えることによって、対応する具体的な場面は完全に同一であっても「6このまとまりが3こぶん」と「3このまとまりが6こぶん」の両方の考え方ができることがわかる(実際にはもっと多彩な考え方が可能)。実際にこのように教えて欲しいものである。

以下は上の抜粋の続きである。

大日本図書

40頁

教科書22頁の問題、「②6つの はんが あります。どの はんも 4人ずつです。みんなで なん人でしょう。」に対する注。

「このような場合、6×4というように、問題文で示されている数値の順序にしたがって立式することがよく見られる。6×4と立式した児童には、場面を表わす絵や図をもとに、乗法の意味に立ちもどり、4×6と立式すべきことを具体的に理解させていくような指導が必要である。」

学校図書

5頁

「34枚ずつ3袋あるおせんべいの場面から、必要な条件をぬき出し、立式する。「4×3=12」と立式し、声に出して読む。「4枚ずつ3袋」だから4×3となることを理解させ、3×4としないように注意させる。」

大阪書籍。これのみ、現行版(平成16年度~21年度)

34頁

教科書28頁の問題、「4.おかしが はいった はこが 6はこ あります。1はこに 8こずつ はいっています。おかしは ぜんぶで なんこ ありますか。」

 指導書に「8×6=48 こたえ 48こ」と朱書があり、「ポイント」として注が次のようにあります。

「話の順序から、6×8と立式する子どもも出てくる可能性があるので、「~のいくつ分」がどちらに当たるのか、しっかり確認したい。」


大阪書籍の「平成13年/14年検定」版には、このような記述はなく、他の5社すべての「平成13年/14年検定」版にはかけ算の式の順序についての記述があったのと対比的であったが、現行版で大阪書籍も5社に倣ったということになる。


東京書籍2年下

東京書籍『新しい算数2下教師用指導書』(2011年)からの抜粋 (copy) によれば、東京書籍の小2の算数教科書の指導書には以下のように書いてあるらしい。

さらに東京書籍『新しい算数2下』p.43の

という問題の正解は指導書の方では

7×6=42  答え 42こ

になっている。同じ問題は以前の指導書では以下のような扱いになっていたが、現在の指導書では削除されているらしい。過去の誤りを認めずに都合の悪い記述をこっそり削除するのは社会的に無責任な態度だと考えられる。

そして↓これ↓がすごい! (これもすんごい!)

教科書会社のトップ「東京書籍」に言わせると、「5×3≠3×5」らしい。」より

なんと次のように書いてあったのだ!

6×7と立式する子どもにはあめの図をかかせ、同じ数のまとまりは6なのか7なのかをしっかりとつかませる。
また、6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数となってしまうことをおさえる

これは単位サンドイッチ論法の実例になっている。これは「かけ算は、後ろと前で、単位がいっしょです。サンドイッチになるように書いてください。」という教え方と論理的には同じことである。

http://edupedia.jp/entries/show/7 より

「サンドイッチ」という言い方で教えることを提案している人は次のように述べている(赤字による強調は引用者による):

イージーな教え方かもしれません。もしかすると、算数研究専門家の関係者の方々からすると邪道と言われるかもしれませんが、イメージができない子供にとってはこの方法で確実に楽に立式ができると思います。何らかの助けにはなるかな、と思います。

実際には教科書の教師用指導書に同じような教え方が書いてあったのだ。

中日新聞2012年11月5日(月)朝刊の記事によれば、以上のような掛算の順序にこだわる教え方の根拠として、東京書籍は文科省が発行する指導要領解説に「10×4は、10が四つあることから、40になる」といった記述があることを挙げ、「順序に意味がある」と反論したらしい。しかし、10×4を「10が四つあること」と解釈してもよいのは当然であり、そのような解釈が書いてあっても10×4を「十個の4があること」と解釈することを否定していることにはならない。実際、文科省の側も東京書籍による指導要領解説のそのような解釈を「深く考えすぎだと思う」と打ち消している。

要するに、東京書籍は掛算の順序にこだわる教え方の根拠は学習指導要領解説にあると主張したが、文科省側に否定されてしまったという格好になっている。

以下は東京書籍『新しい算数2下』p.20とp.21からの抜粋である。

p.20で掛算の交換法則について教えているはずなのに、その次のページで掛算の順序にこだわらせる問題を出している。

2013年2月2日追記朝日新聞2013年1月25日の記事(無料登録すれば読める [copy])によれば、「8人に鉛筆をあげます。1人に6本ずつあげるには全部で何本いるでしょう。」という問題について、東京書籍は以下のように述べたらしい:

「8×6」では1人あたり8本、6人にあげることになるので誤り

以前の東京書籍の算数教科書教師用指導書には上で紹介したように、この場合にあてはめれば、

「8×6」では、8人が6つ分になり、答えは人の人数になるので誤り

という意味になることが書いてあった。これら2つの説明は微妙に違っているが、どちらも単位のサンドイッチ論法になっている。東京書籍は現在の2年下の算数教科書指導書からは単位のサンドイッチを子どもたちに教えるという指示を削除したようだが、単位のサンドイッチの(屁)理屈を現在でも捨て去っていないようだ。

「国語教育だ」という説について:掛算の順序固定にこだわる教え方に関する議論になると、頻繁に次のようなことを言う人が出て来る:

掛算の順序固定にこだわる教え方は国語の考え方を教えようとしているのだ。

しかし、すぐ上で指摘したように、現実の算数教科書会社側は単位のサンドイッチの(屁)理屈を主張している。さて、国語教育として

8人に鉛筆を6本ずつ配る場面において、8×6と式を書くと、鉛筆を8本ずつ6人に配ることになる

とか

8人に鉛筆を6本ずつ配る場面において、8×6と式を書くと、8人の6つ分になり、答えが人の人数になってしまう

のように教えるのは正しいだろうか? 常識的には

8人に鉛筆を6本ずつ配る場面において、8×6という式を見たら、8×6における8は鉛筆を配る先の人の人数であり、8×6における6は一人あたりに配る鉛筆の本数であると解釈する

のが普通だろう。この常識的な解釈を否定することを教えるのは国語教育としておかしい。「掛順こだわり教育は国語教育である」という主張は国語教育にとても失礼な言い方だと思う。


学校図書2年下

学校図書『みんなと学ぶ 小学校 算数 2年下』の指導書より

画質は悪いがそれぞれに次のように書いてある。

乗数が先に出てくる文章題なので、7×3という誤答も予想される。「かけられる数」と「かける数」を確認させる。

(2)では、(1袋のみかんの数)×(買った袋の数)として立式できているかどうかを確認する。

同指導書の教科書6-7頁に対応する部分の紹介が「学校図書・教科書指導書 「かけ算」 」にある。


啓林館2年下

啓林館『わくわく 算数 2下』のp.17より。

啓林館算数2年下指導書: 2011年 (copy) には次のように書いてある:

つまずきと対策 正しく立式するために

ここでは、「いくつ分」の量が先に、基準量が後に示された適用題を扱い、「基準量のいくつ分」というかけ算の意味についての理解を深めさせる。

[1]*のような問題では、児童は数値の与えられた順に立式してしまう(4×5とする)ことが多い。題意をしっかりとらえ、基準量が何なのかを判断し、正しく立式できるようにするためには、数図ブロックによる操作や図をうまく活用させるとよい。また、これまでに取り組んだ適用題と比較させ、示された数値の順序の違いを見つけさせることも、基準量を意識させるためには有効である。

ここでは、かけられる数とかける数の意味がしっかりとらえられているかを評価したい。


小学3年

割算を教えるために掛算の順序にこだわる教え方が必要だという主張の問題については算数授業研究Vol.80のp.27の内容へのコメントを参照せよ。


東京書籍3年上

東京書籍『新しい算数3上』のp.28とp.32でも「□×5=20」と「5×□=20」のそれぞれと等分除と包含除を関係付けて説明している。

この画像の左半分に注目! そこでは「□×5=20の□にあてはまる数」を5の段の九九で見付けることを指示している。5の段の九九とは、5×□=△ の形になっている。この部分では掛算の順序にはこだわらなくても良いということになっているらしい。 (「□×5=20」と「5×□=20」の区別にはこだわっている。)

あるところでは掛算の順序にこだわり、別のところではこだわらない。もしもこのような細々としたルールを覚えることを子どもたちが強制されるとしたら、大問題だと思う。現場の先生にはそのような教え方をしないことを期待している。

東京書籍『新しい算数3上』のp.26にはどう見てもトランプ配りをしているようにしか見えない図がある。

この図を見て一つ分の数は何に見えるだろうか。同じ個数 a 個を含む集まりが b 個あると考えるとき、 a を一つ分の数、b を幾つ分の数と呼ぶ。上の図には少なくとも次の二通りの解釈がある。

もちろんどちらも正しい考え方である。一般に割算は、一つ分の数を求めるとき「等分除」と呼ばれ、幾つ分の数を求めるとき「包含除」と呼ばれる。この図が以上のような二通りの解釈を持つということは、等分除と包含除を概念的に統合できることを意味している。

等分除と包含除の統合は重要である。「等分除と包含除の違いは単なる見方の違いに過ぎないということを理解すること」と「それらどちらの場合であっても同じ式 a÷b を書いて良い理由を理解すること」はほぼ同じであると考えられる。

そのような理解に達すれば、 150÷2 を計算するときに「150の中に2が何個含まれているか」を考えるのではなく、「150を2等分するとどうなるか」を考えて、容易に 75 という答えを見出せるようになるかもしれない。さらに、まだ習っていない 6÷1.5 のような小数による割算を見たとき、「6を1.5等分する」の意味は分からないが、「6の中に1.5が幾つ含まれるか」の意味がわかる、のように考えて 6÷1.5=4 を自力で発見できるかもしれない。等分除と包含除の統合によって完全に同一の割算の式であっても常に両方の考え方を適用できるようになるのだ。

ところが、現実の算数教育ワールドではどちらかと言えば、等分除と包含除の統合ではなく、等分除と包含除を区別することを子どもたちに強制しているようなところがある。

それどころか、教員採用試験でも等分除と文章題と包含除の文章題を作らせる問題が出題されているらしい。等分除と包含除の統合によって同じ割算の文章題が同時に等分除と包含除の問題だということになるので、それは問題自体がおかしいということになる。

掛算の順序固定にこだわる教え方と以上の問題の関係については「算数授業研究Vol.80のp.27からの引用してコメント」を参照せよ。


啓林館3年上

啓林館『わくわく算数3上』のp.20には「□×3=6」と「3×□=6」の区別を用いた説明が書いてある。

この画像の左側と下から2行目に注目! 「□×3=6の□にあてはまる数」を3の段の九九で見付けることを指示している。3の段の九九とは、3×□=△ の形になっている。この部分では掛算の順序にはこだわらなくても良いということになっているらしい。 (「□×3=6」と「3×□=6」の区別にはこだわっていることに注意。)


小学6年

小学6年の算数の教科書の中には、xやyのような文字を扱っているのに、掛算の順序にこだわり続けているものが存在する。


啓林館6年上

啓林館『わくわく算数6上』のp.58の問題の解答がp.157にある。

解答を見ると、文字式を導入しているのに、掛算の順序が逆だと正解にならないとされている。「解答欄に書いてある解答のみが正解ではない」という言い訳は問題3の正解が(う)のみになっていることから無効である。このような教科書が文科省の検定を通過したことは驚くべきことだと思う。

指導書朱註には↓次↓のように書いてある。

驚くべきなのは「つまずきと対策」の内容である。次のように書いてある:

文章の表現にそった式を

数量関係を表す式を立てるとき,左辺と右辺が反対になっている児童がよくいる。それを正しいと考えている児童もいれば,間違いだと考えている児童もいるため,その扱いにきちんと触れておきたい。☆1の(ア)でいえば,x×8=yでもy=x×8でも正しいが,「1冊x円のノートを8冊買い,代金がy円であるときの関係式」という文章の流れからいけば,x×8=yを推奨したい。ただし,x×8が8×xになっている場合は,「8 円のノートがx冊」という意味になってしまうので問題文とは合わない。常に式の意味をしっかりと意識させることが大事である。

x×8が8×xになっている場合は,「8 円のノートがx冊」という意味になってしまう」という屁理屈の付け方は以前の東京書籍の指導書にあった「6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数となってしまうことをおさえる」とは別のタイプの単位サンドイッチ論法である。このタイプの単位サンドイッチ論法は「2×8ならタコ2本足」や「3×2なら3本耳のウサギ」と本質的に同じである。

3×2なら3本耳のウサギという教え方が使われた別の事例に東北大学大学院の院生による小学2年生に対するかけ算の学習支援がある。Yくんは大学院生たちに教わって掛算の文章題などを解けるようになっていた。しかし12月の初旬になるとYくんは意気消沈し、文章題が解けなくなってしまっていた。実はその意気消沈の原因は掛算の順序にこだわる小学校での教育方針にあったらしい。このように掛算の順序にこだわる教え方が子どもを意気消沈させている場合もある。


学校図書6年

学校図書の6年生の算数の教科書の指導書には以下のような説明がある。

p.44とp.45で「y=きまった数×x」と「y=x×きまった数」を厳密に区別して扱っていることがわかる。文字式で比例を扱っていても掛算の順序にこだわり続けているのである。


その他


「幾つ分×一つ分」の例:東京書籍

以下の事例は「教科書にある,「いくつ分」×「1つ分の数」の実例」より。

東京書籍の教科書では、小2で掛算を「一つ分×幾つ分」の順序で導入していて、掛算の順序にこだわる方針になっているのだが、結局、その順序だけで徹底できていない。

次は東京書籍『新しい算数2下』p.6。掛算は「一つ分×幾つ分」の順序で導入されている。

次は東京書籍『新しい算数4上』p.36。76枚の色紙を3人で同じ数ずつ分ける割算の問題の答えは、一人分は25枚で、余りは1枚になる。この場合に25は一つ分の数でかつ商になり、3は幾つ分の数でかつわる数になる。確かめ算の式は「わる数×商+あまり=わられる数」としているので、「3×25+1=76」となる。このとき「3×25」の部分は「幾つ分×一つ分」の順序になっている。

掛算の順序に強くこだわったり、こだわらなかったり、ルールが極めて曖昧であるように感じられるが、もしかしたら、次のようなことなのかもしれない。算数教育ワールドでは「具体的場面を表わす式」と「計算の式」を区別する傾向がある。たとえば、6人に8個ずつ配る場面を表わす式は8×6だが、計算では6×8を使ってもよい。たとえば「6人にあめを8個ずつ配ります。あめは全部で何個配られるでしょうか。」に「式:6×8=48」は誤り扱いされるが、「式:8×6=6×8=48」は正解になる。最初の「8×6」は具体的場面を表わす式であり、その次の6×8は計算の式だと解釈される。おそらく、確かめ算の式は計算の式とみなされるので、掛算の順序にはこだわらないということなのだろう。


「幾つ分×一つ分」の例:学校図書

以下の事例も「教科書にある,「いくつ分」×「1つ分の数」の実例」より。

次は学校図書『みんなと学ぶ 小学校 算数 6年上』p.89。4人の順列が何通りあるかを求める問題。吹き出しの中に2番目までの並び方が何通りあるかに関する説明がある。1番目の4通りの各々について2番目が3通りずつあると考えているので、東京書籍の流儀では4は幾つ分の数で3は幾つ分の数になるはずである。しかし、吹き出しの中には「4×3通り」と「幾つ分×一つ分」の順序で式が書いてある。


「幾つ分×一つ分」の例:日本文教出版

以下の事例は https://twitter.com/metameta007/status/288241788299390976 で紹介してもらった。

次は日本文教出版『小学算数4年上』p.22。


天むす名古屋氏がまとめた資料

以下の場所に天むす名古屋さんによる教科書の教師用指導書からの抜粋などが置いてある。ただし、このページでは網羅的に最新版を紹介できているとは限らない。最新版を見たければ天むす名古屋さんがまとめた算数資料のページを参照せよ。さらに、文書整理棚には各資料の簡単な説明があってとても便利である。


M氏がまとめた資料

以下の場所でM氏が見付けて来た教科書の教師用指導書の資料を読める。


genkurokiによるツイート

http://twilog.org/genkuroki で検索して見付けた単独および連続ツイート

http://favolog.org/genkuroki/date-121223 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-121224 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-121225 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-121226 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-121227 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-121228 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-121229 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-121230 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-121231 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-130101 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-130102 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-130103 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-130104 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-130105 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-130106 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-130107 (PDF)

http://favolog.org/genkuroki/date-130108 (PDF)